今ハマっているもの。それは『ブーシュカマッチ』。
なんじゃそりゃ?と思う人も多いと思います。
アメーバの無料携帯ゲーム『ブーシュカ』が、落ちゲーになったやつです。
実は落ちゲーが苦手な私。
でもかわいいかわいい『ブーシュカ』にほだされて、先週の水曜日からはじめて、土曜日には全50ステージクリアしました。
各ステージは、得点ごとに☆が1~3個もらえます。
つまり☆150個でコンプリートとなるわけですが、今146個をゲット。
どんだけハマっているんだ、自分。
色とりどりのブタがころころ転がっている絵面を見るだけで癒されるのよ。
「またブタですか?」と同僚に言われたけれど…。
本日の読書:ふりだしに戻る 上 ジャック・フィニイ
カバー裏より
『女ともだちの養父の自殺現場に残された一通の青い手紙。その謎の手紙は90年前、ニューヨークで投函されたものだった。ぼく、サイモン・モーリーはニューヨーク暮らしにすこしうんざりしはじめていた。そんなある昼下がり、政府の秘密プロジェクトの一員だと名のる男が、ぼくを訪ねてきた。プロジェクトの目論みは、選ばれた現代人を、「過去」のある時代に送りこむことであり、ぼくがその候補にあげられているというのだ。僕は青い手紙に秘められた謎を解きたくて「過去」へ旅立つ。
鬼才ジャック・フィニイが描く幻の名作。20年の歳月を越えて、ふたたび蘇る。』
タイム・トラベルの古典的名作。
しかし、やはり古典感は否めない。
1970年に書かれた作品だが、主人公は広告会社のイラストレータ。
CGなんて当然なくて、CM用のアニメーションの原画を手書きするのが仕事。
タイム・トラベルの方法が、秀逸。
なんと催眠術。というより、自己暗示(?)
それで過去に行けるんですか?行けるんです。
1970年のさらに90年前のアメリカは、びっくりするほど大昔。
汽車も自動車もあるけれど、基本は馬車。
当時の風俗や町並みなど、事前に充分勉強していったはずなのに、所々でちぐはぐな受け答えになってしまう。
主人公がイラストレータというだけあって、彼が書いた風景や人物たちのイラストが、臨場感を煽る。
で、何が古典感が否めないのかというと、タイム・トラベルという大事業に対する楽天的すぎる対応。
一応、タイム・トラベル後には、歴史が変わっていないか一々スタッフがチェックするのであるが、歴史が変わったかどうかって、検証できるものではないでしょう?
だって、変わってしまったらそれが正統となって、歴史として残っているだろうから。
変化の中にいる人たちにはそれが認識されないと思うの。
作中では「小枝理論」が、歴史は変わらない根拠となっているのだけど。
まっすぐ流れている水の中に小枝を1本入れたところで、小枝のほんの周辺は水の流れも変わるけれど、大勢に影響を与えるほどの変化はなし、というもの。
でも、小さな変化がさざ波のように全体に動きを与えてしまう可能性は考えないのかね、と思う。
またはパラレルワールド。
変化が起きた時点で、変化が正常となっている世界へスライドしていく。
無限スライドのパラレルワールド。
数々の楽天的ではいられない場合が、過去のSF小説の中で提示されている。
その辺がすこんと抜けている辺りが、古典なのかな、と。
それでもこれはまだ上巻。
下巻でどんなどんでん返しがあるのかないのか。
それはこれからのお楽しみ。
なんじゃそりゃ?と思う人も多いと思います。
アメーバの無料携帯ゲーム『ブーシュカ』が、落ちゲーになったやつです。
実は落ちゲーが苦手な私。
でもかわいいかわいい『ブーシュカ』にほだされて、先週の水曜日からはじめて、土曜日には全50ステージクリアしました。
各ステージは、得点ごとに☆が1~3個もらえます。
つまり☆150個でコンプリートとなるわけですが、今146個をゲット。
どんだけハマっているんだ、自分。
色とりどりのブタがころころ転がっている絵面を見るだけで癒されるのよ。
「またブタですか?」と同僚に言われたけれど…。

本日の読書:ふりだしに戻る 上 ジャック・フィニイ
カバー裏より
『女ともだちの養父の自殺現場に残された一通の青い手紙。その謎の手紙は90年前、ニューヨークで投函されたものだった。ぼく、サイモン・モーリーはニューヨーク暮らしにすこしうんざりしはじめていた。そんなある昼下がり、政府の秘密プロジェクトの一員だと名のる男が、ぼくを訪ねてきた。プロジェクトの目論みは、選ばれた現代人を、「過去」のある時代に送りこむことであり、ぼくがその候補にあげられているというのだ。僕は青い手紙に秘められた謎を解きたくて「過去」へ旅立つ。
鬼才ジャック・フィニイが描く幻の名作。20年の歳月を越えて、ふたたび蘇る。』
タイム・トラベルの古典的名作。
しかし、やはり古典感は否めない。
1970年に書かれた作品だが、主人公は広告会社のイラストレータ。
CGなんて当然なくて、CM用のアニメーションの原画を手書きするのが仕事。
タイム・トラベルの方法が、秀逸。
なんと催眠術。というより、自己暗示(?)
それで過去に行けるんですか?行けるんです。
1970年のさらに90年前のアメリカは、びっくりするほど大昔。
汽車も自動車もあるけれど、基本は馬車。
当時の風俗や町並みなど、事前に充分勉強していったはずなのに、所々でちぐはぐな受け答えになってしまう。
主人公がイラストレータというだけあって、彼が書いた風景や人物たちのイラストが、臨場感を煽る。
で、何が古典感が否めないのかというと、タイム・トラベルという大事業に対する楽天的すぎる対応。
一応、タイム・トラベル後には、歴史が変わっていないか一々スタッフがチェックするのであるが、歴史が変わったかどうかって、検証できるものではないでしょう?
だって、変わってしまったらそれが正統となって、歴史として残っているだろうから。
変化の中にいる人たちにはそれが認識されないと思うの。
作中では「小枝理論」が、歴史は変わらない根拠となっているのだけど。
まっすぐ流れている水の中に小枝を1本入れたところで、小枝のほんの周辺は水の流れも変わるけれど、大勢に影響を与えるほどの変化はなし、というもの。
でも、小さな変化がさざ波のように全体に動きを与えてしまう可能性は考えないのかね、と思う。
またはパラレルワールド。
変化が起きた時点で、変化が正常となっている世界へスライドしていく。
無限スライドのパラレルワールド。
数々の楽天的ではいられない場合が、過去のSF小説の中で提示されている。
その辺がすこんと抜けている辺りが、古典なのかな、と。
それでもこれはまだ上巻。
下巻でどんなどんでん返しがあるのかないのか。
それはこれからのお楽しみ。