今朝、同僚が「はいよ」って机の上に置いて行ってくれたのがスポーツ新聞。
一面はもちろんSMAPでさぁ。(T_T)
なんで私がSMAP好きなことを知ってるんだかわからんけど、心配してくれてありがとう。
新聞といえば今日の毎日新聞。
スポーツ欄の記事タイトルがいちいちスマップの曲タイトルで、もう、何も言えねー。
あとはもう本人たちというより事務所の判断だから、事務所の器の問題だから、北海道に来ませんか?と思ったり。
小樽のお寿司屋さんたちも、SMAPが北海道に来てくれたら喜ぶよぉ。
もちろん私も喜ぶよ~。
とりあえず5人のうちに国民栄誉賞をくれませんかねえ。記念に。
心は充分悲しんでいるんだけど、哀しみ100%でいられるほど純粋にはなれない。
面白い本を読んで笑ったり、おいしくご飯を食べたり、ごくごく普通に生活できちゃう。
私も大人になっちまったなあ。
…そのわりに心がダダ漏れだが。
明日は職場の飲み会だ。
よし。よぉ~し。
ビジネス笑顔で大人の対応だ!
(T▽T;)
本日の読書:「罪と罰」を読まない 岸本佐知子 三浦しをん 吉田篤弘 吉田浩美
Amazonより
『抱腹必至。読まずに語り、読んで語る読書会
翻訳家、作家、作家であり装丁家の四人が名著『罪と罰』の内容を僅かな手がかりから推理、その後みっちり読んで朗らかに語り合う。』
めったに新刊に飛びつかない私が、本屋さんでこの本に捕まりました。
買ってもすぐには読まない私が、割とすぐ(一月以内)に読みました。
すっげ~、面白い!!
世界的な名作文学『罪と罰』を、読まずに読む読書会。
本、それも小説に関わりの深い4人が、全6章の上下巻を、各章任意の1ページ×3回を読み、いったいどういう小説であるのかを推理するわけです。
ロシア文学は人名が難しいというかめっちゃ長いので、主人公のラスコーリニコフはラスコ、マルメラードフはマル父、ウラズミーヒンは馬、作者のドストエフスキースまでもドストとか言われちゃってる。
物語の舞台であるサンクトペテルブルグってどういう街なのか…「社長島耕作」を参考。
とにかくおっかしくっておっかしくって。
職場の昼休みに読んでいた時は、吹き出さずに読むのが大変。
こらえにこらえて読んでいると、顔がニヤニヤニヤニヤしちゃってそれも怪しい。
結局左手に本を持ち、右手は表情筋を押さえつけて、表情固定で読んでいました。
ページをめくる一瞬が、ニヤニヤニヤニヤ。
そのくらい笑える描写が満載なんですの。
なんていい加減なんだ!と思われるかもしれませんが、表層的なことなどどうでもいいと言ってもいいですよ、何なら。
ほんの少しの手がかりから物語を推理していく、その精度がすばらしい。
どんどん本質に近づいていく様は、推理小説のようでありますよ。
主人公のラスコが殺人を犯した動機はこうなのではないか。
いや、だとしたら読者の共感を得られないから、物語的にはこう持って行くのではないか。
ということは、ドストが書きたかったことは、こっちと見せかけておいてあっちだったのでは。
これらのやり取りが絶品なんです。
ウラズミーヒン=松岡修造
ポルフィーリー=片岡愛之助
に、脳内変換できるようですよ。
あれ?どこかにヴィゴ・モーテンセンもいたような…。
「刑事コロンボ」には、『罪と罰』の影響をかなり受けているそうです。
そして、映画的でありながら、人形浄瑠璃的でもあるようです。
目の前に見えるかのような詳しい描写と、セリフで全てを語ろうとする部分のバランスの妙。
名前の煩わしさを乗り越えれば、ロシア文学ってけっこうエンタメだと思えるところもある…のではないかと大人になってから…米原万理のエッセイを読んだりした後、思ったりしました。
もういちど読んでみようかな…。
壮大なスケールの話なのかと思ったら、すごく細かい日常のディティールをミクロ的細かさで書いていく、まるでニコルソン・ベイカーではないか、という岸本佐知子の分析に、私の目がきらり~んと輝いたのは言うまでもない。
はい。再読します。(^^)/←カラマーゾフの再読はどうする?
とにかく再読してからもう一度この本を読みなおしたい。
そして、読むことの悦びを堪能したい。
“『罪と罰』をまだ一文字も読んでいないときから、われわれ四人は必死に「読んで」いました。いったいどんな物語なのか。期待に胸ふくらませ、夢中になって、「ああでもない、こうでもない」と語りあいました。それはなんと楽しい経験だったことでしょう。(中略)もしかしたら「読む」は「読まない」うちから、すでにはじまっているのかもしれない。(中略)読んでいなくても「読む」は始まっているし、読み終えても「読む」は続いているからです。(中略)本は、待ってくれます。だから私は本が好きなのだと、改めて感じました。”
こんな体験を私もしたいから、本の感想を書いたり読んだりしているのかもしれませんね。

一面はもちろんSMAPでさぁ。(T_T)
なんで私がSMAP好きなことを知ってるんだかわからんけど、心配してくれてありがとう。
新聞といえば今日の毎日新聞。
スポーツ欄の記事タイトルがいちいちスマップの曲タイトルで、もう、何も言えねー。
あとはもう本人たちというより事務所の判断だから、事務所の器の問題だから、北海道に来ませんか?と思ったり。
小樽のお寿司屋さんたちも、SMAPが北海道に来てくれたら喜ぶよぉ。
もちろん私も喜ぶよ~。
とりあえず5人のうちに国民栄誉賞をくれませんかねえ。記念に。
心は充分悲しんでいるんだけど、哀しみ100%でいられるほど純粋にはなれない。
面白い本を読んで笑ったり、おいしくご飯を食べたり、ごくごく普通に生活できちゃう。
私も大人になっちまったなあ。
…そのわりに心がダダ漏れだが。
明日は職場の飲み会だ。
よし。よぉ~し。
ビジネス笑顔で大人の対応だ!
(T▽T;)
本日の読書:「罪と罰」を読まない 岸本佐知子 三浦しをん 吉田篤弘 吉田浩美
Amazonより
『抱腹必至。読まずに語り、読んで語る読書会
翻訳家、作家、作家であり装丁家の四人が名著『罪と罰』の内容を僅かな手がかりから推理、その後みっちり読んで朗らかに語り合う。』
めったに新刊に飛びつかない私が、本屋さんでこの本に捕まりました。
買ってもすぐには読まない私が、割とすぐ(一月以内)に読みました。
すっげ~、面白い!!
世界的な名作文学『罪と罰』を、読まずに読む読書会。
本、それも小説に関わりの深い4人が、全6章の上下巻を、各章任意の1ページ×3回を読み、いったいどういう小説であるのかを推理するわけです。
ロシア文学は人名が難しいというかめっちゃ長いので、主人公のラスコーリニコフはラスコ、マルメラードフはマル父、ウラズミーヒンは馬、作者のドストエフスキースまでもドストとか言われちゃってる。
物語の舞台であるサンクトペテルブルグってどういう街なのか…「社長島耕作」を参考。
とにかくおっかしくっておっかしくって。
職場の昼休みに読んでいた時は、吹き出さずに読むのが大変。
こらえにこらえて読んでいると、顔がニヤニヤニヤニヤしちゃってそれも怪しい。
結局左手に本を持ち、右手は表情筋を押さえつけて、表情固定で読んでいました。
ページをめくる一瞬が、ニヤニヤニヤニヤ。
そのくらい笑える描写が満載なんですの。
なんていい加減なんだ!と思われるかもしれませんが、表層的なことなどどうでもいいと言ってもいいですよ、何なら。
ほんの少しの手がかりから物語を推理していく、その精度がすばらしい。
どんどん本質に近づいていく様は、推理小説のようでありますよ。
主人公のラスコが殺人を犯した動機はこうなのではないか。
いや、だとしたら読者の共感を得られないから、物語的にはこう持って行くのではないか。
ということは、ドストが書きたかったことは、こっちと見せかけておいてあっちだったのでは。
これらのやり取りが絶品なんです。
ウラズミーヒン=松岡修造
ポルフィーリー=片岡愛之助
に、脳内変換できるようですよ。
あれ?どこかにヴィゴ・モーテンセンもいたような…。
「刑事コロンボ」には、『罪と罰』の影響をかなり受けているそうです。
そして、映画的でありながら、人形浄瑠璃的でもあるようです。
目の前に見えるかのような詳しい描写と、セリフで全てを語ろうとする部分のバランスの妙。
名前の煩わしさを乗り越えれば、ロシア文学ってけっこうエンタメだと思えるところもある…のではないかと大人になってから…米原万理のエッセイを読んだりした後、思ったりしました。
もういちど読んでみようかな…。
壮大なスケールの話なのかと思ったら、すごく細かい日常のディティールをミクロ的細かさで書いていく、まるでニコルソン・ベイカーではないか、という岸本佐知子の分析に、私の目がきらり~んと輝いたのは言うまでもない。
はい。再読します。(^^)/←カラマーゾフの再読はどうする?
とにかく再読してからもう一度この本を読みなおしたい。
そして、読むことの悦びを堪能したい。
“『罪と罰』をまだ一文字も読んでいないときから、われわれ四人は必死に「読んで」いました。いったいどんな物語なのか。期待に胸ふくらませ、夢中になって、「ああでもない、こうでもない」と語りあいました。それはなんと楽しい経験だったことでしょう。(中略)もしかしたら「読む」は「読まない」うちから、すでにはじまっているのかもしれない。(中略)読んでいなくても「読む」は始まっているし、読み終えても「読む」は続いているからです。(中略)本は、待ってくれます。だから私は本が好きなのだと、改めて感じました。”
こんな体験を私もしたいから、本の感想を書いたり読んだりしているのかもしれませんね。
