すったもんだがあって、レイアウトやフォントからリード文まで考える羽目になったポスターとリーフレットがいよいよ明日出来上がります。
そして、それを見計らったかのように、今度は来年度のイベントに使うロゴを考えろ、と。
私クリエイティブな才能全くないんですよ。
おまけにセンスもない。
「それでいいんだ」と、わが社のNo.2は言います。
「センスある皆さんにやる気と作品を出してもらうために、事務局も何か提出しなくちゃ。
最低ラインがわかればいいんだよ。これ以上の地獄はありませんってことでさ」
趣旨はわかりますが、ゼロから何かを生み出すのって本当に大変なんだから。
片手間にできることじゃないのよ。
でも本来業務の片手間に、何とか作り出さねばならないようです。
クリエイティばないわたくしの、難行苦行の日々はまだまだ続くらしい。
やれやれ。(*´Д`)=з
本日の読書:プロレス 影の仕掛け人 レスラーの生かし方と殺し方 ミスター高橋
カバー裏より
『「猪木さん、ここの場面では、ドロップキックを使ってください」
「嫌だよ、高橋。お前、俺のしょっぱいドロップキックをファンに見せて、笑わせるつもりなんだろう」
プロレスを成立させているのは、レスラーの存在だけではない。そこには、リング外で暗躍する数多くの黒幕たちがいるのだ。
25年以上、レフェリー、マッチメイカー、外国人レスラー担当、審判部長として、アントニオ猪木らの試合を影で演出してきた男が、その目で見てきた仕掛け人の実体を激白!!』
プロレスに興味を持ったことはない。
というよりも、苦手である。
辛いのも痛いのも嫌いだし、流血の大惨事なんて見たくもない。
私が子どもの頃、父が時々テレビでプロレスを見ていた。
その姿を見て母は「あんな八百長、どこが面白いんだか。くだらない」と言い捨てた。
もっとも母は、相撲も巨人戦も八百長だと言い張っていたけれど。
で、この本を読んで、やはりプロレスは母の言うところの八百長だったということが分かった。
ただし、楽な試合をするための、または星のやり取りのための八百長ではなく、ファンの見たい姿を一番効果的に演出するための、ストーリーなのだそうだ。
強い選手を見たい。
これはファンの心理の第一だろう。
しかし、強ければそれでいいのか。
最初からマックスに力を出し合うということは、山場が一番先に来るということで、実は盛り上がらないらしい。
そして、選手の置かれた立場や抱えた鬱屈などを演出し、選手の背景を作り、ストーリーに沿った戦い方をする。
それによりファンは選手に感情移入することができる。
もちろんだらしない試合をすれば、ファンは簡単にそっぽを向くのだが。
これってつまり、ドラマの出来に一喜一憂するテレビ好きとか、アイドルおたくなんかとあまり変わらないってことなのかもしれない。
著者は新日本プロレス(アントニオ猪木のところ)と深くかかわっていた人のようで、猪木の長所や短所や短所や短所が多く書かれているが、ジャイアント馬場については深い尊敬の念を感じられる。
“「プロレスという興行は、地方地方を回り、テレビで知っている顔の選手がテレビで見たことのある技を出すのをファンに見てもらう。そんな仕事なんだ」
馬場さんが一貫して守り抜いた哲学がそこにある。”

BGMはQueen『Nevermore』でした。
そして、それを見計らったかのように、今度は来年度のイベントに使うロゴを考えろ、と。
私クリエイティブな才能全くないんですよ。
おまけにセンスもない。
「それでいいんだ」と、わが社のNo.2は言います。
「センスある皆さんにやる気と作品を出してもらうために、事務局も何か提出しなくちゃ。
最低ラインがわかればいいんだよ。これ以上の地獄はありませんってことでさ」
趣旨はわかりますが、ゼロから何かを生み出すのって本当に大変なんだから。
片手間にできることじゃないのよ。
でも本来業務の片手間に、何とか作り出さねばならないようです。
クリエイティばないわたくしの、難行苦行の日々はまだまだ続くらしい。
やれやれ。(*´Д`)=з
本日の読書:プロレス 影の仕掛け人 レスラーの生かし方と殺し方 ミスター高橋
カバー裏より
『「猪木さん、ここの場面では、ドロップキックを使ってください」
「嫌だよ、高橋。お前、俺のしょっぱいドロップキックをファンに見せて、笑わせるつもりなんだろう」
プロレスを成立させているのは、レスラーの存在だけではない。そこには、リング外で暗躍する数多くの黒幕たちがいるのだ。
25年以上、レフェリー、マッチメイカー、外国人レスラー担当、審判部長として、アントニオ猪木らの試合を影で演出してきた男が、その目で見てきた仕掛け人の実体を激白!!』
プロレスに興味を持ったことはない。
というよりも、苦手である。
辛いのも痛いのも嫌いだし、流血の大惨事なんて見たくもない。
私が子どもの頃、父が時々テレビでプロレスを見ていた。
その姿を見て母は「あんな八百長、どこが面白いんだか。くだらない」と言い捨てた。
もっとも母は、相撲も巨人戦も八百長だと言い張っていたけれど。
で、この本を読んで、やはりプロレスは母の言うところの八百長だったということが分かった。
ただし、楽な試合をするための、または星のやり取りのための八百長ではなく、ファンの見たい姿を一番効果的に演出するための、ストーリーなのだそうだ。
強い選手を見たい。
これはファンの心理の第一だろう。
しかし、強ければそれでいいのか。
最初からマックスに力を出し合うということは、山場が一番先に来るということで、実は盛り上がらないらしい。
そして、選手の置かれた立場や抱えた鬱屈などを演出し、選手の背景を作り、ストーリーに沿った戦い方をする。
それによりファンは選手に感情移入することができる。
もちろんだらしない試合をすれば、ファンは簡単にそっぽを向くのだが。
これってつまり、ドラマの出来に一喜一憂するテレビ好きとか、アイドルおたくなんかとあまり変わらないってことなのかもしれない。
著者は新日本プロレス(アントニオ猪木のところ)と深くかかわっていた人のようで、猪木の長所や短所や短所や短所が多く書かれているが、ジャイアント馬場については深い尊敬の念を感じられる。
“「プロレスという興行は、地方地方を回り、テレビで知っている顔の選手がテレビで見たことのある技を出すのをファンに見てもらう。そんな仕事なんだ」
馬場さんが一貫して守り抜いた哲学がそこにある。”

BGMはQueen『Nevermore』でした。
