最近めっきりコーヒーの味にこだわる10さん。
今回の帰省最後のイベントは、倉式珈琲店のコーヒーを味わうこと。

10さん、長男、私。
三者三様のコーヒーを頼みましたが、私、味も香りも全然違いが分かりません。
はい、味覚がバカで嗅覚もきっとバカです。
とりあえず10さんが満足したようなので、私も満足です。

午前中は新さっぽろでコーヒーを飲み、お昼ご飯にそばを食べ、そのあと新千歳空港でお茶したので(いや、レモンとクランベリーのソーダを飲んだのだけど)、7時前に羽田で長男と別れるときも全然お腹がすかなくって…。
本当は羽田で晩ご飯でも食べようかと思ったんだけどさ…。

8時過ぎに家について、コンビニおにぎりをようやく口にしました。
久しぶりの東京は蒸し暑くて、明らかに北海道とは空気がちがいました。
でも、家が近づくにつれて見えてくる町は、もはや他人の顔をしていなくて。
なんだかそれが少し悲しかったりしました。

連休明けはいよいよ腹をくくって東京で暮らしていかなければなりません。
まず、明日の朝、資源ごみを出すことから頑張らねば。

家を空ける前に残っていたごみをビニール袋に二重に入れて冷凍庫に突っ込んでいたせいかどうか、もわっとする部屋の中にGKBRの気配は感じられません。よしよし。
東京って、ドラッグストアの店頭に殺虫剤とか虫よけとか、とにかく虫関係の商品が山積みになっているのが怖いのよ。
蚊取り線香だけじゃダメみたいなの。


本日の読書:太宰治の辞書 北村薫

Amazonより
『水を飲むように本を読む“私”は、編集者として時を重ね、「女生徒」の謎に出会う。太宰は、“ロココ料理”で、何を伝えようとしたのか?“円紫さん”の言葉に導かれて、“私”は創作の謎を探る旅に出る―。時を重ねた“私”に会える、待望のシリーズ最新作。』

目次
・花火
・女生徒
・太宰治の辞書

目次はそれぞれ短編のようになっているけれど、通して読めばひとつの作品。
読書をすることで次々と繋がっていく謎と解答(例)。

世の中にある謎は「質問1」「質問2」などのように紙に書いてあるわけではないけれど、何か引っかかったものにすっきりとした解釈が現れた時、そこに自分は謎を見ていたのだと気づく。
そしてひとつの解答が次の謎をよび、その解答がまた…。
謎について考える時間も、読書の醍醐味と言えるだろう。
そして正解は一つとは限らないのだから、どれだけ考えてもゴールはない。

芥川龍之介も三島由紀夫もそして太宰治も、ほんのさわりくらいしか読んだことがないので、「私」が次々と連想をめぐらす文学上のあれこれなどは全然わからない。
けれど、太宰治って面白い作家だなあと思った。
自虐的でありながら、そんな自分を笑っている感じ。
それを鼻持ちならないと感じたのが三島由紀夫なんだろうけれど、自分を大きく見せる人より小さく見せたがる人に好感情を持ってしまう性癖が私にはあるので。

(円紫さんと私)シリーズなのに、円紫さんが出てくるのはほんの少し。
それでもその存在感の確かさが、やっぱり嬉しい。
寄席に行ってみたいと毎度思う。
そして今回は、太宰治を何か読んでみようと思った。
水を飲むように本を読みたいと、そうも思った。




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