結果は・・・・




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知識はほどほどにあるけれど、実践はあまりできていないという…。
しかしこれ、万人向けのお題じゃないけど、今後はこういう広告重視のお題が増えるんだろうか。
つまらんなあ。

さて、先週の土曜日長男が来ましたが、泊まらずに帰っていきました。
が、晩ご飯は一緒に鰻メインの居酒屋に行きました。
来月には姫路で働くことになる長男、関東と関西では鰻の焼き方が違いますから、最後に関東風の鰻を食べさせたかったので。

久しぶりに食べたけど、鰻美味しいねえ。
自分一人だと高くて食べようという気にならないけど、長男を口実に食べられてよかったよかった。
次回は3年後くらいに食べられるといいな。


本日の読書:美と共同体と東大闘争 三島由紀夫 東大全共闘



カバー裏より
『学生・社会運動の嵐が吹き荒れた一九六九年の五月十三日、超満員となった東大教養学部で、三島由紀夫と全共闘の討論会が開催された!自我と肉体、暴力の是非、時間の連続と非連続、政治と文学、観念と現実における美……。互いの存在理由を巡って、激しく、真摯に議論を闘わせる両者。討論後に緊急出版されるやたちまちベストセラーとなり、いまだ”伝説の討論”として語り継がれる貴重なドキュメント、三十余年ぶりの復活!』

学生運動たけなわの1969年、東大教養学部の講堂で、三島由紀夫と東大全共闘が討論会を行った。
その議事録と三島・東大全共闘双方からの補足説明文を収録。

まず、読んでも読んでもなにを言っているのかわからない。

”彼は決して政治的にアンガージュマンしているのではない。滑稽なのは三島の政治的エピゴーネンであり、三島が政治的エピゴーネンの群れを引き連れようともくろむ時彼はデマゴコスの地位を獲得する。”

わからないのは、私の知識不足のせいかもしれない。
でも、基本的に言葉というのは、相手に伝わって(周囲に伝わって)なんぼのものじゃないの?
難しい事柄を分かりやすい言葉で語ることでこそ、相互理解が進むのではないの?
どうしても、難しい言葉をこねくりまわしているだけの、言葉遊びをしているだけのように思えたのだけど、自分たちでもそう理解していたようです。

”知識人とは永遠に肉体を持たぬ言葉のさすらいびとなのだ。”

なるほどね。
で、体制に反発して学生運動をやっていたのだとしたら、卒業後はすっかり体制側の人間になってモーレツ社員になったことなどは、どういう理由付けをしているのかと思えば

”大学とは具体的な教授や講義ではなく、地位へのパスポートにあるいは生産関係の中に私達が呑み込まれていくための形式に過ぎないのだ。”

やっぱ、学校という名前の人生の夏休みに、好き勝手なことをしていただけじゃないのかな。

ブルジョアを目の敵にしていたようだけど、何一つ生産することなく、好き勝手なことをほざいて、暴力で物事を解決しようとして、それをする権利が自分にはあるのだと思い込むのは、ブルジョアと何が変わらないのだろう。
しかし、では、生産しない者を悪として、額に汗して働く労働者を絶対の善とするのなら、それは毛沢東の行った文化大革命と変わらないのではないかと、私自身の思考にも混乱が生じてくる。

”今日私達が暴力学生と呼ばれるのは暴力に陶酔するとか人間性の復活とかではなく、暴力によってしか自己が完結しない冷厳な時代の事実があるからだ。”

何が嫌いって、東大全共闘の人たちに他者に対する敬意が感じられないところ。
目の前に三島由紀夫本人がいるのに「三島は…」と呼び捨てにするところや、自分と意見の違う人に対する徹底的な排除。
なのに徒党を組みたがるところ。
自分の目的を達するためならば手段を問わないところ。特に暴力に訴えたがるところ。
維新の時の長州勢を彷彿とさせて、大嫌い。

”二・二六の青年将校達―磯部大尉の楽天主義と呪詛は、共同体が地上的権力として現象する構造を見ずして観念に懸想した者の悲しき運命(さだめ)である。”

これについてのみ、同感。
磯部元大尉だけどね。蜂起した時は軍属じゃなかったから。

今まで三島由紀夫の言動って、ちょっと極端じゃないの?って思っていたけれど、これを読む限りでは常識人だったね。
極論をお持ちとは言え。
逆に東大の方々は、頭でっかちのお子ちゃまと感じました。
三島由紀夫は正体を現して発言しているのに対して、東大全共闘は匿名で暴言吐き放題というのも下品だなあと思います。


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