
コンビニで見つけた、ぐでたまぐでぐでアイス。
私のブログ、スマホ版の背景はぐでたまなんですの。
そのくらいには、好き。
たれぱんだ以来かも。

ふたを開けたら目玉焼きみたいなの。
黄身の部分はマンゴー味。
白身の部分はレアチーズ味だそうです。
酸味が爽やかで、もう少し暑い頃に食べたかったかも。
今日の札幌は小雨も降って寒いのです。
お昼すぎ、姪ちゃんと札幌駅で一度会ってきました。
昨日だったらお天気も良くて暖かかったのに、申し訳ない。私のせいではないけど。
ライブ会場は熱いと思うんだけどね。
本日の読書:色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 村上春樹
Amazonより
『多崎つくる鉄道の駅をつくるのが仕事。名古屋での高校時代、四人の男女の親友と完璧な調和を成す関係を結んでいたが、大学時代のある日突然、四人から絶縁を申し渡された。
何の理由も告げられずに――。
死の淵を一時さ迷い、漂うように生きてきたつくるは、新しい年上の恋人・沙羅に促され、あの時なにが起きたのか探り始めるのだった。
全米第一位にも輝いたベストセラー!』
「貸して~」って言って次男から借りたのは1年以上前。
ようやく読み始め、読み終わりました。
アカ、アオ、シロ、クロの4人の親友。
彼らはけっしてキャラクターではなく、何かのメタファーのはず。
ついでに言うと、灰田と緑川も。
何度もそう思いながら読み続けました。
アカってどんな人?
アオは?シロは?クロはどうなの?
全然見えてきません。
人物に重みがない感じ。
それはキャラクターではなくて、メタファーだからなんだ、と。
“これは夢ではない。幻影でもない。現実であるに違いない。しかしそこには現実の持つべき重みがない。”
では何のメタファーなのか?
完璧な調和と結合からの、暴力的な排除と言えば…誕生ですか?
母の胎内からの強制退場。
無色透明の存在としての新生児。(その割に赤ちゃんと言うが)
または、ライナスの毛布のように、自分とは切っても切り離せないはずのものからの卒業。
ぬるま湯の中では人は成長できない。
成長するというのは喜びでありながら、痛みを伴うものだから。
“自分の中には根本的に、何かしら人をがっかりさせるものがあるに違いない。色彩を書いた多崎つくる、と彼は声に出していった。結局のところ、人に向けて差し出せるものを、おれは何ひとつ持ち合わせていないのだろう。いや、そんなことを言えば、自分自身に向けて差し出せるものだって持ち合わせていないかもしれない。”
ところがこれが単純な成長物語とは読めないのが、多崎つくるって大学生の時の生活と36歳になってからの生活が基本的に変わっていないから。
それは頑ななほどに、5時以降は自分の家で、自分で食事を作って食べる。
テレビなどは見ない。
課題などやるべきことがあったら静かにそれを行い、ないのなら音楽を聞きながら本を読む。
ストイックなまでに変わらない日々。
休みの日は午前中にスイミング。距離もペースも決まっている。
そして洗濯とアイロンがけ。
もちろん彼女がいるときはデートもするだろうし、たまにはひとりで外食もするだろう。
でも、基本スタイルは全く変わらない。
そういう生活の変わらなさから生まれたものが、多崎つくるが持つ色彩だと思うけど、本人にその自覚はない。
でも人って、そういうものかと。
自分の色が造られていく過程で、完璧な調和は崩れていって、その痛みが成長を促すってこと?
いちいち確認しながら読んでいくので、時間がかかってしょうがない。
純文学を読むのに慣れていないからしょうがないんだけれども、多くのハルキストさんたちはこれを難なくなしとげるんだろうから、すごいよなあ。
“そのとき彼はようやくすべてを受け入れることができた。魂のいちばん底の部分で多崎つくるは理解した。人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ。”
突き詰めれば、この部分へ到達するための、多崎つくるの巡礼の話なのでしょう。
そして痛切な喪失を通り抜けた多崎つくるは、そのうえで沙羅を受容する。真の調和をつくるために。
やれやれ。
村上春樹の本を読むのは、私には相当な難行苦行と相成ります。
いつも感覚で本を読んでるからな~。
頭で読んでないからな~。
読解力がないんだな。
“まず駅をこしらえなさい。彼女のための特別な駅を。用事がなくても電車が思わず停まりたくなるような駅を。そういう駅を頭に想い浮かべ、そこに具体的な色と形を与えるのよ。そして君の名前を釘で土台に刻み、命を吹き込むの。君にはそれだけの力が具わっている。”
私にもなにがしかの力が具わっているでしょうか。
本人に自覚はないのだけれど。