思えばここ最近、ろくにマンガを読む時間が持てなかったので、ちょっと欲求不満気味ではあったと思う。
そして、欲求不満でじりじりする気持ちに火をつけたのが、今月初めに観に行った一条ゆかりゆかり展だ。


この後ずっと悶々とすることになるのである。
目の前の机にマンガを山積みにして、わんこそばを食べるようにマンガを読みたい!

半期に一度のストレス発散であるところのコーチャンフォー詣で。
実は先月ちょろっと札幌に帰った時に、札幌のコーチャンフォーで仕事関係の本を買ったので、今回は純粋に楽しみのための本だけを買おうと最初から決めていました。

で、これ。

わんこそばにはやや足りないが、実はこれ以外にもシリーズを追いかけている「聖☆おにいさん」や「風雲児たち 幕末篇」や「ガラスの仮面」なども買ったので、まあ、良しとする。ってか、買いすぎだ!

なのに「不思議の国のバード」の最新刊を買い忘れる。orz
昨日一緒に出張に行った尊敬してやまない先輩が、「今執筆している本の中でイザベラ・バードについて少し触れました」と言うので、大変テンションが上がったばっかりだったのに、なぜ忘れる?
「知る人ぞ知る存在だと思っていたイザベラ・バードですが、最近はちょっと有名なんですね」とおっしゃっていたのに、「ええ、マンガ化されましたからね」と言えなかったし。

普通に本も買いました。
6冊中5冊が本や読書に関する本。
読むのが楽しみだけど、本当にいつになったら読めるのかなあ。


こんなに本を買い込んだのに、会計を終えてふと見た平台に野地秩嘉の新刊を見つけた。
北海道の芽室町にある人気のパン屋さんを取材したもので(立ち読みによる情報)、買おうかなと思ったけど、縁があったらまた会えるだろうと今回は見送りました。
9月の北海道の地震のとき、冷凍の記事は停電でダメになるけど、粉から作ればパンは焼けると、停電の最中もパンを焼いていたことが最後に書いてあって、本当に出来立てほやほやの本なんだなあと思いました。

それにしてもこんなに本を買わずにいられないというのは、単なるストレス発散から、本購入依存症に発展しているかもしれない。
困ったことだなあ。にやにや。


本日の読書:ばななブレイク 吉本ばなな



Amazonより
『自分が自分でしかないというすばらしさと悲しさ。私が彼らから受けとったものは、はかりしれない――。人生を大きな気持ちで展開する、才能豊かな人々を描いた、吉本ばなな初のコラム集。 』

小説以外の吉本ばななの文章は、もう読みたくないと思う。
多分、本当に相性が悪いのだ。
一編のコラムでひっかる箇所がいくつもある。

言葉の選択、視点の高さ、慣用句の使い間違い。
いらいらいらいら。
もっと寛容な人間だと思っていたわ、自分。

酔っ払って道路に寝ている人がいることを交番のおまわりさんに教えてやった
と書くセンス。
「してやる」というのは、身内や年下の人に使う言葉で、おまわりさんに「教えてやった」はないと思う。
「教えてあげた」とまでは言わないけれど、「教えた」「知らせた」でいいと思うんだけど。

サザンの「TSUNAMI」を聞くと、人はみな胸がキューンと苦しくなる。
それを”みんなに起こっている以下のようなことを、私は小説家だから、ちょっとだけ上手に書いてみる”と、自分の恋愛体験を書くのだけど、これがちっとも上手くない。
それは一人一人が感じればいいことで、第三者のどうでもいい恋愛を通して教えていただくことではない。

中島梓に辛口の批評をされたらしいが、それに対して
”そのへんで見聞きした嘘の情報をうのみにして色眼鏡の、おばちゃんの感性で、読むな!
おまけにプロのうまい文でそれを真実のように断定して語らないでくれ。”

”愛する画家原マスミが何日徹夜したか。写真の山口氏がどんなにこの本に夢を持っていたか。スタッフがみんなどんなにこの本を愛し、時間と労力を注いだか。”

これは、プロのお言葉ではないね。
どんなに気持ちを込めて作ったものでも、作品を通してそれが伝えられなかったことを謙虚に反省すべき。

まあその後の文章で、もっと文体を磨こうと思ったと書いていますが。
”中島梓にもすばらしい人生や仲間がいて、お子さんもいて、リスクをしょいながらのびのびと批評しているところは大好き。グインはかっこいいし。しょうがねえな。
 だから怒っても、憎んだりできない。”

だから、批評する方にも付加価値で判断するのではなく、その文章で判断してくれよ。

作家としては卓越した才能があると思うけど、なんか…無理だ。
ファンの方すみません。


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