「Wi-Fiが不安定です」と、テレワーク中何度もパソコンに注意され、実際しょっちゅう通信が途切れたりしていた挙句、とうとう我が家は圏外とWi-Fiに認識されてしまったようで、全く繋がらなくなりました。

もちろん再起動しても再起動しても、「ダメなものはダメ」です。

 

どうしよう。

何の手当も出ないのに、自腹で優先のルーターを買うか?

しかしあともうひと頑張りで定年を迎える予定(実は最近定年が延びる法案が通ってしまったが)というのに、仕事のために持ち出しする?

いや、毎回パソコンとモニタをもってダイニングテーブルで仕事をする面倒くささと、私を支えてくれるぬいぐるみのストレスは大きいぞ。

 

ってなことを悶々と悩んでいましたが、安心してください、奥さん。

無事解決いたしました。

 

まずWi-Fiの電源をOFFにする。

そして裏蓋を外す。

ついでに電池も外す。

さらにSIMカードも外す。

一呼吸の後にカードを差し直す。

電池を入れる。

裏蓋をはめる。

電源を入れる。

 

以上でもって完全復活いたしました。

 

だがしかし、ここで私は重大なことに気がついてしまったのです。

電池、膨らんどる。

 

これはヤバい。

突然発火してはかなわん。

 

ところがこのタイプのリチウム電池、いま日本では製造していないんですよ。

…というわけで、中国製のを買いましたが、不安だ…。

実は昔、中国製の扇風機(新品)が発火して、火事を起こしかけたことがあるのです。

夜中でしてね。

普段だったらぐーすか寝ていたところを、なんか妙なにおいがする…と目を覚ました私、えらい!

 

Wi-Fiは直ったのですが、電池を換えても換えなくても火事の不安がなくならないという状況。

どうしたらいいのだ?

とりあえず蚊取り線香の受け皿の上にでも置いておくか。

 

 

本日の読書:氷川清話 勝海舟

 

 

カバー裏より
『幕藩体制瓦解の中、勝海舟は数々の難局に手腕を発揮、江戸城を無血開城に導いて次代を拓いた。晩年、海舟が赤坂氷川の自邸で、歯に衣着せず語った辛辣な人物評、痛烈な時局批判の数々は、彼の人間臭さや豪快さに溢れ、今なお興味が尽きない。本書は、従来の流布本を徹底的に検討し直し、疑問点を正し、未収録談を拾い上げ再編集した決定版。』

この人は本当に江戸っ子なんだよなあ。
曲がったことが嫌いで、すぐ行動して、根に持たず(好き嫌いはある)、口が立つ。
下町で貧乏育ちだっただけあって、武士っぽくない。
だから嫌われもさげすまれもしたんだろうけど。

それでも、自分で言うだけあって、この人のしてきたことはすごい。
本人曰く、自分が一番一生懸命勉強したのは剣術。
その後に禅。
だから肝が据わったのだと。
今の人(明治期の人)は、勉学を修め、知識はあっても肝が据わっていないから大きなことができないのだと言い放つ。
それと庶民から学ぶという姿勢の欠如。

明治29年に全国的に大洪水が相次いだことについて
幕府が作る堤防は、とにかく地下を深く掘って基礎を固め、その絵に柳を植え、見栄えはともかく丈夫な堤防を作った。そして堤防の周りの土地を百姓に唯で作らせたので、土地の者たちは必死で堤防のメンテナンスを自分たちで行った。明治政府はその土地にまでいちいち税金をかけるために細かく測量し、柳の木まで全部切り倒してしまった。
”昔の人は、今の人のやうに、人目に見えるやうなところに頓着しない。その代わりに誰にも見えない地底へ、イクラ力を籠めたか知れないよ。昔と今と違ふところは、こゝだよ。”

同じく明治29年の東北の津波に対して、対応が後手に回る明治政府に対して、幕府の非常時対策を説く
”窮民に飯を喰はせなければ、みんな何処かへ逃げて行ってしまふよ。逃げられては困るヂャないか、どこまでも住み慣れたる土地に居た者を、その土地より逃がさずにチヤンと住まはしておくのが仁政と言ふものだよ。”

明治26年
”行政改革といふことは、よく気をつけないと弱い者いぢめになるヨ。(中略)全体、改革といふことは、公平でなくてはいけない。そして大きい者から始めて、小さいものを後にするがよいヨ。言ひ換へれば、改革者が一番に自分を改革するのサ。”

明治31年、第三次伊藤内閣の崩壊が迫っている時
”おれは超然主義の江戸子だから、威張ると苦しめたくなるし、弱ると助けたくなる。”
損な性分だよねえ。

明治30年第二次松方内閣崩壊の頃
”天下の大勢を達観し、時局の大体を明察して、万事その機先を制するのが政治の本体だ。これがすなはち経綸といふものだ。この大本さへ定まれば、小策などはどうでもよいのサ。大西郷(だいさいごう)のごときは、明治十年にあんな乱暴をやつたけれども、今日に至つえ西郷を怨むものは天下に一人もあるまい。これは畢竟大西郷の大西郷たる所以の本領が、明らかに世の人に認められて居るからだ。”
小細工の上手い長州人に対し、薩摩人は不器用だという好意的批評だそうです。

明治28年、日清戦争の後の国際的な動きを見据えて
”ともあれ、日本人もあまり戦争に勝つたなどと威張つて居ると、あとで大変な目にあふヨ。県や鉄砲の戦争には勝つても、経済上の戦争に負けると、国は仕方がなくなるヨ。そして、この経済上の戦争にかけては、日本人は、とても支那人には及ばないだらうと思ふと、おれはひそかに心配するヨ。”
日本人の考える国のあり方と中国人の考える国のあり方は全然別で、そのスケール感といい、個人主義の極まり方といい、この辺りの洞察については今私が読んでも目からうろこでした。

これらは明治30年ころの発言が多い。
維新から30年、薩長の藩閥政治に庶民がうんざりしているという背景から、維新の生き残りである勝海舟の元に話を聞きに来る人が多かったのだろう。
あんなにぼろくそ言われた徳川の世は300年続き、それを否定した政府は30年でぼろくそ言われていると勝海舟は言う。
いや、後に勝海舟の息子と結婚したクララ・ホイットニーは、来日した明治10年のころすでに「庶民は公方様の時代を懐かしんでいる」と日記に書いていたぞ。

吉田松陰がもし、アメリカ密航に成功して、無事に本に戻ってきたなら、明治維新のありようはもっと違ったのではないかと思ったりもする。
テロの推奨をしたけれど、彼自身は無私の人だったからね。
維新から30年。
明治天皇の心中を察する勝海舟。
なるほど、確かに薩長に騙された感はあったかもしれないね。

もっともっと引用したいけれど、キリがない。
なんか勝先生の言葉を読みながら、中居くんのことを考えてしまったよ。
中居君は政治のことは何も言わないけれど、見えないところへの目配りとか…。
この本は絶対的座右の書にしよう。