カバー裏より
『晴れて番方同心となった不破龍之進は、伊三次や朋輩達とともに江戸の町を奔走する。市中を騒がす奇矯な侍集団、不正を噂される隠密同心、失踪した大名の姫君等々、自らの正義に殉じた人々の残像がひとつまたひとつと、龍之進の胸に刻まれてゆく。一方、お文はお座敷帰りに奇妙な辻占いと出会うが……。』
目次
・粉雪
・委細かまわず
・明烏(あけがらす)
・黒い振袖
・雨後の月
・我、言挙(われ、ことあ)げす
以前、伊三次にガセを掴ませ、龍之進に大いに恥をかかせた船頭は、実は尾張屋押し込みの際に一味を手伝った者だった。
真犯人「薩摩へこ組」もまた、「本所無頼派」と同じ、武家の次男三男たちだった。
幕末というにはまだ間のある文化文政期、既に武家の鬱屈は積もり始めていたのかもしれない。(粉雪)
そう言った意味ではお家騒動というのもまた、飼い殺されるかどうかの生存競争なのだろう。
自分の運命は自分だけのものではない。
大勢の人たちの生活が、命がかかっているのだ。
与えられた運命を自分の足で歩きだした姫の決意。
そばで支えることも許されない龍之進との身分の壁が切ない。(黒い振袖)
自分で選んだ人生だって、後悔する時はある。
大店のお内儀になっている生母の元へ帰ったら、今とは違う理想の暮らしができたのではないかと思うお文。
しかし、今のお文の幸せは、伊三次と伊与太の元にある。(明烏)
お文が深川芸者だったころ、お文の女中をしていたおみつ。
当時はしっかり者で、よくお文を助けていたが、最初の子を流産した時まだ子どもの居なかったお文にひどいことを言ってから疎遠になっていた。
でも、いつの間にか付き合いが戻ったようで、安心した。
だけどおみつ、失ったもののことばかりを思いわずらっても幸せにはなれないんだよ。
幸せって、今、自分が持っているもののところにあるのだから。
徐々に事件は龍之進が扱うものが多くなってきているが、伊三次はあくまでも友之進の小者。
ただ、人の心の機微や、法や善意だけでは如何ともできない世の中のことなど、龍之進の経験だけでは測れない時に、セイフティーガードとして伊三次が付く。
まだよく口が回らなくて、伊三次のことを「たん」としか呼べなかった伊与太が、いつの間にか「ちゃん」と呼べるようになっていてほっこり。
お文のことは「おかしゃん」
いつかは「おっかさん」などと呼ぶようになるのだろうか。うう…。
不破家に行くと「おはよさんです」と頭を下げるところも可愛い。
言挙げの最古の出典は古事記のヤマトタケルの項。
神様に不遜なセリフを吐いたため、病気になって結局死んでしまう。
つまり、ヤマトタケルの頃から、日本人は目上の人に物を申してはいけない文化があったということ。
深いなあ。

