ちょうど一週間前に、桜が咲き始めた写真をアップしたはずですが、今日はまたとても寒いです。

朝の情報番組では大通公園にみぞれが降っていたと言っていましたし、天気予報ではこれから雪です。

 

まあ、何年かに一度はこんな寒いゴールデンウィークはあるので、それはいいんです。

が、気温差が激しすぎます。

先週片付けた冬服をもう一度出して、この休みは冬ごもりをすることにします。

 

「北海道ってさぁ、下手すると5月いっぱいはまだ冬が残っていて、9月になると冬が始まるよね」と言ってた職場の同僚の顔が頭をよぎります。

「6月から8月の3ヶ月で春夏秋を駆け抜ける感じだよね」

いや、たまたまだから。と反論したけど、やっぱり寒いわ。

 

 

本日の読書:神無き月十番目の夜 飯嶋和一

 

Amazonより

『常陸の山里、小生瀬の地へ急派された大藤嘉衛門は、悪い夢を見ているようだった。強烈な血の臭い、人影のない宿場―やがて「サンリン」と呼ばれる場から、老人、赤子にいたる骸三百余が見つかる。一体、この聖なる空間に何がおこったのか…。時は江戸初頭、古文書に数行記されたまま、歴史から葬り去られた事件の“真実”とは。』

 

慶長七年(1602年)、今の茨城県北部で起きたらしい、一村まるごとの大虐殺事件。

古文書に数行記されただけのこの事件を、倒叙法で書ききった小説。

 

関ケ原からまだ2年。

幕府が開かれる前の徳川の治世は、まだ流動的な部分が多々あった。

常陸の北部は元々、南下してくる伊達政宗から水戸の佐竹氏を守るための要衝だったため、半農半兵の騎馬の民が住み暮らしていた。

彼らの生活は、年貢を納めるためだけに生きているような百姓とは全く違うもので、ことが起こったときには命を賭ける代わりに平時は租税率も低く、集落ごとに自給自足できるくらいの経済力はあったのだ。

 

それが、関ケ原以降の徳川体制への移行に伴い、伊達氏の進攻もなくなったその地も、徳川直轄の蔵入れ地へと組みこまれることになった。

生活のレベルが下がることは容易に想像できたが、今さら謀反を起こしても徳川に勝てるわけもなく、蔵入れ地やむなしと思い定める当地の肝煎り石橋藤九郎と、騎馬衆としてのプライドをかけ自主独立を守りたい村の若者たち。

さらには取りたて米を増やすことでこれまでより多くの収入を得たい新たな領主と家老たちと、騎馬衆と波風を立てずに徐々に取り込んでいきたいと思う家臣たち。

それぞれの思惑が複雑に絡まり、事態はどうしようもなく悲劇に向かって転がり落ちていく。

 

島原の乱を書いた『出星前夜』もそうだったけど、虐げられた人々がやむなく蜂起し、それが徹底的に弾圧される様子が実にリアル。

そして、主要人物が途中で姿を消してしまうところも相変わらず。

だから読んでいてカタルシスを得られることはない。

 

けれど読んでしまうよね、彼の作品は。

いつも思うけど文章も決してうまくない。

だけど事実がもつ圧倒的なリアリティ。この迫力。

苦しいほどに覆いかぶさってくる無力感。

 

“(戦の酷さを目の当たりにしたことのない)者たちが、一番始末が悪い。酷たらしいことを平気でやるのはそんな連中だ。そもそも人は畜生より始末が悪い。何だってやるぞ。ところがな、戦の際にひどい目にあうのは女と子ども、それに年寄りだ。いつだってそうだ。いつだって弱い者ばかりが最も悲惨を味わう。戦絵巻など、文字どおり勝った者の作り上げた絵空事ばかりだ。よい戦など、この世にはない。戦というものを知った時にはもう何もかもが遅いのだ。”

 

石橋藤九郎を探し出すため行われた虐殺は、戦うすべを持たない年寄りや女子供しかいない「カノハタ」の全ての命を踏みにじる。それは、フセインを探して空爆を繰り返したアメリカを簡単に思い起こせるほどに似通った構図だった。

 

数年前、秋田出身の佐竹さんに会ったことがあります。

も、もしかして、秋田のお殿様だった佐竹氏のご子孫ですか?

「はい。分家ですが。そして、もともとの本家のご先祖様は茨城の水戸の人なんですけどね」

 

ほ、本物や!

今私は歴史の生き証人を見た!キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

…いや、生きてないけどね。っていうか生まれてないけどね。

でもまあ、そのくらいテンションあがりましたよ。

やっぱり本州の人って身近に歴史があっていいよなー。

 

その集落の北に大子や袋田があり、古来より砂金が採れた場所ということは…常陸太田市の旧金砂郷村辺りが事件の舞台ではないかと思います。

友だちの配偶者さんがそこの出身で、たまにおみやげ(天狗納豆)を頂いたりもしたので、今度この事件のことを何か知っているか聞いてみようと思いました。

身近に歴史があっていいなー。

 

 

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