週末はのんびり過ごしたいものですが、この3連休に合わせたかのように(多分合わせたんでしょうが)10さんが帰ってきました。

明日は病院で検査があるので食事は食べてくる、ということだったので、家に帰って娘とふたり分の食事の用意をしようと思っていたら10さんから電話です。

「ガ…から…ピー…(切れる)」
なんじゃ、こりゃ?と思う間もなく、また電話。
「…ガーガー…えき…ガ…ガ…」
めちゃくちゃ電波が悪いんですけど。
メールして!メールして!メールして!

またもやプツッと切れる電話。
今度はメールが来るだろうと思ったら、またまた電話。
「…36分の…ガ…ガ…ピー…O戸屋(切れる)」

そして私も、切れる。
なんでしつこく電話やねん!!
しかも、微妙に通じたわ!
「36分の電車に乗るから、O戸屋で待て」(ということだと思われる)

しょうがないので食事の支度を中断し、O戸屋で10さんと晩ご飯。
鯵のつみれ汁定食をもりもり食べながら、ねちねちと苦情を申し上げる。

家に帰って、娘の晩ご飯の支度をする。
って、結局手間は同じなんだよ!
でもまあ、音楽を聞きながら機嫌よく支度していたわけです。
きぬさやの筋を取ったりするのは、大好き。
リズムに乗って、筋を取る取る。

何かと話しかけてくる10さん。
「ボールペン、どこにある?」
「朱肉は?」
「音楽、楽しい?」

う・る・さ・い!!!ヾ(。`Д´。)ノ

嵐のように家の中をひっかきまわし、しゃべり倒し、野球中継をガンガン流す10さん。
ひとりで5人分くらいうるさいです。
慣れるしかないのかな…。


本日の読書:PAY DAY!!! 山田詠美

カバー裏より
『ペイ・デイ、給料日。それは、何があろうと、ほんのちょっとだけ、みんなが幸せになれる日―。双子の兄と妹は高校生。ちょっと不器用、でも誠実に生きている二人に訪れる、新しい出会い。別れ。恋。家族の問題。そして、大切な人の死……。新たな青春小説の古典の誕生!ゆったりと美しいアメリカ南部を舞台に、たくさんの生といくつかの死が織り成されていく、堂々たる長編小説。』

夏休みに父と双子の兄のいるジョージアにロビンが遊びに来たところから物語は始まる。
アフリカ系アメリカ人の父とイタリア系アメリカ人の母は離婚して、兄のハーモニーは父とジョージアで、妹のロビンは母とニューヨークで暮らしているのだ。

ニューヨークとは全く違う、アメリカ南部の暮らし。
気候も、風習も。
白人であるか黒人であるかで大きく暮らしぶりの違うアメリカの南部。
彼らはそのどちらでもなく、またどちらでもある。

夏休みが終わりロビンがニューヨークへ帰り、そして起きた9.11。
南部にいてロビンとその母を心配する、父とハーモニー。
ニューヨークにいて事故の現場を目の当たりにし、帰らない母を待つロビン。

この事件が家族に残した傷の深さ。

けれども、人生は哀しみばかりではない。
恋をし、親友をつくり、人に優しくなり、強くなっていく二人。
これは極上の青春小説だ。
中学生や高校生にも是非読んでもらいたいと思った。
ちょっと難しいと思っても、ゆっくりと丁寧に読んでいけば、きっといろんなことが伝わるから。

そんなことを思って読んでいたら、解説に豊﨑由美が全部書いていた。
“大事なことを、大仰な言葉なんかひとつも使わずに、普段着の言葉で、まっすぐに伝える。”
トヨザキ社長、私が言いたかったのは、まさにそこなんですの!

たくさん付箋を貼りました。

“私は、絶対に自分の中の扉を閉ざしたくない。それは、自分が心にかけている人々から、自身も同じようにされたいからだ。”

“「湾岸戦争の話、聞かせて下さい」
「別に。ただの戦争だったよ」”
父の兄であるウィリアム伯父は、湾岸戦争に従軍していたので。

“彼女(お母さん)を疎ましく思い始めた頃、ハーモニーは、自分に期待されているものの多さに、いつも身震いしていた。そんなものを一向に意に介さずに、やんちゃなままでいられるロビンがつくづく羨ましかった。何も望まれない人になりたい。彼は、そう切望した。父といて嬉しかったのは、彼が自分そのものを面白がってくれたからだ。”

“好きな人は、側になんかいなくたって、いつだって抱き締められるのよ。”

“「約束って、未来のためにあるんじゃないのよ。今のこの瞬間を幸せにするためにあるのよ」”

“自分は、何か困難が待ち受けた時、それに立ち向かおうとする。そして、それが不可能だと知った際に涙を流す。その涙は、主に、怒りや悔しさや後悔のために使われる。(中略)それでは、ハーモニーの涙はどうだろう。彼の涙には、もっと柔らかな出所があるような気がする。”

“私は、既に、幸せな無知ではなくなった、とロビンは感じている。あんなことは、もう起きない。起こしてはならないと人は言う。けれど、起きた現実を肌で知るものには、こう言える。起きてはならないことが起きることだってあるのだ、と。”

舞台はアメリカで、いろんな国を背負ったアメリカ人たちが出てくるけど、これは日本の小説だと思った。
どうしてかなあ?
夏から秋にかけて翻訳小説を固め読みしたけど、それとは違う、日本の小説って気が確かにする。
村上春樹には感じないんだけど。なんだろう?
ナショナリズムとは違う。
根っこのところ、メンタルが、日本人っぽいのかなあ。
日本人っぽいってなんだろう?