週末から札幌に帰るので、実家へのお土産を買いました。
そしたら店員さんが「今日は大安なので、こちらのお菓子をどうぞ」と、お菓子をくれました。
「鯛に餡が入ってます」だって。
ふふふ。なんか嬉しい。

どこで写真撮ろうかなあって考えて、コメダ珈琲店へ。
平日の昼間だというのに3人待ちでした。
ついうっかりケーキも頼んじゃって、ちょっと奥さんカロリー高すぎです。
あ、手前のがいただいたお菓子。



明日は職場の歓迎会。
10人中8人が新しいメンバーなので、歓迎というかなんというか…。
日本人の好みに全く合わせない本場のメキシコ料理のお店が会場です。
強いお酒もガンガン飲んでくださいって言われたけど、明後日は朝6時50分の飛行機なんだよね。
本当は飲んでる場合じゃないんだよ。

というわけで、今日はこれから荷造りです。
読んだ本を札幌に持ち帰ろうと思うんだけど、ちょっとスゴイことになって(マンガが)、どうしたもんかのぅと思案中。


本日の読書:U&I ニコルソン・ベイカー

U & IU & I
2,592円
Amazon



Amazonより
『憧れの大作家への尊敬、嫉妬、畏怖、不安…「読まず語り」、「記憶批評」など、自ら編み出した技法を駆使しつつ、アップダイクへの矛盾に満ちた感情を研究し、緻密なまでに描写する。“読者”と“作家”/“読者”と“作品”のどこまでも奇妙で切実な関係。』

初めて彼の『室温』を読んだとき、一目惚れならぬ一読惚れとはこのことかと思った。
次に『中二階』を読んで、彼は私の魂の片割れだと確信した。
このくらい私が偏愛しているニコルソン・ベイカーの新作。
順番的に後回しにしていたのですが、尊敬する書評ブロガーさんが絶賛していたので辛抱たまらず読んじゃった。

この本が実際に書かれたのは、まだ長編二作を発表したばかりの30年前。(日本で出版されたのは去年)
きっかけはドナルド・バーセルミの訃報を聞いたこと。
敬愛するジョン・アップダイクがウラジミール・ナボコフの追悼記事を書いたことを思い出し、自分がアップダイクの追悼記事を書くとしたら…と、考えはじめる。

この時点でアップダイクは存命中。
不謹慎極まりない設定だけど、書いている内容がまた不謹慎。

”彼が書くのは、アップダイクに対する自分の感情や、アップダイクが自分の人生に与えた影響なのだ。アップダイクへの尊敬や嫉妬を語り、彼を越えたいという野心を語り、書いたら怒られそうだという恐怖を語り、アップダイクが怒ったら眉毛の形がどう変わるかを語り、その怒り方がナボコフみたいだと語り…脱線が脱線を呼び、思考が細分化していく。(訳者あとがき)”

基本的にニコルソン・ベイカーの作品にストーリーはない。
あるのはシチュエーションと文体。
だから、この訳者あとがきがすべてと言える。

帯の文章がまた良い。

”やってくれたよ、あの本は。
あんなの他にはないから。
あれって、尊敬してるってことだよね?
 ―ジョン・アップダイク”

アップダイクは「わたしたちは他人に向けられた数多くの本のなかから、自分に向けられた一冊を見つけ出す。そこにわたしたちが読むのは、自分が聞きたい教訓なのである」と言う。

ニコルソン・ベイカーはこんなに敬愛しているアップダイクの本を、実はほとんど読んでいない。
ほぼ最後まで読んだ本は40作中たったの8作。
5ページも読んでいないと明言している本すら何冊もある。
けれど、アップダイクの一言一句をも読み漏らすことが大事なのではなく、その本質を受け取ることが大事なのだと言っている…のではないかな。

だから「記憶批評」(再読しないで記憶だけで批評する)や「読まず語り」(読んでいないのにさも読んだ風に語る)を駆使してアップダイクを語る。
9割がた勘違いで終わっているのは、多分計算だと思うんだけど…本気の可能性も捨てきれない。

本当にアップダイクのことを敬愛しているんだなあ。
いや、本当に好きなのは自分?
と見せかけて、語られない部分からあふれてくるアップダイク愛?
でも、ナボコフについてのほうがよほど正確に記述しているのでは?
大事なのは正確さではなく、愛だよね、やっぱり。

実際にアップダイクの訃報を聞いたとき「ただ悲しい」としか言えなかったらしい

ニコルソン・ベイカーの語り口に翻弄されて、私の思考も行ったり来たり。
でも一つはっきりしたのは、まだニコルソン・ベイカーの著作を4作しか読んでいないけど、「偏愛してます」宣言したっていいってことだよね。
だって好きなんだもの。

最後の一行。
”そしてこれがぼくの必要とする空想上の友情のすべてだ。”

一つ気になったのが著者近影。
今年62歳のニコルソン・ベイカーのはずが80歳くらいに見える。
いったい何があったのだ?彼の人生に。


ペタしてね