カフェでランチができないのに、バル〈洋風居酒屋〉でランチができるとは、これいかに。

昨年4月にひとり暮らしを始めた時、休みの日にはオサレなお店でランチを食べよう。うひひ。
と思っていたはずなのに、生来の貧乏性につき、また、女子力の不足により、なかなか実行するに至らなかったのが返す返すも無念です。

この4月からは同居人ができることに相成り候故、やっつけ仕事でオサレランチしてきました。

じゃじゃ~ん。

どうです、こぼれスパークリングワイン。
こぼれてる段階でオサレというより、いやしい系。
グラスに1杯。升に1杯。
で、ほぼ2杯分のスパークリングワインが、お値段なんと500円!

ますますオサレから遠ざかっていくわたくし。

でも、サーモンはおいしゅうございました。
上に載っているクリームチーズも、マイルドな中にもしっかりとしたチーズのこくがあって、おかわりしたいくらいでした。

ランチに何千円も使えないので(結局貧乏性)、まあ、この辺で勘弁しといてやるわ!と帰ってきましたが、量的にはまだいけた。^m^

晩ご飯は簡単に、芋の煮っ転がし、若竹煮、塩サバ、すぐきの漬物、みそ汁の予定。
煮ものは作っておくと2~3日は持つからなあ、という日も残りひと月半。
ひとりの時間を大事にうだうだしようっと。


本日の読書:失われた町 三崎亜記

カバー裏より
『ある日、突然にひとつの町から住民が消失した―三十年ごとに起きるといわれる、町の「消滅」。不可解なこの現象は、悲しみを察知してさらにその範囲を広げていく。そのため、人々は悲しむことを禁じられ、失われた町の痕跡は国家によって抹消されていった……。残された者たちは何を想って「今」を生きるのか。消滅という理不尽な悲劇の中でも、決して失われることのない希望を描く傑作長編。』

好きか嫌いかでいうと、この作品ものすごく好き。
5段階評価でいうと、星五つ。

ただ、欠点も色々ある。

まず第1に会話文が下手。
会話だけを取り出して読むと、話し手の年齢も性別もまったく違った風に読めてしまうことが多々あった。
20代の彼女。40代の彼女。50代の彼女。
全く同じで、どれも私には40代のガサツなおばちゃんにしか読めなかった。

園田さんに至っては、おじさんでしょ?
最終章を読むまでは、勝手におじさんに脳内変換して読んでいた。
最終章で、園田さんは女性でなければならないと気づき、女性に戻してみたものの、会話文はやっぱりおじさんで。

30年に一度、町から人々が消失する。
どこの町が消滅するかはわからない。それは町の意志なのだという。
大切な人を消失しても、悲しむことは許されない。
悲しむと、町に付け込まれるから。消滅した町に追いかけられるから。
しかし許されないからと言って、悲しまないでいられるわけがない。
町に悟られないよう、喪失感を抱えながらそっと偲ぶ人たち。

町の消滅を食い止めるために、身を削って働く人たちがいる。
消滅した町に関わると、汚染されてしまうのだ、
人体が珪質化するという。
少しずつ汚染の毒を体内に蓄積させながら、消滅の連鎖を食い止めるために働く人たちがいる。

なぜ町は消滅するのか。
消失した人々はどうなっているのか。
説明は、ない。

なくていいと思う。
この世界を書きたかったわけではないのだろう。
この世界に生きる人たちを書きたかったのだと思う。

けれど、人々の行動に説得力を持たせるためにはある程度の世界の構築は必要で。
妙に詳しく書きすぎていたり、その割に矛盾があったり土台がぜい弱だったりして、もう少し整理したほうがいいと思った。
もっと時間をかけて練り直せば、もっと読みやすく、伝わりやすい作品になったのではないか。
それができる力量のある作家なのではないか。
そこが少し残念なところではある。

でも。
好きだ。この作品。
善人しかいない、人の生死を取り扱って感動を作ろうとしている小説なんて、大嫌いなんだけど。

痛みや哀しみを抱えながら、それでも自分の意志で誰かのために何かを成す。
甘い。甘いよ。
普段だったらそう思うはずの私が、ずっと、何か懐かしいものに包まれたように、幸せにこの本を読んだ。

読み終わって思い出したのは、高校生の時に大好きだった森下一仁の作品たち。
人の心の繊細さと冷徹な現実の按配が、多分とても似ているのだと思う。
そして、この配分が、私はめっぽう好きなのだと。
ちょっと間違えると甘々で、数値化も言語化すらもできない人の想い。

町を消滅から救うのは、人が消えた後もどこかに残る、人の想い。
消えてしまったけれど、思い出すことはできないけれど、無くなりはしない人の想い。
それをつないでいくことの意味。

“人には決して癒されえぬ悲しみや苦しみがあることを知る音だった。それらを抱えたまま、それでも進んでいかなければならないという貫くような意志と想いが託されていた。”

“人は失われても望みは受け継がれてゆく。決して失われないものもあるのだ。”

物語は、ハッピーエンドとは言えないかもしれない。
けれど私はこの世界、閉じた環ではなく、上昇していく螺旋と信じたい。
少しずつでも。

3.11より前に書かれた作品。
読む人によっては拒否反応を起こすかもしれない。
それでもいつか、時が充ちたら、この作品を読んでほしいと思うのだけれど。