
地下歩行空間でやっていたブックマルシェ。
クリスマスが近いせいか、絵本中心のラインナップでした。
映画のポスターは1枚1000円。
一度図書館に寄ってから戻ってきたら、「マイガール」が「ガンダム」になっていました。
売れちゃったのね~。
猫の写真集のコーナーもありました。
なるほど。
来年は猫年だからね~。(σ・∀・)σ
本日の読書:名作うしろ読み 斎藤美奈子
Amazonより
『『雪国』『竜馬がゆく』から『ハムレット』まで古今東西の名作132冊を、ラストの一文から読み解く。』
“本は読んでいなくても、なぜかみんな知ってる名作文学の書き出し、すなわち「頭」の部分である。では同じ作品のラストの一文、すなわち「お尻」はご存じだろうか。(中略)
だったら調べてみようじゃないの。それが本書のコンセプトである。”
確かにラストの一文ってなかなか気にしたことないなあ。
自信をもって覚えているのって「春が二階から落ちてきた」@重力ピエロ くらいだし。
と思って数えてみた。
全132作のうち読んだことある本は46作。
作品タイトルを見る前に文章だけ読んで、作品タイトルが分かったのは15作でした。
・だから清の墓は小日向の養源寺にある。―坊ちゃん
・幽明遥けく隔つとも僕の心は一日も民子の上を去らぬ。―野菊の墓
・この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。―異邦人
・勇者は、ひどく赤面した。―走れメロス
・三四郎はなんとも答えなかった。ただ口の中で迷洋(ストレイ・シープ)、迷洋と繰り返した。―三四郎
・勘弁してくれ、おらだよ、ここをあけてくんな、さぶだよ―さぶ
・下痢はとうとうその日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ続いていた。―細雪
・「神は天にあり、世はすべてよし」とアンはそっとささやいた。―赤毛のアン
・明日はまた明日の日が照るのだ―風と共に去りぬ
・虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、また、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。―山月記
・その様子は、ザムザ夫妻の目には、彼らの新しい夢とよき意図の確証のように映った。―変身
・みなさんにおたずねしたいと思います。-君たちは、どう生きるか。―君たちはどう生きるか
・聞くともなしに伝へ聞くその明けの日は信如が何がしの学林に袖の色かへぬべき当日なりしとぞ。―たけくらべ
・「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら。」とつぶやきました。―手袋を買いに
・ノラやノラや、お前はもう帰つて来ないのか。―ノラや
あら、意外と覚えているもんだわ。
でもよ~く見てみると、人名だったり状況だったりがヒントになって、推理しているのだわね。
「細雪」は下痢だし、「山月記」は虎だし。
赤毛のアンの一文は、私の覚えているものとは訳が違います。
「神は天にいまし。全て世はこともなし」と、私が読んだ本には書いてあったように思います。
「神は天におりまし」という訳もあったかもしれません。
「坊っちゃん」の『だから』は、日本文学史上最も美しい『だから』だと、井上ひさしが書いているそうですが、私もその通りだと思います、というにはあまりにも読書量が足りていないので、私史上最も優しい『だから』だということにしておきます。
“「ネタバレ」と称して、小説のストーリーや結末を伏せる傾向は、近年、特に強まってきた。
しかし、あえていいたい。それがなんぼのもんじゃい、と。
お尻がわかったくらいで興味が半減する本など、最初からたいした価値はないのである。っていうか、そもそも、お尻を知らない「未読の人」「非読の人」に必要以上に遠慮するのは批評の自殺行為。読書が消費に、評論が宣伝に成り下がった証拠だろう。(中略)
「文句を言っていないで読みなさい」
本の話は「既読の人」同士でした方が絶対おもしろいんだから。”
まあ、エンタメ小説などは、ネタバレすると確かに面白さが半減してしまうものもありますが、私も既読の人と思いっきりネタバレで話をするのは、読書の醍醐味のひとつであると思います。
この本も、自分が読んだ本の部分がめっぽう面白かったもの。
ああ、そうきたか。
え?そう読むの?
でしょ?でしょ?
1作品を見開きで紹介。
たった2ページだというのに、あらすじあり、突っ込みあり、ウンチクありと読みごたえ満載。
未読の本も、読んでみたくなるものが多かった。
132の名作のうち46作しか読んでいないんだもんなあ。
杉本鉞子「武士の娘」、カレル・チャペック「園芸家12カ月」、牧野富太郎「牧野富太郎自叙伝」、鈴木牧之「北越雪譜」、中谷宇吉郎「雪」、網野善彦「日本の歴史を読みなおす」辺りを読んでみたいと思いける。