初めて令和と聞いた時どう思った?
正直に言うと、「ひどい」と思いました。
令と言えば「命令」という言葉がまず浮かんでしまいます。
でも天皇の「命」はあっても、天皇の「令」はない。
「ご令室」「ご令息」「ご令嬢」
本人に「令」はつけない。
あくまでも、周辺の人に使う文字です。
それを元号=天皇の諡号に使うって、あまりにも天皇をバカにしたネーミングなんじゃないの?
私はどちらかというと天皇制はもう、なくてもいいんじゃないかと思っているのです。
国民に認められている思想の自由、宗教の自由、職業選択の自由などの権利をはく奪され、自分の意志で第一線を退くことさえ簡単には許されない。
選挙権もない、故郷納税もできない。
何の権利があって、私たちはとある一族をちやほやしながら無権利状態に押し込めているのだろう。
とは思っているのですが、そんな私でも「令」はひどいと思いました。
多分この字を息子の諡号に使うことを(拒否権もなく)認めなければならなかった上皇のお気持ちを考えると、絶句しちゃいます。
漢字の意味を知らないで使ったのならあまりに無責任。
知っていて使ったなら、なお質が悪いといえましょう。
天皇制を維持したいなら、それなりの敬意と知識を持つべきだし、そうではないのなら、もう元号も天皇制もやめてしまえばいいんじゃないかしら。
と、4月の頃は結構本気で怒っていたのでした。
今は…誰も困ってないんだったら、別にいいかと思ったり…。
本日の読書:呉・三国志 長江燃ゆ 二 伴野朗
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呉・三国志〈2〉長江燃ゆ―孫権の巻・赤壁の巻
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Amazonより
『三国志―舞台は、華北から長江へ!中原に覇を立てた曹操は遂に南下、中華統一を目指す。孫権は劉備と同盟して「赤壁」に迎え撃つ。三国志の世界は、長江流域へと拡大してゆく。』
『呉・三国志』と言いながら、やっぱり諸葛亮が出張ってきます。
関羽や張飛と劉備との仲はそれほど詳しく書かれていないのに、諸葛亮と趙雲はがっつり出てくる。
ということは、史実的には関羽や張飛は大したことないのかな。
元々あまり劉備が好きではないのだけど(口ばっかり理想主義で、行動が伴わないところ)、諸葛亮のこすっからいところが嫌いだということを自覚しました。
なんて書くと、いろいろな方向に敵を作りそうだけど。
呉の視点で劉備や諸葛亮を見ると、盗っ人猛々しいとはこのことか!と思う。
で、赤壁の戦いが終わり、周瑜が病死して、私の知っている呉が終わってしまいました。
次巻からはまっさらな気持ちで呉の歴史を読んでいきたいと思います。
夏風邪をひきました。
何年ぶりだろう。
更年期が終わってから、すっかり元の弱っちい体になってしまった。
ということで、今日は仕事には行きましたが、研修は休んでしまいました。
明るいうちに家に帰れて、それはそれで嬉しいけれども。


