巷で大変評判の悪い朝ドラ『まれ』
我が家でも娘と「あーでもない」「こーでもない」と文句をたれながら毎日見ています。
文句を言うなら見なけりゃいいという意見もあるでしょうが、大抵のドラマに文句をつけながら見ているのでいつもどおりといえばいつもどおりなのですが。

けれど昨日の『まれ』はひどい。(いや、結構いつもひどいけど)

世界一のパティシエになるためにコンクールに参加することになった希。
子どもたちの相撲大会が雨で順延になり、コンクールと同日になったため、子どものことが気になり過ぎてケーキをほったらかしにしたまま相撲大会に駆けつける。

以前から希のやることなすことが中途半端ではありましたが、これはあんまりです。
ケーキのテーマは「パティシエと母親の両立」
両立できてないじゃん!

働く母親を応援するどころか、足を引っ張ってますよこれじゃ!!
「だから女には任せられない」
「母親なんだから、子ども最優先が当たり前」
NHKがこんなことやったら、ほら見たことかという人たち、絶対いるんですから。
なんで今さらこんなことドラマでやらせるのかなあ。

そもそも『まれ』のなかに母親らしい母親って出てこないでしょ。

長男が5年生の時、私も10さんもそれぞれに送別会の予定が入りました。
私は、私の送別会だったので断ることができず、10さんはお世話になった方の退職の送別会だったのでやっぱりどうしても出たくて…。
10さんが子ども3人を連れていきました。

少し離れた席に子どもと座っていた10さんは、退職する方に挨拶に行くために長男に下のふたりの世話を頼みました。
「少し挨拶に行ってくるから、下のふたり(小2と小1)の面倒をみていて」

30分くらいして戻ってくると、3人はなにやら小さく笑いながら遊んでいました。
「なんだ。面倒みてろって言ったのに、お前まで遊んでたのか」

長男は「お父さんが言ってるのは、目で見てろってことでしょ。僕が今やっていることが、面倒をみるってことだよ」

なんでこんなことを書いたのかというと、「まれ」の母たちは誰も子どもの面倒をみてないから。
目で見て、反応してるだけ。
唯一いちこちゃんのブログが嘘じゃないかと見破った部分だけが、母子の絆を感じさせたシーンでしたね。

日頃きちんと面倒をみていたら、子どもの活躍を見たくても我慢できるんです。
見なくても、たくさん話を聞いて、「あー見たかったなー」なんて言って、「じゃあ今度また活躍してあげるよ」なんて言って、お互いに折り合いつけられるんですよ。
寂しいのを我慢した子どもに、感謝できるんです。
目で見ることが大事なんじゃないんです。
目で見たうえで、心を満足させるように何かをするのが面倒をみるってことなんじゃないの?

地道にコツコツやっている人が肩身の狭い思いをしないように、もう少し心配りのできるドラマ作りをしてほしいと思いましたよ、痛切に。
と言ってももうとっくに収録終わっていますけどね。
┐( ̄ヘ ̄)┌


本日の読書:荒神 宮部みゆき

Amazonより
『時は元禄、東北の山間の仁谷村が一夜にして壊滅状態となる。隣り合う二藩の因縁、奇異な風土病を巡る騒動…不穏さをはらむこの土地に“怪物”は現れた。仁谷擁する香山藩では病みついた小姓・直弥や少年・蓑吉らが、香山と反目する永津野藩では専横な藩主側近の弾正や心優しきその妹・朱音らが山での凶事に巻き込まれていく。恐るべき怪物の正体とは?交錯する北の人々はそれぞれの力を結集し、“災い”に立ち向かう!』

宮部みゆきの書く時代小説は、人の心の機微がとても繊細に描かれる。
宮部みゆきの書く現代を舞台にしたミステリには、辛い真実にも目をそむけずに現実を受け入れる、強い心を持った人がよく出てくる。
宮部みゆきのファンタジーは、現実には起こり得ない出来事を通して、成長する過程が詳しい。

そんな宮部みゆきの小説の心地よい部分が、ひと塊になった小説。
読んでいてその筆力に圧倒される。

何が起こったのかわからないまま壊滅した村。
山を挟んで隣り合う村。となりだからこそ反目しあう藩。
稲作だけでは生きていけない貧しい村で、心優しい人たちがつましく生きている。

怪物。お家騒動。
ひとを使い捨てて顧みることのない、藩主側近。

思いやりが人の心なら、憎しみも人の心。
解き放たれた恨みの心には、敵も味方も変わりはない。

“最初から味方を喰わせようちゅうてぇ、怪物をつくるバカはねえ”

“「こうしたことをみんな、誰も悪いと思ってしているのではない。よかれと思ってやっているのだ」
呪詛にしろ、お山の怪物にしろ、曽谷弾正が永津野でやった養蚕の振興策や、人狩りでさえもそうだ。我が藩を富ませるため。我が藩の領民のため。大事な家族のため。この地に生きる民を守るため。”

“きっと、誰かがこの事を覚えていなくてはならないからだ。
人の性を。人の業を。罪は、忘れられても消えぬということを。
「よかれと思い、より良き明日を望んで日々を生きる我々が、その望み故に二度と同じ間違いをせぬように、心弱い私こそが、しっかりと覚えておかねばならない」”

朱音の生き様。
蓑吉の行く末。
私も深く深く考えることにする。

架空の藩、架空の土地の物語ではあるけれど、今の福島県が舞台になっている。
となると、自ずと考えてしまうのは…。