昨年から、エレベータに乗ると指の関節や肘、または鍵とかでボタンを押す人を見かけます。

コロナに感染したくないから、なるべく不特定多数の人が接触するところを触らない。

その気持ちは分かります。

 

が、なるべく触らないようにそうしているはずなのに、何度もボタンを押すのはいかがなものか?

急いでいるのかもしれないけど、せいぜい数秒じゃん。

それより、ボタンを一度だけ押して動かすときと、何度も押して早く動き出させるのとでは消費電力が違うんだよ。

早めに家を出て、ボタンを一度だけ押して、ゆったりと節電してみたらどうでしょう。

みんながそうしたら、管理費が少し安くなるかもしれませんよ。

 

と、心の中で話しかけてみる。

さすがに面と向かっては言えないもんなあ。

 

ところで、ここにきて急にウイルスはお札で1週間生きるなんてことが言われ始めましたが、なんかもやもやします。

だって、つるつるした素材では長生きするけど、紙や布はウイルスが乾燥しやすいので早く死滅するって言ってたよね。

なんでお札に限って長生きするの?

硬貨は大丈夫なの?

 

自分なりにこの発言について考えてみました。

1.コロナ禍のどさくさにキャッシュレスを推進しようとする魂胆

2.オリンピックの記念硬貨を発行しなければならないので、硬貨には触れられないという大人の事情

なのではないでしょうか。

うがち過ぎ?

 

 

本日の読書:ローマ人の物語 29 終わりの始まり 上 塩野七生

 

 

カバー折返しより

『2世紀後半、五賢帝時代の最後を飾る皇帝マルクス・アウレリウスが即位した。弟ルキウスを共同皇帝に指名した彼に課されたのは、先帝たちが築き上げた平和と安定を維持することであった。だがその治世は、飢饉や疫病、蛮族の侵入など度重なる危機に見舞われる。哲学者としても知られ賢帝中の賢帝と呼ばれた彼の時代に、なぜローマの衰亡は始まったのか。従来の史観に挑む鮮烈な「衰亡史」のプロローグ。』

 

塩野七生はローマ帝国の『終わりの始まり』を、五賢帝の最後の一人、マルクス・アウレリウスから書き始めた。

なので、彼の治世が終わったことが終わりの始まりなのではなく、彼の治世の中にすでに終わりの萌芽があったのでは、ということなのだな、と思って読み始めたのだが。

 

実はハドリアヌスとその次の皇帝アントニヌス・ピウスとの間の、政策の断絶にあったようなのである。

ハドリアヌスはその治世のほとんどの期間を、帝国の辺境を視察し、地域の、組織の、インフラの問題を徹底的に洗い出し、解決しまくった。

 

”一般の人よりは強大な権力を与えられている指導者の存在理由は、いつかは訪れる雨の日のために、人々の使える傘を用意しておくことにある。ハドリアヌスが偉大であったのは、帝国の再構築が不可欠とは誰もが考えていない時期に、それを実行したことであった。”

 

ところがアントニヌス・ピウスは、事前に手を打つという必要性を理解しない人だった。

そして、次の皇帝にするはずのマルクス・アウレリウスを手元に置いて帝王学を学ばせはしたが、辺境に行ったり軍隊を指揮したりの経験をさせなかった。

 

アントニヌス・ピウスの時代、帝国は平和で、何の問題も起こらなかった。

ハドリアヌスの構築したシステムの中で、全ては処理できたのだから。

けれど、マルクス・アウレリウスの時代になって、平和慣れしたローマに蛮族が襲いかかる。

どうも戦い慣れしていない様子のローマに、あちらもこちらも刃向かってくるように。

しかしマルクス・アウレリウスはそのような時にどうしたら良いのかわからない。

経験がないし、適任者もわからない。

 

マルクス・アウレリウスは素直で賢くて努力家なので(子どもか?)、最終的には何とかなった。

だから賢帝と呼ばれたのだろう。

だけど、ラッキーは続かない。

そこからローマ帝国の終わりがはじまったのだろう。