今日も朝からいいお天気。
いわゆる絶好の行楽日和ですが、10さんから「今日は家でのんびりしたい」と申し出がありましたので、家でのんびり過ごしました。
英語の勉強と毎日の1万歩をクリアしないと、心から「のんびり」というわけにもいきませんが…。
午前中の涼しいうちに勉強をすませ(夏休みの宿題?)、10さんが録画していてくれた「チャンネルはそのまま」の1話と2話を視聴。
ローカルドラマなのに出演者が豪華で(通りすがりの焼き芋屋さんに泉谷しげるとか)、原作の雰囲気そのままのドラマ化に満足満足。
お昼は、姫路に行ってから美味しいお蕎麦を食べていないという蕎麦好き長男のために、我が家的美味しいお蕎麦屋さんの上位にランキングされている「たぐと」へ行ってきました。(日本のそば名店100にも選ばれたらしい)
人手不足のため、メニューがかなり減ってしまっていたけれど、私が必ず食べるこの「冷したぬきつ」はは健在。良かった~。
以前は当たり前だった茗荷と大根おろしが、どちらか一つの選択制になっていたのはちょっと残念。もちろん茗荷を選択する。

せいろ蕎麦は、一人前を何回かに分けて提供してくれます。
茹でたてを食べてほしいとの思いから、最初に出した蕎麦を食べ終わるころを見計らって、残りの蕎麦が出てくるのです。
そういう心配りが人気の秘密だと思います。
腹ごなしを兼ねて、お散歩。
川沿いの桜もきれいでした。

急ぎ足で歩くと少し汗ばむくらいの暖かさでした。
本日の読書:イザベラ・バードを鉄道でゆく 新にっぽん奥地紀行 芦原伸
Amazonより
『明治11年。開国間もないニッポンに、ひとりの英国貴婦人がやってきた。イザベラ・ルーシー・バード。旧街道を引き馬に乗ってゆく過酷な旅路を歩いた彼女の目に、いまだ江戸の面影を残す東北、北海道の景色はどのように映ったのか——。鉄道・歴史紀行文の名手である著者が、バードの足跡を訪ねて歩いた鉄道の旅。彼女が見た明治期の日本を探しながら、現代日本の地方都市を歩き、人と出会い、風景と食、そして酒を堪能しつつ“近代日本"の真の姿を考える。雑誌『旅と鉄道』誌上で16回にわたり掲載された連載ルポ、待望の単行本化。』
明治11年。東京や横浜はいざ知らず、少し地方にいけば、まだ十分江戸時代が残っていた頃、イギリス人女性がたった一人で日本の奥地(東北・北海道)を旅する。それも47歳という年齢で!
イザベラ・バードは引き馬に乗って、または人力車で、どうしようもないところは徒歩で旅をつづけたけれど、この本ではそれらの道を基本的には鈍行列車で旅をする。
鈍行列車の車窓から見える景色は、まだ、バードが歩いたころの風景が残っている場合が車よりも多いから。
そういう旅もあるんだなあと思った。
平取で彼女が歩いた道を少し歩いたことがある。
自然以外に何もないその道は、けれども全くの手つかずの自然というわけではなく、きれいに手入れされていた。
それよりは、山深い田舎の、線路わきの原生林の方が、よほど当時を偲ばせるかもしれない。
日光を過ぎ、会津からのみちのくを旅しながら、バードは宿の臭さと蚤(のみ)に悩まされ続ける。
それと食事の貧しさにも。
函館で久しぶりに洋食を食べたこともあるのかもしれないが、北海道に入ってからはかなり開放的な気分になったことが記述から伺われる。
梅雨前線と共に北上したため、北海道に梅雨がなかったのも影響したかもしれない。
そしてアイヌの存在。
”(アイヌは)素朴な未開人であるが、正直で、人には優しく、とても丁寧で、自然な優美さがあり、とバードは讃えている。とりわけ低く歌うように語る声の響きに魅了された。それまで出会ったどの和人よりも、バードはアイヌを愛していることが分かる。”
通訳兼ガイドの伊藤は「アイヌに丁寧な態度をとは!人間じゃなく犬にすぎないのに」と言ってもとりあわず、熱心にアイヌ語も勉強してその文化を称賛する。
それは、当時アイヌはへき地に遺されたコーカソイド(白人)と思われていたから。
人種的バイアスがあったのかもしれない。
何しろバードに日本行きを勧めたのは、進化論で有名なダーウィンなのだから。
強者が弱者を駆逐する過程を、バードは見たかったのかもしれない。
単純に紀行文として『日本奥地紀行』を読んだけれど、それだけではない様々な思惑というものがあることをこの本を通じて垣間見ることができた。

さて、「仕事がつらい。私には無理」と泣き言ばかり言っていた娘からLINEが届く。
「なんか会社で表彰されました」

ちゃんとやれてるんじゃん。
一つ肩の荷が下りる。
いわゆる絶好の行楽日和ですが、10さんから「今日は家でのんびりしたい」と申し出がありましたので、家でのんびり過ごしました。
英語の勉強と毎日の1万歩をクリアしないと、心から「のんびり」というわけにもいきませんが…。
午前中の涼しいうちに勉強をすませ(夏休みの宿題?)、10さんが録画していてくれた「チャンネルはそのまま」の1話と2話を視聴。
ローカルドラマなのに出演者が豪華で(通りすがりの焼き芋屋さんに泉谷しげるとか)、原作の雰囲気そのままのドラマ化に満足満足。
お昼は、姫路に行ってから美味しいお蕎麦を食べていないという蕎麦好き長男のために、我が家的美味しいお蕎麦屋さんの上位にランキングされている「たぐと」へ行ってきました。(日本のそば名店100にも選ばれたらしい)
人手不足のため、メニューがかなり減ってしまっていたけれど、私が必ず食べるこの「冷したぬきつ」はは健在。良かった~。
以前は当たり前だった茗荷と大根おろしが、どちらか一つの選択制になっていたのはちょっと残念。もちろん茗荷を選択する。

せいろ蕎麦は、一人前を何回かに分けて提供してくれます。
茹でたてを食べてほしいとの思いから、最初に出した蕎麦を食べ終わるころを見計らって、残りの蕎麦が出てくるのです。
そういう心配りが人気の秘密だと思います。
腹ごなしを兼ねて、お散歩。
川沿いの桜もきれいでした。

急ぎ足で歩くと少し汗ばむくらいの暖かさでした。
本日の読書:イザベラ・バードを鉄道でゆく 新にっぽん奥地紀行 芦原伸
![]() | 新にっぽん奥地紀行 ~イザベラ・バードを鉄道でゆく~ 1,728円 Amazon |
Amazonより
『明治11年。開国間もないニッポンに、ひとりの英国貴婦人がやってきた。イザベラ・ルーシー・バード。旧街道を引き馬に乗ってゆく過酷な旅路を歩いた彼女の目に、いまだ江戸の面影を残す東北、北海道の景色はどのように映ったのか——。鉄道・歴史紀行文の名手である著者が、バードの足跡を訪ねて歩いた鉄道の旅。彼女が見た明治期の日本を探しながら、現代日本の地方都市を歩き、人と出会い、風景と食、そして酒を堪能しつつ“近代日本"の真の姿を考える。雑誌『旅と鉄道』誌上で16回にわたり掲載された連載ルポ、待望の単行本化。』
明治11年。東京や横浜はいざ知らず、少し地方にいけば、まだ十分江戸時代が残っていた頃、イギリス人女性がたった一人で日本の奥地(東北・北海道)を旅する。それも47歳という年齢で!
イザベラ・バードは引き馬に乗って、または人力車で、どうしようもないところは徒歩で旅をつづけたけれど、この本ではそれらの道を基本的には鈍行列車で旅をする。
鈍行列車の車窓から見える景色は、まだ、バードが歩いたころの風景が残っている場合が車よりも多いから。
そういう旅もあるんだなあと思った。
平取で彼女が歩いた道を少し歩いたことがある。
自然以外に何もないその道は、けれども全くの手つかずの自然というわけではなく、きれいに手入れされていた。
それよりは、山深い田舎の、線路わきの原生林の方が、よほど当時を偲ばせるかもしれない。
日光を過ぎ、会津からのみちのくを旅しながら、バードは宿の臭さと蚤(のみ)に悩まされ続ける。
それと食事の貧しさにも。
函館で久しぶりに洋食を食べたこともあるのかもしれないが、北海道に入ってからはかなり開放的な気分になったことが記述から伺われる。
梅雨前線と共に北上したため、北海道に梅雨がなかったのも影響したかもしれない。
そしてアイヌの存在。
”(アイヌは)素朴な未開人であるが、正直で、人には優しく、とても丁寧で、自然な優美さがあり、とバードは讃えている。とりわけ低く歌うように語る声の響きに魅了された。それまで出会ったどの和人よりも、バードはアイヌを愛していることが分かる。”
通訳兼ガイドの伊藤は「アイヌに丁寧な態度をとは!人間じゃなく犬にすぎないのに」と言ってもとりあわず、熱心にアイヌ語も勉強してその文化を称賛する。
それは、当時アイヌはへき地に遺されたコーカソイド(白人)と思われていたから。
人種的バイアスがあったのかもしれない。
何しろバードに日本行きを勧めたのは、進化論で有名なダーウィンなのだから。
強者が弱者を駆逐する過程を、バードは見たかったのかもしれない。
単純に紀行文として『日本奥地紀行』を読んだけれど、それだけではない様々な思惑というものがあることをこの本を通じて垣間見ることができた。

さて、「仕事がつらい。私には無理」と泣き言ばかり言っていた娘からLINEが届く。
「なんか会社で表彰されました」

ちゃんとやれてるんじゃん。
一つ肩の荷が下りる。
