
子どもの頃は好き嫌いが多かったと思いますが、今は少ないほうかなあ。
カボチャやサツマイモも、自分から食べようとは思わないけれど、頑なに「食べない!」とは言わないですし。
子どもの頃は自分でも好き嫌いが多いと思っていたのに、親は全然気づいていませんでした。
だって、「これ、嫌い」なんて親に言えるような家ではなかったのです。
親に逆らう、口答えするなどということは許されませんでした。
だから好きでも嫌いでも、出されたものは黙って食べる。
食事中にその日にあった出来事を話すなんてこともなく、黙って食べる。
弟はどういうわけか好き嫌いし放題でしたけどね。
男の子と女の子との育て方があからさまに違う家庭でした。
そんなことももう忘れてしまったのでしょうね。
母はうちの子たちに「あなたたちのお母さんは全然好き嫌いのない子でした。見習いなさい」なんて言うんですもの、あとで子どもたちから「どういうこと?」と詰め寄られましたね。
「お母さん、かぼちゃ嫌いだよね」
嫌いでも、出されたものはちゃんと黙って完食したんだよ。
そんなわけで、何でも食べる良い子に育ちました。
お父さん、お母さん、今更ですが、ありがとう。
本日の読書:ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず 下 塩野七生
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ローマ人の物語 (2) ― ローマは一日にして成らず(下) (新潮文庫)
506円
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カバー折返しより
『ギリシアから視察団が戻り、前449年、共和政ローマは初の成文法を発表。しかしその内容は平民の望むものとは程遠く、貴族対平民の対立の構図は解消されなかった。近隣諸族との戦闘もさらに続き、前390年夏にはケルト族が来襲、ローマで残虐のかぎりをつくす。建国以来初めての屈辱だった。ローマはいかにしてこのどん底から這い上がり、イタリア半島統一を成し遂げるのか。』
パックス・ロマーナのはるか前。
常にどこかと戦争をしていたローマは、直接税というのがお金ではなく、兵役というのだから相当な軍事国家です。
17歳から45歳までの男子は従軍が義務付けられ、46歳から60歳は予備役として、市内の防衛を担っていた。
衰退していくギリシアを尻目に、ゆっくりと、しかし確実にその版図を広げていくローマ。
これが決してイタリアというわけではないのがミソですな。
ソクラテスを死刑にし、その弟子たちにも手を差し伸べることのなかったギリシャについて、著者は書く
”偉大な人物を慕ってくる者には、なぜか、師の教えの一面のみを強く感じとり、それを強調する生き方に走ってしまう者が少なくない。すべての事柄には、裏と表の両面があるのを忘れて。そして、真の生き方とは、裏と表のバランスをとりながら生きることであるのを忘れて。”
これを読むと、吉田松陰と松下村塾の塾生たちに重なる。
吉田松陰もテロをそそのかすところもあったけど、あの時代の長州の狂気じみた尊王攘夷は、自分たちの意志を押し通すためなら天皇すらも謀る彼らは、まさに塩野七生が書く一文そのもの。
必要な時に必要なリーダーに恵まれたローマ。
それは、リーダーというものの本質を知る者がその座についたから。
”権力は彼らにとって、目的ではなくて手段である。ただし、必要不可欠な手段ではあった。”
今の日本の政治家が権力を目的にその座につくのとは全く違うのである。
ああ、リーダーに恵まれない現代日本よ。
古代ローマについて読みながら、現代日本について思いを馳せることもできる。
歴史の懐の深さが好き。
今日の歩数は5073歩。
おや、いつもより少ないと思うでしょう?
今日はとにかく机にしがみついてあんなことしたりこんなことしたりで、全然歩きまわる余裕なんてなかったの。
でも、安心してください。
9時半になったら、家から徒歩30分離れたところにある郵便局に書留を受け取りに行くので、6000歩は超えるはず。
往復1時間歩きますからな。
帰りが遅いので、再配達を頼めないのだ。がっくし。

