旅をするなら船派?飛行機派?
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そりゃあ船だよ。
船旅してみた~い。
一番長い船旅は、小樽から舞鶴までの27時間。
ひとりで船に乗っていても全然飽きなかったわ。
明るい時間に海を見ながらお風呂に入ったり、一日2回上映する映画を観たり。
シーズンオフだからイベントがなかったのが残念だったけど、楽しかったよ。
またどこかへ船で行きたいなあ。
四国か九州あたり。
本日の読書:新編 日本の面影 Ⅱ ラフカディオ・ハーン
カバー裏より
『日本への(巡礼の旅)の一歩をしるす「鎌倉・江ノ島詣で」、物語作家としての手腕が遺憾なく発揮された「美保関にて」、私たちが忘れかけている風習や信仰を想い出させる「二つの珍しい祭日」「伯耆(ほうき)から隠岐(おき)へ」――代表作『知られぬ日本の面影』から、詩情あふれる新訳で十編を新編集。小泉セツが語る感動的な『思い出の記』も付載する。ハーンの描く、失われゆく美しい日本の姿を感じる、文庫オリジナルの第2弾!』
目次
・弘法大師の書
・鎌倉・江ノ島詣で
・盆市
・美保関にて
・日御碕(ひのみさき)にて
・八重垣神社
・狐
・二つの珍しい祭日
・伯耆(ほうき)から隠岐(おき)へ
・幽霊とお化け
・思い出の記…小泉節子
種本である『知られぬ日本の面影』は、日本のことを知らぬ外国向けに書かれたものなので、一つ一つのものや行為の文化的・宗教的背景などを丁寧に説明しているのだけれど、先に出た『日本の面影』の収録から漏れたこちらの作品は、説明の丁寧さよりも、子どものような素直な好奇心で持って眺めているハーンの眼差しが強く感じられた。
日本文化の中のワビサビを尊び、枯れたものの中にもののあはれを感じているはずのハーンは「幽霊とお化け」の中でこう書いている。
”しかし、もしも私が聖者になれたとしても、野にわび住まいしないよう用心するだろう。日本の化けものを見たことがあるが、とても好きにはなれないからである。”
こう書いた後に、前の晩に氏神様の集まりに集まってきて化けものを見に行った話を続ける。
要は神社の祭りに出ている見世物小屋をめぐったのである。
もちろん見世物小屋と承知して入っていても、いちいち悲鳴を上げたり跳び退ったり、案内の日本人もハーンもなかなか忙しい。
”「さっき見た化けもののことだけど、みんな本当に信じているのかね」
「少なくとも、都会の人はもう信じちゃいません。でも田舎の人は違います。私も、仏様だって、神様だって信じてます。殺された人間が仇をうったり、汚名をそそぐために生き返って来るなどという話を信じている人が、まだたくさんいるかもしれません。でも、昔信じていたことを今もそっくりそのまま、信じているとは限りませんよ、先生」”
神様や仏さまを信じることと、迷信を信じることは違うということ。
けれどもその迷信の由来となった出来事を否定するのではなく、当事者たちの気持を受け入れること。
多分日本人はずっとそうやって、先祖をまつったり、神話と自分たちを繋げて生きてきたのだろう。
ハーンが日本人に感じてくれる親愛の気持は、こういう部分なんだろうと思う。
違いを認めない偏狭なキリスト教を嫌い、たいていのものを受け入れて呑み込む日本の文化を愛したハーン。
ある華族のご隠居様で、万事昔風を好み西洋風の大嫌いな人の話を聞いて「そのような人、私の一番の友達」と喜ぶハーン。
「私西洋くさくないです」と会いに行きたがるハーンに奥さんが「あなた西洋くさくないでしょう。しかし、あなたの鼻」と言う。
「あ、どうしよう、私のこの鼻。しかしよく思うて下さい。私この小泉八雲、日本人よりも本当の日本を愛するです」
日本人が捨てようとしていた日本らしさの中に、多くの光を当ててくれてありがとう、
小泉節子が書いた「思い出の記」の中の夫婦の会話がことのほか良い。
「ママさん私この寺にすわる、むずかしいでしょうか」
「あなた、坊さんでないですから、むずかしいですね」
「私坊さん、なんぼ、仕合せですね。坊さんになるさえもよきです」
「あなた、坊さんになる、面白い坊さんでしょう。眼の大きい、鼻の高い、よい坊さんです」
「同じ時、あなた比丘尼となりましょう。一雄小さい坊主です。如何に可愛いでしょう。毎日経を読むと墓を弔いするで、よろこぶの生きるです」
「あなた、ほかの世、坊さんと生れて下さい」
「ああ、私願うです」
何故奥さんまでカタコトなのか。(笑)
けれど、なるべく同じ言語で気持ちを伝えあおうとする二人の間にある距離感、空気感、思いやりが、とてもとてもよきです。
