カバー裏より
『関ヶ原決戦―徳川方についた伊右衛門は、この華々しい戦でも前線へ投入されたわけではない。勝ち負けさえわからぬほど遠くにあって銃声と馬蹄の轟きを聞いていた。しかし、戦後の行賞ではなんと土佐二十四万石が……。そこには長曾我部の旧臣たちの烈しい抵抗が燃えさかっていた。戦国痛快物語完結篇。』
完結編。
しかし、この夫婦、最後は幸せだったのだろうか。
分不相応にも二十四万石の大名となり、しかも長曾我部の旧臣たちは山内一豊を認めようしない。
ヒステリックなくらい力で弾圧しようとする一豊と、懐柔策を提言する千代。
ふたりの思いは最後まですれ違う。
千代は後悔した。
身に余る褒賞を受け、上手く抵抗を抑える術を持たない夫を見て、鼻白む。
自分の提言を聞く耳すら持たなくなった夫を見て、こんなはずでは…と思う。
この二人には、どうも夫婦の間にある機微が欠けているような気がした。
千代が夫を操作する姿は、過保護な教育ママが息子を操っているように見える。
微塵も尊敬とかないよね。
築城に関しても、本職を差し置いて意見を言うのだけど、直接言うのではなく、伊右衛門の弟に入れ知恵をする小賢しさ。
「女の身で築城のことにまで口を出すなどとはいかがわしうございますから、康豊殿のお考えとして殿に申しあげなさい」だってさ。
しかし折々に顔をのぞかせる司馬遼太郎らしい目線。
「いつの時代、いつの場合でも、人間の十中八九は定見もなく風次第で動く、というのが正直なところ、浮世の姿でござるよ」
「人々の暮らしに希望をもたせる、というのが国主の政治のかなめどころではありませぬか」
何百年たっても、人の世とは変わらぬものよの。


