ネットに自撮り載せられる?載せられない?
ええとね、自撮りも他撮りも掲載できません。
写真嫌いなの。
目が笑ってないから、すごく怖い顔になっちゃう。
さんざんブログを書いといてなんだけど、なるべくこの世に生きた痕跡を残さず死にたいと思います。
本日の読書:むこうだんばら亭 乙川優三郎
カバー裏より
『江戸での暮らしに絶望し、あてどない旅に出た孝助は、途中で身請けした宿場女郎のたかと銚子へ流れ着いた。イワシや醤油で賑わうとっぱずれの地で、彼は酒亭「いなさ屋」を開き、裏では桂庵を営んだ。店には夜ごと寄る辺なき人々が集う。貧苦ゆえに売笑する少女、放埓な暮しに堕ちてゆく女……思うにまかせぬ人生の瀬戸際にあって、なお逞しく生きようとする市井の男女を描く連作短編集。』
目次より
・行き暮れて
・散り花
・希望
・男波女波
・旅の陽射し
・古い風
・磯笛
・果ての海
この連作短編集に「むこうだんばら亭」などという店は出てこない。
主人公が営む店は「いなさ屋」だ。いなさとは南東の風のこと。
では、『だんばら』とは?
“利根川の水が海とぶつかって生まれる大波をダンバラ波ということは、孝助も客から聞いて知っている”
向こうにあるダンバラ波を見て、足が止まってしまった人たちが引き寄せられる店っていうところだろうか。
屈託を抱えた者がダンバラ亭を訪れて、主人の孝助に相談して、なんとか人生をやり直すことができる。
そんな話ではない。
店の主孝助すら出てこない作品があるのだから、この場合の主役は店そのものなのかもしれない。
店主の孝助、女将のたか。この二人は夫婦ではない。
そして通いで店を手伝う少女、ぬい。
この3人がほんの少し関わったことで、人生が変わったり変わらなかったり。そんな程度。
銚子という街の特殊性。
イワシ漁に沸き立つ祭りのような明るさと、醤油づくりという地道さと、突き当りの閉塞感。
ダンバラ波を越えていければ何かが変わるのかもしれないけれど…。
生活に困って駆け込む女や、日々の憂さを晴らしに飲みに来る男。
全体にあまり幸せではない人たちの話なのだけど、「果ての海」では、孝助の止っていた時間が動きはじめるような終わり方で、希望が持てる。
時を止めていたのは自分の心なのかもしれない。
でも動けないのなら、その場にとどまってじっと時を待つことも、ひとつの生きる道なのだろうと思える。
年のせいか、心に刺さったのは「磯笛」
漁の最中に息子を大波にさらわれ喪った島蔵。自分の判断ミスだと、悔い続けている。
そして妻を病で喪ったとき、初めて妻は大事な人であったと思い知る。
何十年と漁師を続けても海は怖いと震えながら、村の若者を一人前の漁師に仕立て上げ、道を誤った男女に立ち直るための金を渡し、身辺を少しずつ整理してきた島蔵が最後にしようとしたことは…。
生き様とか、死に様とか、考えてしまいますなあ。

