昨日は家にたどり着いたのが夜中の11時半近く。
片付けは後回しにしてとりあえずさっさと寝ようと思いながら、バッグを開けて荷物を片付け、旅行中に読んだ本のデータをノートに書き記し、ブログ巡りをして2時。
布団に入ったら、ぱたんと寝ました。

行きは飛行機で新潟へ直行しましたが、帰りは東京経由で帰ってきました。
新幹線で窓の外を見ると、国境の長いトンネルを抜けて群馬に出たあたりからちらほらと桜が見えます。

桜が咲いているのを見ると思い出す娘の姿があります。
子ども3人を連れて10さんを残し札幌に転勤した年。
仕事に慣れていない私は、毎日毎日残業でした。
なるべく子どもたちと一緒に晩ご飯を食べよう、から、起きている間に帰ろう、へ。
そうして札幌に桜が咲いた5月の頃には、かろうじて小6の長男は起きていても、小3・小2の下2人は夢の中なんてことも。

休日出勤の日曜日。
朝普段以上に早く家を出て、なんとか夕方、外が暗くなり始めたころに家に帰ったとき。
部屋の電気もつけないまま、薄暗い中で窓の外を見ている娘がいました。

男どもふたりは?と聞いたら振り返ることもなく「サッカーの練習だって」
娘は「せっかく桜が咲いたのに、誰も見ないのはもったいないよ」って、振り向くこともなく。
そのうしろ姿が、もう何年もたっているのに忘れられないんですよね。

ところが次の年、自宅待機のかかっている土曜日だというのに、子ども二人を連れておにぎり持って、近くの公園に花見に行きましたところ、「わ~い!!」と喜んでいたはずの子どもたちは公園で友だちに会うと、さっさと母をおいて友だちの方へ走って行ったのでした。
荷物番を兼ねて桜の木の下で寝そべって本を読みながら子どもたちの後姿を見て、なんだかとても幸せだったように思います。

遊ぶことに何の躊躇もないのは小学生のころまで。
もしかするといまどきのお子さんたちは早期教育に忙しく、小さなころから遊ぶことに後ろめたさを感じるものなのかもしれませんが、うちの子どもたちは全ての教育は学校から(笑)だったので、小学生のころは100%の力で遊んでいました。
それは彼らにとって至福の時だったかもしれませんが、笑顔で、疑うこともなくまっすぐな心で生きている彼らの姿を見ることは、親の私にとっても幸せな時だったということを、新幹線の窓から桜を見ながら10さんと話しました。

薄暗い部屋で小さく背中を丸めて窓の外を見ている娘の姿と、青空のもと友だちに向かって走っていく娘の後姿。
いつかこうやって親元から外に出て行くんだな~と、荷物番をしながら思ったのでした。

途中大宮で10さんと別れ、暗くなり始めた都会を新幹線はひゅ~んと走って行きましたが、家に辿り着くのはそれからまだ何時間も先のことです。


昨日の読書:映画篇 金城一紀

カバー裏より
『人生には、忘れたくても忘れられない、大切な記憶を呼び起こす映画がある。青春を共にし、別々の道を歩んだ友人。謎の死を遂げた夫。守りたいと初めて思った女性……。「太陽がいっぱい」「愛の泉」など名作映画をモチーフに、不器用ゆえ傷ついた人々が悲しみや孤独を分かち合う姿を描く5篇を収録。友情、正義、恋愛、復讐、家族愛と感動―物語の力が彼らを、そしてあなたを救う。』

5篇の作品タイトルはそれぞれに映画のタイトル。
「太陽がいっぱい」「ドラゴン怒りの鉄拳」「恋のためらい/フランキーとジョニーもしくは トゥルー・ロマンス」「ペイルライダー」「愛の泉」
ひとつも観たことがない。orz

私が熱心に映画を観るようになったのはここ1~2年ほどのことなので、観てない名作の多さに打ちのめされるとともに、映画を観ることの楽しさや必然というか巡り合わせのようなものも強く感じた。
要するに、私が本に対して感じたり得たりしていたことを、映画で感じたり得たりすることができるわけなんですね。

「小説はよかったけれど、映画はね…」
と簡単に言っていたけれど、映画って監督とキャストだけではなく、音楽だったり、その舞台であったりと、表現する世界は同じなのに、そこへのアプローチが関わる人の数だけ存在するので、映画を理解するというのは私にとって、かなりハードルが高いことなのである。
心の深いところで理解できるのが一番いいことなのだろうけれど、理解力に自信のない私はどうしてもなんらかの情報から理解の手助けをえようとしてしまう。
多くを観ることによって、自然と理解力は増していくのだろうか。
みんな、どうやって映画を味わっているのかが知りたいところだ。

この「映画篇」という小説は、作品タイトルになっている5つの映画だけではなく、数多くの映画が登場人物たちの人生を彩っていく。
5つの短編を扇の要のようにまとめているのが「ローマの休日」。(これも観てねーorz)

区民会館で行われる「ローマの休日」の無料上映会が、各作品で転換点となる。
映画を観て泣いたり笑ったり惜しみなく拍手をしたり。
そしてそのあとの人生が、少し色合いを変えていく。

いいなあ。
私もそんなふうに映画を感じることができたら、もっと人生が豊かで楽しくなるような気がする。
よし、映画を観よう!
そう思わせてくる小説だった。

これは、連作短編集というか、連作短編を装った長編小説というか、とにかく「ローマの休日」が要になる。
裏バージョンとしてひたすら各作品でけなされている人妻の不倫映画もあるのだけど、これだけがタイトルを記されていない。わかる人にはわかるのだろうけど、この映画を探してみるのも楽しみの一つかもしれない。

ところで区民会館とあるから、私は札幌市の区民センターのような小さい会場を想像していたのだけど、1200人収容とあるから結構な大会場。
道新ホールで700人だからね。(「ベニスに死す」の上映会をこの会場でやったとき、特大スクリーンに映るビョルン・アンドレセンの美しさに泣いた)
東京以外にお住まいの方は、市民会館とかそこら辺をイメージして読んだ方がよいかと思います。

“龍一と見た映画を起点にして目の前に広がる記憶には、不幸せだった事柄がぽっかりと欠落しているのだ。映画の力で導かれた記憶の中の僕は、いつでも軽やかに笑い、素直に泣き、楽しそうに手を叩き、一心不乱に龍一と語り合い、はつらつと自転車を漕いでいた。”

結構な感動作に持って行こうとしているように思わせておいての着地点は、あっけらかんと「参りました」が言える素敵なオチで、心を鷲掴みにされなおしたところでエンディング。
好きだわ~、こういうの。