金曜の深夜に帰ってきた次男。
おしゃべりもそこそこに「おやすみなさ~い」

土曜日は私が朝から夕方までお出かけ。
映画を2本見てきました。
次男の方は昼から晩までお出かけ。
晩ご飯を食べて、だらだらお酒を飲みながら、テレビを見ながら、おしゃべり。

で、今日。
彼が何のために札幌に帰ってきたのかというと、コンサドーレのホーム開幕戦を観に行くため。
長崎を相手にどういう闘い方をするのか、予測をもとに先発メンバーを予想。

稲本には初戦のような動きを期待したいね。
宮沢には、中盤と前線をスムーズにつなぐ動きをしてもらいたい。そろそろこれという結果を出そうよ。
ナザリトもいいけど、戸倉にも得点してほしいね。
しかしウッチーにも頑張ってほしい。
上里はボランチの方が安心して見ていられるんだけど、攻撃力はあるんだから、そこをもっともっと伸ばしてほしいよね。

なんて話を道々ずーっとしゃべりながら札幌ドームへ向かいました。
いやあ、やっぱり風が冷たい。
啓蟄って何のこと?

試合は結局負けてしまいましたが、結果というより内容がねぇ。
とにかくいいところも悪いところもこれといってなく、攻めることもできなかったけど攻められていたわけでもなく、近年まれにみる見どころのない試合でした。
謙伍のファイトがまあ、よかったか。
次節はシャキッとした試合をしてほしいものです。

家に帰ってからも、お酒を飲み飲み次男と反省会。
とにかくよくしゃべる母子なのです。


本日の読書:不機嫌亭漱石 『坊っちゃん』の時代 第五部 関川夏央 谷口ジロー

Amazonより
『近代日本の青春、明治は終焉した。果たして明治時代とは何だったのか。
生死の境を往還する漱石の脳裡に去来するものはーー
鷗外、啄木、子規、一葉、二葉亭、ハーン、そして猫。
時代を駆け抜けた文人、政治家、軍人、
侠客を綾錦の如く織り込んで明治を描き切った関川・谷口コンビの傑作、ついに完結!
第二回手塚治虫文化賞を受賞。』

明治43年8月。病床にある漱石。
胃が気持ち悪いと言いつつ生卵2個とご飯を3膳食べる。
空腹に耐えかね、温熱療法で腹の上にのせている温めたコンニャクをちぎって食べる。
文豪なのに食い意地はり過ぎ、と思ったけれど、さすが正岡子規の友人と思いなおす。
類は友を呼ぶのだなあ。

8月24日。
大量に喀血し、30分ばかり漱石は死んだ。
死んだという意識は本人にはないが、確かに呼吸が止まり瞳孔が開いて、漱石は30分ばかり死んでいた。

その時漱石は、啄木を道案内に昔懐かしい、しかしよく考えると今はもうこの世の人ではない人たちに会いに行っていたのだ。

漱石は神経を病んだり胃を病んだりと繊細なので、せっかく懐かしい人と邂逅しても、心残りをなくすどころか却って思考がぐるぐるまわりをしてしまうのだが、最終的には何となく自分を納得させて前に進んでいるところがある。
たぶんそういうところが漱石の人気の所以なのではないか。
理詰めだけではない、納得は行かなくてものみこんで消化しようとする姿勢。
消化できるかできないかはさておき。
真面目なんだよね。だから神経や胃をやられる。

案内人の啄木は「ぼくをご覧なさい。借金で首はまわらず 家庭内はいざこざばかり。なのに この晴朗さ。悩みは深いが この無責任。時代閉塞の日本では こう生きるのが賢明です」と、あっけらかんと言ってのける。
知り合いじゃなければ好きだ、こういう人。

病状回復後、文部省から博士号を叙されたときに漱石が言う。
「疲れても 已め得ぬ戦いを持続しながら けい然として独り老いるのは 惨めというほかはない。惨めというほかはなくとも……。僕は官の世話にならない。大学の世話にならない。博士号の世話にもならない。一介の夏目金之助としてこの苦を引き受けて 偶然生還したこの世に とどまる心算だ。」

自分の人生に悔いの残らない人などいないであろうに、こんなことを考えているから、体を壊すのだ。
そして、漱石は文豪になった。

シリーズ五巻を続けて読んで、明治って面白いなあと思った。
江戸から繋がる明治。明治から繋がってる平成。
大きく変わったはずなのに、ぐるりと一回りして同じところに戻ってきたような気がするのは、気のせいなのだろうか。