今日は長男の誕生日。
つまり、私がお母さんになった日でもある。

相当な親ばか、いやバカ親であった私は、すやすや寝ている我が子を見て泣いた。
「こんなにいい子、2歳まで生きられないに決まってる」←本気でそう思っていた

いい子でしたが、おかげさまで今も元気に生きています。

7歳下の弟がいたせいもあって、子どもの頃から子ども好きな私でしたから、わが子が生まれるというのは、それはもう最大に喜ばしい出来事でした。
長男が生まれてから次男が小学生になるまでの10年ほどは、ほとんど本を読みませんでしたが、退屈することなかったなあ。
いつも楽しかった。ような気がする。
長男はえびが好きなので、私もえびが好きだけど、いつも長男にあげていた。
えびがおいしいより、長男がおいしそうに食べている顔を見る方が嬉しかった。

でもそれを、我慢してえらいと思われても困る。
お母さんだから我慢していたわけじゃない。私がそうすることを好きだからしてただけ。

お母さんになったって、みんなが子どもを好きになれるわけじゃないし、誰もがすべてを我慢しているわけでもない。

今話題の「あたし、おかあさんだから」という歌は、表面は正しくなぞっているのかもしれないけれど、本質は違う気がしてもやもやする。
私はお母さんであることを後悔したことはないけれど、それでも10さんに向かって、「一年間でたった一日も自由時間をもらえないんですか?」と泣いたこともあるよ。←結果4時間もらえた

お母さんの形は人それぞれ。
だからそれを褒められたり、なじられたりされても困る。
「大変だけど、頑張って」って応援してくれてる曲だそうだけど、つまり他人事なのよね。
欲しいのは応援じゃなくて、支えだった。

この曲を聴いて励まされたって思う人もいるだろう。
でも私は、「知った風なこと言わないで」って思っちゃったんだ。
そんな単純なもんじゃないのよって。
だからって、炎上するほど否定しようとも思わないけど。
ただ、「違うんだよねー」ってもやもやもやもやするの。

でもまあ、長男が生まれてくれて、お母さんになって、大変だったけどよかったな。
他人に「大変だっただろうけどよかったね」って言われたら、ちょっとカチンとくるかもだけど(笑)

本日の読書:啓順地獄旅 佐藤雅美



カバー裏より
『無実の罪を着せられ、啓順は江戸の火消しの顔役・聖天松に命を狙われる。奥医者をつとめる師匠からは、今日にある秘典『医心方』を探るよう命じられた。しかし漢方医としての一流の腕ゆえに、啓順は旅の途中で病人にかかずらわっては聖天松に居場所を知られてしまう。「逃亡者」の苦悩を描く傑作シリーズ第二作』

目次
・浦賀番所の小役人
・後の祭り
・千本松原まだ遠し
・自業自得
・甲府の朝露
・水子供養
・遠くに聞こえる祭り囃子
・三界に家なし

啓順は根っから医者なのだろう。
命を狙われて逃げているのに、結局は人助けをしてしまう。
逃げても逃げてもおってくる聖天松の一味。
けれど、追っ手の中にも啓順に逃げ切ってほしいと思っている者もいることがわかって、これは最終巻に向けての好材料だぞなんて思いつつ読む。

母体を助けるために、胎児の命を奪わなければならなかった啓順。
その判断は間違っていなかったが、自分の中にその痛みを抱えながら生きることにする。

旅を続けるごとに、「医者になりたい」「医者でありたい」思いが募る啓順。
いい医者になる準備は整ったと思うんだよね。
あとは、聖天松にどう落とし前をつけるか、なんだよね。



今日は初めて次男が泊りにきてるのさ。
明日札幌に行くために、途中の一休み。
頼んでいた『セトウツミ』を全巻もってきてくれたから、三連休はそれを読む!
持つべきものはマンガ好きな子どもだな。(°∀°)b