今日が忙しい日であることは前からわかっていた。
でも、久しぶりに青空が顔を出した札幌とはいえ気温は25度に満たないほどというのに、朝の9時半には顔から化粧が落ちていた。
いっそすっぴんの方が清々しいほどに、まだらに顔に貼りついた化粧。
そんな午前9時半。

もちろん適当にむにゃむにゃと化粧を直し、走ったりしゃがんだりエレベーターに挟まったりして一日は過ぎ、キリのいいところで残業を切り上げ家に帰ってくれば洗濯の山だ。
たった3日しかいないのに、どんだけ10さんは洗濯物を作るのか!(汗かきだからな)

洗濯をしながら晩ご飯の支度をし、さてみそ汁に味噌を投入、ってところで味噌が切れていたことを思い知らされ、再び汗でまだらになった化粧を顔に貼りつけたまま涙目で味噌を買いに行く。

帰ってきたら洗濯機が「洗濯終りましたぜ~」とピーピー騒いでおる。
「待ってろ、みそ汁」となだめながら洗濯物を干し、ようやく汁に味噌を入れ、さて卵でも焼きましょうと卵を割って殻を器に、中身を三角コーナーに…!!!

いやほんと、朝から頭も体もフル回転で、きっとどこかの部品が外れたのに違いない。
あまりの衝撃に、頭からぷすぷすと煙が立ち上ったのは内緒だ。


本日の読書:南総里見八犬伝 一 曲亭馬琴作 小池藤五郎校訂

カバー折り返しより
『馬琴(1767‐1848)が28年の歳月を費やし、心血を注いで創りあげた伝奇小説の巨篇。雄大・複雑な筋立て、リズム感あふれる文章、さらに有名な絵師の手に成る挿絵が興趣を添え、あやしい魅力をたたえて読者に迫る。第1、2輯を収録。』

時に音読したりしながらコツコツと読んでいたのが、これ。
小学生のころ、子ども向けとは言いながらも結構長くて難しいこの物語が大好きで大好きで。
この年になってようやく大人向きのものに挑戦した次第。

本を開くとまず解説。
それから凡例、第一巻の分の話の筋、第一巻の分の主要人物一覧、序文、10回分の目録となっています。
10回分で一輯。
この本は二輯分を収録しています。

いきなり物語ではないので、読んでいるうちに少しずつ思い出すこともありますが、大抵のことは忘れたまま。
特に室町時代が舞台になっていますが、この時代背景がさっぱりわからない。

結城合戦って何?
室町時代なのに鎌倉方と戦うとはこれいかに?

まあざっくり書くと、今の茨城県の結城辺りを治めていた武将が、室町幕府の鎌倉公方ともめて、結城氏と共に戦っていた里見氏の息子義実(よしさね)が命からがら海を渡って千葉に逃れてきます。
安房の国では神余光弘というろくでもない城主が、これまたろくでもない山下定包(さだかね)という部下に殺され城を乗っ取られ、調子に乗った定包の悪政に人々は苦しめられていたところでしたが、里見義実がさくっと退治して、そのまま城主となりました。

というところから物語が始まるのでありますが、きれいに忘れておりました。
いや、最初から理解していなかったのかもしれません。

大人になって読んでみると、義実、ものすごい理想主義者です。
前例主義の理想主義者なものだから、「今がチャンスだ!」って時でも「いや、待て」と。「歴史はそれを良しとはしていない」と。
こ、これは、三国志で言うところの劉備玄徳のようなお方。
智将も武将も従えながら(義実は落ちのびてきた小僧だから2人しか従えてないけど)、敵にしてやられてばかりの劉備玄徳。
「なぜだ!?」…坊やだからさ。

かくて劉備義実は、死ななくてもいい部下を死に至らしめ、娘を犬にくれてやるはめになるのであります。

当然妻はショックのあまり病に伏せり、いまや命は風前の灯というところでようやく義実、「そうだ、娘を連れ戻そう」と思うわけですな。
しかしいろいろとタイミングを間違える男金碗(かなまり)孝徳、やっぱりタイミングを間違えて義実の娘伏姫を助けに来たはずが撃ち殺してしまいます。
一度息を吹き返した伏姫は、「私は犬の子を孕んでなぞおりませぬ!」とばかりに腹を掻っ捌いてはかなくおなりになりました。ああ、男らしい。

ここまでが第一輯。

次はてっきり八犬伝と言えばこの方、犬塚信乃の出番かと思いきや、時代はいきなり遡って信乃のじいちゃんの時代にまで戻ってしまうのである。
信乃爺こと大塚匠作、信乃父こと大塚番作親子は敵に囲まれもはやこれまで。と、覚悟を決めたところ、大塚匠作息子に言います。
「殿より預かりしこの刀、逃げのびて生きながらえ、いつか必ずや殿の元へ届けよ」
「いや、父さん、なら父さんも生きて下され」

結局二手に分かれて生き延びた親子は、けれど亡き殿の御曹司二人がさらわれてしまったので、あとを追うわけです。
まだ少年の御曹司二人は、従容と運命に従い首をはねられますが、そこで飛び出す大塚匠作。
(なぜ生きているうちに飛びださなかったのかは不明)
敵をバッタバッタとなぎ倒すも多勢に無勢。最後はやられて、首を落とされてしまいます。
そこで飛び出す大塚番作。(またもや、なぜ生きているうちに飛びださなかったのか。全くさぁ)

そしていろいろ時は過ぎ、大塚は犬塚と名を改め、番作亡きあと信乃は同じく八犬士の犬川荘助と出会うところで第二輯は終わり。

“ともに番作が霊牌を拝しつつ、この日の事を告る折から、跫然(けうぜん)と足音して、外面(とのかた)より来るものありけり。この人は誰ぞ。看官(みるひと)三輯(さんしふ)嗣次(しじ)の日を等(まて)。さらに次の巻の端(はじめ)に解(とか)なん。”

この引っぱりようったら、少年ジャンプですか!

さて、明治の頃までは、読書というのは音読だったそうなのです。
つまりこの本も、音読にたえる文章、文体であると、文庫最後の「『八犬伝』を読むために」に書いてありました。
な~んだ、音読して気持ちいいのは当たり前だったのか。

時間はかかったけれども、面白かった。楽しかった。
ちょっとおちゃらけた紹介文になってしまったけれど、存分に楽しんだ証と思ってやってください。
次回からは気をつけます。

そうそう。
ちはやふるを「千剣振」と書いてありました。
古い言葉だけに、表記もいろいろなのかしら。


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