昨日、実は職場を早退したんですね。
物置として借りているアパートの、上階の水道管が破損した、と不動産屋さんからの電話で。
「マスターキーで勝手に入っていいですか?」
いやいや、いいわけなかろう。
よりによって小雨の降る寒い日でしたが、一度家に帰って乾いたタオルを数枚、びしょ濡れの部屋に入っても大丈夫なようにスリッパ、水道契約をしていないのでお手拭用にぬれタオル数枚を持って急いだ結果、部屋はからんからんに乾いていました。
ぽくぽく歩いて帰る足取りの重かったこと。
なんで休暇を取ったんだよ、オレ。orz
そんな日でも、少しずつ春は近づいています。
つぼみが。

若葉が。

花が。

本日の読書:金鉱町のルーシー カレン・クシュマン
Amazonより
『1849年、金鉱掘りの町ラッキーディギンズ(幸運掘り)に移住してきたウィップル一家のサバイバル歴史物語。ニューベリー賞受賞作『アリスの見習い物語』に続くカレン・クシュマンの最新作。』
主人公はカリフォルニア・モーニング・ウィップル。
両親がゴールド・ラッシュに沸くカリフォルニアに憧れてつけた名前。
いま彼女は生まれ育ったマンハッタンを遠く離れた西部の田舎で、食べ物や衣服やほかのいろんな不自由に耐えながら、毎日身を粉にして働いている。
働かないと生きていけないから。
父親と小さな兄弟を肺炎で亡くし、母と弟、妹二人の5人は、ラッキーディギンズに引っ越してきた。
カリフォルニアは西部が大嫌いで、マンハッタンに帰りたくてしょうがない。
自分の周りにあるあれこれを大切にし、思いをかけ、そこにとどまりたいカリフォルニアと、ときには大切なものを置き去りにすることになっても、前に進もうとするママ。
「大草原の小さな家」は、家族の信頼と愛情に満ち溢れていますが、この作品は強権発動する母といやいや従う娘という構図。
カリフォルニアという名前が気に入らない彼女は、自分の名前を「ルーシー」に変える。(誰も呼んでくれないけど)
自然はけっして天国ではなく、時に大切な人の命をも容赦なく奪っていくけれど、その中で成長したルーシーは、自分が本当にやりたかったことに気づき、自分の力で夢を勝ち取っていく。
児童書にしてはあまりに過酷で、インディアンや奴隷などに対する偏見も当時のままに表現されているのはけっして読んでいて気分はよくないけれど、マンハッタンという幻影にしがみついていたルーシーが寂しさを覚悟しながらも夢に向かって歩き出す姿は、健気で愛しいと思った。
“いつもみんなのことを考えて、たまに泣いています。何もない南の島で、あたしがいなくてだいじょうぶですか。あたしはだいじょうぶ。
あなたの愛する娘
ミス・カリフォルニア・モーニング・ウィップル”

物置として借りているアパートの、上階の水道管が破損した、と不動産屋さんからの電話で。
「マスターキーで勝手に入っていいですか?」
いやいや、いいわけなかろう。
よりによって小雨の降る寒い日でしたが、一度家に帰って乾いたタオルを数枚、びしょ濡れの部屋に入っても大丈夫なようにスリッパ、水道契約をしていないのでお手拭用にぬれタオル数枚を持って急いだ結果、部屋はからんからんに乾いていました。
ぽくぽく歩いて帰る足取りの重かったこと。
なんで休暇を取ったんだよ、オレ。orz
そんな日でも、少しずつ春は近づいています。
つぼみが。

若葉が。

花が。

本日の読書:金鉱町のルーシー カレン・クシュマン
Amazonより
『1849年、金鉱掘りの町ラッキーディギンズ(幸運掘り)に移住してきたウィップル一家のサバイバル歴史物語。ニューベリー賞受賞作『アリスの見習い物語』に続くカレン・クシュマンの最新作。』
主人公はカリフォルニア・モーニング・ウィップル。
両親がゴールド・ラッシュに沸くカリフォルニアに憧れてつけた名前。
いま彼女は生まれ育ったマンハッタンを遠く離れた西部の田舎で、食べ物や衣服やほかのいろんな不自由に耐えながら、毎日身を粉にして働いている。
働かないと生きていけないから。
父親と小さな兄弟を肺炎で亡くし、母と弟、妹二人の5人は、ラッキーディギンズに引っ越してきた。
カリフォルニアは西部が大嫌いで、マンハッタンに帰りたくてしょうがない。
自分の周りにあるあれこれを大切にし、思いをかけ、そこにとどまりたいカリフォルニアと、ときには大切なものを置き去りにすることになっても、前に進もうとするママ。
「大草原の小さな家」は、家族の信頼と愛情に満ち溢れていますが、この作品は強権発動する母といやいや従う娘という構図。
カリフォルニアという名前が気に入らない彼女は、自分の名前を「ルーシー」に変える。(誰も呼んでくれないけど)
自然はけっして天国ではなく、時に大切な人の命をも容赦なく奪っていくけれど、その中で成長したルーシーは、自分が本当にやりたかったことに気づき、自分の力で夢を勝ち取っていく。
児童書にしてはあまりに過酷で、インディアンや奴隷などに対する偏見も当時のままに表現されているのはけっして読んでいて気分はよくないけれど、マンハッタンという幻影にしがみついていたルーシーが寂しさを覚悟しながらも夢に向かって歩き出す姿は、健気で愛しいと思った。
“いつもみんなのことを考えて、たまに泣いています。何もない南の島で、あたしがいなくてだいじょうぶですか。あたしはだいじょうぶ。
あなたの愛する娘
ミス・カリフォルニア・モーニング・ウィップル”
