先日出張に行った愛別の駅。
隣の駅「いかうし」が気になる。

愛別町はきのこの里というだけあって、内陸にあるのです。
海ははるか遠い。
だけど頭に浮かぶ漢字は「烏賊牛」。

聞いたことないよ。「烏賊牛」。絶対違うって。
頭の中をリセットしてもう一度考える。「以下牛」。何から以下が牛なのか?
えーと、えーと。「胃下牛」。胃より上はなんだというのか?
んーと、んーと。「異化牛」。俄然怖い感じになってきた。

北海道の地名はアイヌ語由来のものが多く、「○○牛」という地名は結構あるのです。
高校バレーで有名な「妹背牛(もせうし)」(イラクサが繁茂している場所)
北の国からのロケも行われた「美馬牛(びばうし)」(沼貝がいるところ)

さて、隣の駅に着きますと、そこに書いてあった漢字は
「伊香牛」
あら、なんかフツ―。
意味は(越すところ)(あふれるところ)だそうです。
石狩川が氾濫したことがあったのかもしれませんね。

いっそのこと烏賊と牛が合体したようなゆるキャラでも作ったらいかが?と思いましたが、愛別町にはすでにあいちゃんマンという、一見カレーパンマンと見間違えそうな御面相のゆるキャラが既にいるのです。

しかし「いかうし」インパクトあるなあ。



本日の読書:古本の時間 内堀弘

Amazonより
『数知れない古本との出会いと別れ。多くの作家やファンとの交流の歴史。古本の醍醐味と業界の仲間たちを温かい眼差しで描く、珠玉の古本エッセイ集。古本と業界の秘話が満載!』

東京の古本屋さんが、「図書新聞」に連載しているコラム約10年分をまとめたもの。

古本屋さんには、独自の時間が流れているように思う。
少し前まで、町の中にちらほら見かけた古本屋さん。
新刊書店では見かけないけれどちょっと面白そうな本が、少しくたびれた顔をして棚に並んでいた。
その背表紙を見て歩くのが好きだった。
もちろん、専門書ばかりをそろえている、敷居の高そうな本屋さんもあったけれど。

内堀さんは、詩歌専門の古書店を営んでいる。
ものすごく間口が狭そうで、「やっていけてるんですか?」と思うのだが、本を読む限りは楽ではないけれどやっていけているようだ。
経済的には楽ではなくても、それを上回る楽しさが、この本のあちこちから立ち上ってくる。

佳い本を見つける楽しみ。次の人に手渡す楽しみ。紹介する楽しみ。
楽しみの裏側にはもちろん大変なことも多いだろう。
騙されたり、損をしたことだって、欲しい本を手に入れられないことだってある。
毎日が勉強であり、真剣勝負だ。
本に対する愛情が、原動力になっているのだろうか。

“でも、古本屋に本を売るのは、そんなに本が可哀想なのだろうか。私は古本屋だけど、ここに来た本は本当に幸せだと思っている。本を次に活かすための努力を、ここでは愚直なほどに惜しまないからだ。”

“古いものを買うということは、すなわちそれを思う自分を買うことだ。”

“なるほど、凄い本があるわけではない。凄いと思う気持ちがあっただけなのか。”

古ければいいというものではないけれど、古いものの良さもわかる、そういう人でありたいと思う。
手間暇をかけることを無駄だと切り捨てたり、時間の中でくたびれていったものを汚いと表面だけで断じるようなことは、したくないと思う。

“書店という場所が「現場」から「職場」になっている。”

“不便も無駄も通り抜けていない知識には味気がない”

ネットで検索は便利だけれど、思いもよらないつながりを発見したり、ひょんなことから長年の疑問が解消したりっていうアナログの知識は、結構快感だと思うんだけどな。

本棚と本棚の間の通路すら本でいっぱいになってしまった古本屋さんが、道路拡張工事のため移転することになったとき
“この本の山を崩していたら、中から50ccの原付バイクが出てきたというのだ。「そういえば何処にいったのかなって思ってた」”
呑気すぎるやろ~。

古本屋さんの入札会に、戊辰戦争で使われた大砲一門が出品されたこともあるそうだ。
“戊辰戦争のものとはいえ、大砲を勝手に売買するのは銃刀法違反ではないか、いや大砲といっても小さいから大丈夫(そういう問題ではないと思うが)、結局実用には堪えない骨董品ということで出品が認められた。”

もう、愉快愉快。
大の大人が真剣にこんなやり取りをして、そうして日本の文化を守っていってくれているのだなあ。

だから私は新古書店に読んだ本は売らないと決めている。
あそこには本に対する愛情が感じられないからなあ。
だからといって目利きの古本屋さんに持って行って「この程度の人間か」と私を値踏みされるのも、怖くてできないでいるのである。
ああ、悩ましい。