船旅、したことある?
▼本日限定!ブログスタンプ
さて、船旅というのは、どのくらい長い距離、長い時間を、または大きな船に乗っていれば成立するのでしょうか?
去年、北海道の小樽から京都の舞鶴までフェリーで移動しましたが、それは船旅?
それ以外にも、小樽から新潟までは何回も。
子どもの頃は青森函館間を何回も何回も。
あ、太平洋だと、苫小牧から仙台までを何回か。
私の体感では、船の中で一泊すれば船旅。
青森函館間の4時間も、子どもの頃は寝ていましたから、これも船旅。
海が好き。
浮き輪で浮いているだけでも幸せだけど、この年でそれはなかなか難しい。
だから、また船でどこかに行きたいなー。

海大好き髙木くんは、ただ今リアルタイムで幕張なのですね。
いいな~。
海が近い。
黒の短髪はドラマの役作りでしょうか。
来年の1月期ドラマ、楽しみです。
年末年始、髙木君の露出が多くて嬉しい。わくわく。
本日の読書:楊令伝 三 盤紆の章 北方謙三
楊令伝 三 盤紆の章 (集英社文庫)/集英社

¥価格不明
Amazon.co.jp
カバー裏より
『楊令(ようれい)は、幻王として金軍を率いながら、梁山泊の重装備部隊とも連携し、遼に侵攻した。呉用(ごよう)が潜入する江南では方臘(ほうろう)の叛乱が拡大し、宋地方軍に大きな痛手を与えている。一方で聞煥章(ぶんかんしょう)は、帝の悲願の地である燕雲十六州に、ある野望を抱いていた。ついに宋禁軍に出動の勅命が下り、童貫(どうかん)は岳飛(がくひ)を伴い江南へ出陣する。宋、遼、金国、方臘と入り乱れての闘いの火蓋が切られた。楊令伝、擾乱の第三巻。』
あんなに心優しくて感受性の豊かだった楊令が、冷徹な戦を指揮するようになった。
それは結局、梁山泊は冷徹になりきれないから宋軍に負けたのだ、ということと、長引く戦が庶民を疲弊させるから、ということなのだとは思う。
それにしても楊令、変わってしまった。
もう一人。
青蓮寺から方臘の下に送られた許定。
チャンスが来るまで一人敵の中で息を潜め、失敗すればそのまま切り捨てられる。
それをわかっていたはずなのに、方臘に重用されるにつれ変わっていく。
宋軍に対して、軍人として、存分に戦う。苛烈なまでに。
それが許定を変えたのか。
それとも、方臘に取り込まれてしまったのか。
方臘の下で呉用も変わる。
「方針は私が決める。方法はお前が考えろ」
絶対の信頼。
梁山泊ではとことん嫌われている呉用が、ここでは100%受け入れられる。
今ここにいる自分は、梁山泊の呉用なのか、方臘の軍師である趙仁なのか。
揺れる呉用。
人は変わっていく。
そう思って読んでいた。
楊令が、鄭天寿〈ていてんじゅ〉の遺した薬草をまだ持っていることを王母に告げた時、楊令の本質は変わっていないことを知った。
だとしたら楊令はつらいね。
人の感情をなくしてしまったかのようにふるまう、頭領としての楊令。
ひたすらに楊令を仰ぐ梁山泊の面々。
「無理するな。お前は頭領だが、人間としてはまだ青二才だ」と言ってくれる人がそばにいない。
しかし、そんな人がそばにいたら、きっと楊令はもっと辛い。
幸せになれない子、楊令。
“「きちんと生きるとは、どういうことでしょうか?」
「自分に、恥じないことだ。人を裏切らない。卑怯なことをしない。うまくお前に説明できるほど、俺は多くの言葉を持っていないが」”

BGMは平井堅『ノンフィクション』でした。