数日前、ブログにメッセージが届いていました。
出版のお誘い。
軽く声をかけました程度のお誘いは以前もいただいたことはありますが、今回のは結構な長文で丁寧にコンセプトも書いてあり、一応私のブログも読んで社内会議で認められたので連絡したとのことで、逆に「おやおや」と思いました。
読んでただけたらわかると思いますが、私のブログには、日本語の文法からは逸脱している、あまりお行儀のよろしくない文章が多々あります。
わざとやっている部分もありますが、知らずに間違って、否、間違えているところもたくさんあるはず。
そもそも書籍として出版に耐える記事を選別するのが、一番大変な作業になりそうです。
記事を選別し、文章を手直しし、そのあげくに売れるかというと、絶対売れないでしょう。
だって、能天気なおばちゃんの日常のつぶやき(ただしとても長い)という、非常にはた迷惑な内容です。
只なら読むかもしれないけれど、お金を払ってまで読む人はほぼいないと思います。
この会社、本当に私のブログを読んだのかなあ?
ワンテーマのブログならそれでも本にする意義はあるかもしれないけれど、こんな日常の長文つぶやきをねえ。
あ…ブログテーマをひとつに絞ったから、ワンテーマと思われたのかな?
読書だけじゃなく、映画のこと、ドラマのこと、歴史のこと、旅行のことなど、諸々だらだら書いていることに気がつかなかったのかなあ?
記載されている会社を一応ググってみました。
ヒットしませんでした。
創業者の名前で検索したらヒットしました。
確かに出版プロデューサーが作った会社のようですが、メインは自己啓発のようです。
私は自己啓発セミナー、自己啓発本、自己啓発グッズなどには興味がありません。
むしろ積極的に遠ざけるようにしています。
自己啓発はいいんですよ。別に。
自分をよりよくするための努力は、いいと思います。
でも、だからこそ、お手軽に自己啓発が行えますよ的なものは違う気がします。
自己啓発って自分の心の向きようの問題だと思うので、即物的なあり方に違和を感じるのです。
今まで培ってきた自分を簡単に変えられるのなら、簡単にリセットできてしまうのなら、それで得た自分にどれほどの自信を持てますか?
今の自分がとても辛くて、特効薬的に自己啓発、自己改革にすがる人もいると思います。
その痛みの程度は私にはわからないので、絶対にダメですと言うことはできません。
必要な人には必要なのだと思います。
でも、「早く早く」と結果を求めたり、「もっともっと」と上を目指しているうちに、疲れちゃうと思うのです。私は。
ゆっくり、自分のペースで、自分の声に耳を傾けながら変わっていけばいいじゃないですか。
動き出せない自分がいるとしても、動けるようになるまでじっとしているのも一つの手です。
煽られて、振り回されるのは、嫌なのです。
何よりも、自己啓発のすすめが目的と思われるのに、そのことに触れずにあなたのブログは出来がいいから出版しませんかというのは、ちょっと誠意に欠けるような気がします。
きっと大勢の方が同じようなメッセージをもらっていると思いますが、自分にとっての必要・不必要をよく考えて判断されるといいと思います。
今回は仕掛けが大掛かりだったので、おせっかいおばちゃんがちょっと長めに本音を書いてみました。
悩んでたって、ネガティブだって、それが自分だ!
マッピー@よりよい自分を目指してゆるゆる努力中
本日の読書:敢闘言 さらば偽善者たち 日垣隆
カバー裏より
『私は偽善者を憎む。権力や圧力と戦っていると自己認識しつつ他人を否定することで飯を食っているのに、私のようなチンケな者から批評されるや逆上し、私〈当人〉へではなく、私の頭を通り越して圧力をかけまくる、というおっさんたちは偽善者の典型である。偽善者たちには、前世紀の遺物として、静かに博物館入りしていただこう。』
1993年から2002年の10年間に書かれたコラムに、出版当時(2002年)の追加コメントを記したもの。
10年前の時事ネタは懐かしく読めるけど、干支二回り前となるとさすがに思い出せない出来事も多く、当時すでに大人だった身としてはちょいと恥ずかしい。
ダイヤルQ2が問題になって、PHSがおおいに売れた頃。
まだパソコン通信すら一般的ではなく、筒井康隆が断筆宣言をした年から、小泉首相が誕生する直前までの文章は、隔世の感があるほど懐かしいものがある半面、一周まわって今と同じ状況の者もあって面白い。
著者が全方向にケンカ売って回るのも変わらない。
そんななか、まさかの日垣隆がSMAP論を。
阪神淡路大震災の頃、SMAPが世間に認知された。
「頑張りましょう」を聞いて励まされたという人が多くいて。
“これまでのパターンでは、グループの人気が峠を越えてから個人の生存競争が始まったのだが、SMAPは最初から個人の顔を売った。従来の微分型に対してSMAPは積分型といえる。(中略)微分時代には人気番組に出ることがアイドルの常道だったのに、積分時代のSMAPは、先月「24時間テレビ」のパーソナリティをやったら歴代二位の視聴率を記録、というように、彼ら自身がメディアになっている。”1995・10・3
最近の政治状況にあまりに酷似しているのでびっくりな
“自己組織に対する全面肯定と、他者に対する全面否定。これはファシズムそのものである。全員が同じ語彙で同じ論理を展開する。それは必ず独善主義と一体となる。とても哀しい現象だ。”1993・11・30の記事に対する追加コメント
少し長い引用ですが、1945年8月15日の天皇(当時11歳の皇太子)の日記と、それに対する昭和天皇の手紙。
“「戦は負けました。それは英米の物量が我が国に比べ物にならない程多く、アメリカの戦争ぶりが非常に上手だつたからです。……その原因は日本の国力がおとつてゐたためと、科学の力が及ばなかつたためです。それに日本人が大正から昭和の初めにかけて国の為よりも私事を思つて自分勝手をしたために今度のやうな国家総力戦に勝つことが出来なかつたのです。」
九月九日、「父より 明仁へ」との手紙が日光に届く。
「敗因について一言いはしてくれ わが国人が あまり皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである わが軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである」”1994・6・28
過去は時折こうやって振り返ってみないと、すぐに忘れちゃうからなあ。
忘れたことは、なかったことに簡単に流されちゃうからなあ。

BGMはふきのとう『12月の雨』でした。
ああ、泣きそうに好き。細坪さんの声。
出版のお誘い。
軽く声をかけました程度のお誘いは以前もいただいたことはありますが、今回のは結構な長文で丁寧にコンセプトも書いてあり、一応私のブログも読んで社内会議で認められたので連絡したとのことで、逆に「おやおや」と思いました。
読んでただけたらわかると思いますが、私のブログには、日本語の文法からは逸脱している、あまりお行儀のよろしくない文章が多々あります。
わざとやっている部分もありますが、知らずに間違って、否、間違えているところもたくさんあるはず。
そもそも書籍として出版に耐える記事を選別するのが、一番大変な作業になりそうです。
記事を選別し、文章を手直しし、そのあげくに売れるかというと、絶対売れないでしょう。
だって、能天気なおばちゃんの日常のつぶやき(ただしとても長い)という、非常にはた迷惑な内容です。
只なら読むかもしれないけれど、お金を払ってまで読む人はほぼいないと思います。
この会社、本当に私のブログを読んだのかなあ?
ワンテーマのブログならそれでも本にする意義はあるかもしれないけれど、こんな日常の長文つぶやきをねえ。
あ…ブログテーマをひとつに絞ったから、ワンテーマと思われたのかな?
読書だけじゃなく、映画のこと、ドラマのこと、歴史のこと、旅行のことなど、諸々だらだら書いていることに気がつかなかったのかなあ?
記載されている会社を一応ググってみました。
ヒットしませんでした。
創業者の名前で検索したらヒットしました。
確かに出版プロデューサーが作った会社のようですが、メインは自己啓発のようです。
私は自己啓発セミナー、自己啓発本、自己啓発グッズなどには興味がありません。
むしろ積極的に遠ざけるようにしています。
自己啓発はいいんですよ。別に。
自分をよりよくするための努力は、いいと思います。
でも、だからこそ、お手軽に自己啓発が行えますよ的なものは違う気がします。
自己啓発って自分の心の向きようの問題だと思うので、即物的なあり方に違和を感じるのです。
今まで培ってきた自分を簡単に変えられるのなら、簡単にリセットできてしまうのなら、それで得た自分にどれほどの自信を持てますか?
今の自分がとても辛くて、特効薬的に自己啓発、自己改革にすがる人もいると思います。
その痛みの程度は私にはわからないので、絶対にダメですと言うことはできません。
必要な人には必要なのだと思います。
でも、「早く早く」と結果を求めたり、「もっともっと」と上を目指しているうちに、疲れちゃうと思うのです。私は。
ゆっくり、自分のペースで、自分の声に耳を傾けながら変わっていけばいいじゃないですか。
動き出せない自分がいるとしても、動けるようになるまでじっとしているのも一つの手です。
煽られて、振り回されるのは、嫌なのです。
何よりも、自己啓発のすすめが目的と思われるのに、そのことに触れずにあなたのブログは出来がいいから出版しませんかというのは、ちょっと誠意に欠けるような気がします。
きっと大勢の方が同じようなメッセージをもらっていると思いますが、自分にとっての必要・不必要をよく考えて判断されるといいと思います。
今回は仕掛けが大掛かりだったので、おせっかいおばちゃんがちょっと長めに本音を書いてみました。
悩んでたって、ネガティブだって、それが自分だ!
マッピー@よりよい自分を目指してゆるゆる努力中
本日の読書:敢闘言 さらば偽善者たち 日垣隆
カバー裏より
『私は偽善者を憎む。権力や圧力と戦っていると自己認識しつつ他人を否定することで飯を食っているのに、私のようなチンケな者から批評されるや逆上し、私〈当人〉へではなく、私の頭を通り越して圧力をかけまくる、というおっさんたちは偽善者の典型である。偽善者たちには、前世紀の遺物として、静かに博物館入りしていただこう。』
1993年から2002年の10年間に書かれたコラムに、出版当時(2002年)の追加コメントを記したもの。
10年前の時事ネタは懐かしく読めるけど、干支二回り前となるとさすがに思い出せない出来事も多く、当時すでに大人だった身としてはちょいと恥ずかしい。
ダイヤルQ2が問題になって、PHSがおおいに売れた頃。
まだパソコン通信すら一般的ではなく、筒井康隆が断筆宣言をした年から、小泉首相が誕生する直前までの文章は、隔世の感があるほど懐かしいものがある半面、一周まわって今と同じ状況の者もあって面白い。
著者が全方向にケンカ売って回るのも変わらない。
そんななか、まさかの日垣隆がSMAP論を。
阪神淡路大震災の頃、SMAPが世間に認知された。
「頑張りましょう」を聞いて励まされたという人が多くいて。
“これまでのパターンでは、グループの人気が峠を越えてから個人の生存競争が始まったのだが、SMAPは最初から個人の顔を売った。従来の微分型に対してSMAPは積分型といえる。(中略)微分時代には人気番組に出ることがアイドルの常道だったのに、積分時代のSMAPは、先月「24時間テレビ」のパーソナリティをやったら歴代二位の視聴率を記録、というように、彼ら自身がメディアになっている。”1995・10・3
最近の政治状況にあまりに酷似しているのでびっくりな
“自己組織に対する全面肯定と、他者に対する全面否定。これはファシズムそのものである。全員が同じ語彙で同じ論理を展開する。それは必ず独善主義と一体となる。とても哀しい現象だ。”1993・11・30の記事に対する追加コメント
少し長い引用ですが、1945年8月15日の天皇(当時11歳の皇太子)の日記と、それに対する昭和天皇の手紙。
“「戦は負けました。それは英米の物量が我が国に比べ物にならない程多く、アメリカの戦争ぶりが非常に上手だつたからです。……その原因は日本の国力がおとつてゐたためと、科学の力が及ばなかつたためです。それに日本人が大正から昭和の初めにかけて国の為よりも私事を思つて自分勝手をしたために今度のやうな国家総力戦に勝つことが出来なかつたのです。」
九月九日、「父より 明仁へ」との手紙が日光に届く。
「敗因について一言いはしてくれ わが国人が あまり皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである わが軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである」”1994・6・28
過去は時折こうやって振り返ってみないと、すぐに忘れちゃうからなあ。
忘れたことは、なかったことに簡単に流されちゃうからなあ。

BGMはふきのとう『12月の雨』でした。
ああ、泣きそうに好き。細坪さんの声。