ちょっと調べたいことがあって2年前のブログを読み返しました。
そうしたら、2015年8月8日の記事にびっくり。
2015年8月5日の札幌は、今世紀最高に暑かったらしいのです。
その日の札幌の最高気温、34.5度。
さて、今年の暑さは今世紀最高気温を更新したのでしょうか?
2年前は、34.5度なんて言語道断な気温だと思っていましたが、東京に住んでみると、騒ぐほどのことでもないような気がします。
私は道産子なので騒ぎますが。
ちょっとボケてる今週のたなくじ。
今週は、楽勝。
しょっちゅう猫を見かけます。
そして逃げられます。
吉が逃げてるわけじゃないよね?

ケーキ皿がないので、和食器で代用。
お気づきでしょうか?フォークもありません。
食器を増やしたくはありませんが、来年に向けて買っちゃおうかなあ…。

本日の読書:若冲 澤田瞳子
Amazonより
『「世に二つとない絵を描く」画人、その名は伊藤若冲―池大雅、円山応挙、与謝蕪村、谷文晁、市川君圭…絵師たちの運命が京の都で交錯する。著者渾身!至高の芸術小説。』
目次
・鳴鶴
・芭蕉の夢
・栗ふたつ
・つくも神
・雨月
・まだら蓮
・鳥獣楽土
・日隠れ
長編小説なのですが、最初から長編を書こうと思って書いたのか、結果的に連作短編になったのかよくわかりませんでしたので、一応各短編のタイトルを書いておきます。(自分の記録用)
題材は面白いと思うのですが、小説としての出来は…うーん…。
京都の青物問屋の旦那を退いて、絵の道一本に生きることにした若冲。
40歳から物語は始まる。
84歳で亡くなるまで。
絵を描くことしかできない若冲を支えた、異母妹のお志乃。
若冲と結婚したばかりに、嫁ぎ先でこき使われ、孤独のうちに自殺した姉のために若冲を恨み続ける弁蔵。(市川君圭)
若冲の人生の節目に関わってくる同時代の絵師たち―池大雅、円山応挙、与謝蕪村、谷文晁など。
これでどうして面白くならないのかというと、人物がまず薄っぺらい。
40歳からの40年、人としての成長というか、深みが感じられない。
妻の死に責任を感じる若冲、それを許せない弁蔵、弁蔵をひそかに思うお志乃。
40年もこの関係が変わらない。
それはちょっと気持ち悪い。
若冲が亡くなった後、最後の最後に弁蔵は若冲の真の思いを知るのだけど、読者よりもお志乃がまずそれを大きな感動をもって受け取るので、読者としては引いてしまう。
有名絵師たちも、ストーリーを動かすための駒にすぎず、必要な時に登場して、必要がなくなると物語から退場する…わけではないんだけど、ちゃんと伏線にもなっているんだけど、どうもモブ感がぬぐえない。
何が悪いんだろう?
時代小説らしい重厚な言い回しが、時に足を引っ張る。
言葉の意味、間違えてます。
編集者がもう少し何とかできなかったのだろうか?
多分小説家としての力が、まだ題材に見合っていないのだと思うのだけど。
読後いろいろと調べてみたところによると、概ね史実に沿っているらしい。
歴史を書きたかったのか、若冲という人物を書きたかったのか。
それを整理して、もう一度何年かのちに書いてほしいと思う題材ではあった。

そうしたら、2015年8月8日の記事にびっくり。
2015年8月5日の札幌は、今世紀最高に暑かったらしいのです。
その日の札幌の最高気温、34.5度。
さて、今年の暑さは今世紀最高気温を更新したのでしょうか?
2年前は、34.5度なんて言語道断な気温だと思っていましたが、東京に住んでみると、騒ぐほどのことでもないような気がします。
私は道産子なので騒ぎますが。
ちょっとボケてる今週のたなくじ。
今週は、楽勝。
しょっちゅう猫を見かけます。
そして逃げられます。
吉が逃げてるわけじゃないよね?

ケーキ皿がないので、和食器で代用。
お気づきでしょうか?フォークもありません。
食器を増やしたくはありませんが、来年に向けて買っちゃおうかなあ…。

本日の読書:若冲 澤田瞳子
Amazonより
『「世に二つとない絵を描く」画人、その名は伊藤若冲―池大雅、円山応挙、与謝蕪村、谷文晁、市川君圭…絵師たちの運命が京の都で交錯する。著者渾身!至高の芸術小説。』
目次
・鳴鶴
・芭蕉の夢
・栗ふたつ
・つくも神
・雨月
・まだら蓮
・鳥獣楽土
・日隠れ
長編小説なのですが、最初から長編を書こうと思って書いたのか、結果的に連作短編になったのかよくわかりませんでしたので、一応各短編のタイトルを書いておきます。(自分の記録用)
題材は面白いと思うのですが、小説としての出来は…うーん…。
京都の青物問屋の旦那を退いて、絵の道一本に生きることにした若冲。
40歳から物語は始まる。
84歳で亡くなるまで。
絵を描くことしかできない若冲を支えた、異母妹のお志乃。
若冲と結婚したばかりに、嫁ぎ先でこき使われ、孤独のうちに自殺した姉のために若冲を恨み続ける弁蔵。(市川君圭)
若冲の人生の節目に関わってくる同時代の絵師たち―池大雅、円山応挙、与謝蕪村、谷文晁など。
これでどうして面白くならないのかというと、人物がまず薄っぺらい。
40歳からの40年、人としての成長というか、深みが感じられない。
妻の死に責任を感じる若冲、それを許せない弁蔵、弁蔵をひそかに思うお志乃。
40年もこの関係が変わらない。
それはちょっと気持ち悪い。
若冲が亡くなった後、最後の最後に弁蔵は若冲の真の思いを知るのだけど、読者よりもお志乃がまずそれを大きな感動をもって受け取るので、読者としては引いてしまう。
有名絵師たちも、ストーリーを動かすための駒にすぎず、必要な時に登場して、必要がなくなると物語から退場する…わけではないんだけど、ちゃんと伏線にもなっているんだけど、どうもモブ感がぬぐえない。
何が悪いんだろう?
時代小説らしい重厚な言い回しが、時に足を引っ張る。
言葉の意味、間違えてます。
編集者がもう少し何とかできなかったのだろうか?
多分小説家としての力が、まだ題材に見合っていないのだと思うのだけど。
読後いろいろと調べてみたところによると、概ね史実に沿っているらしい。
歴史を書きたかったのか、若冲という人物を書きたかったのか。
それを整理して、もう一度何年かのちに書いてほしいと思う題材ではあった。
