今週は、職場のパソコンの入れ替え作業をやっています。
職場のパソコンはリースなので、リース期間満了による更新です。

以前は3~4年も前のパソコンなんて、容量も少ないし動作も遅いし、次々と新しいパソコンを提供されるリースの方が何かと便利だったのですが、今や4年前のパソコンでも充分容量はありますし、面倒くさいからそのまま使い続けていたいのが本音です。

しかし嫌だと言っても従わないわけにもいかないので、まず、物理的にパソコンを移動します。
机の上に新旧のパソコン、モニタ、キーボード、マウスを並べ、新しいパソコンのセットアップをします。
そして、各種初期設定。
管理者権限で行うもの、ユーザー権限で行うもの。
画面を切り替えては、あーだこーだと設定しなければなりません。

例えばプリンタとの接続。
例えばスキャナとの接続。
例えばメールの接続。
例えばスケジュール共有システムへの接続。
例えば各種業務のためのシステムへの接続。

あれ?じゃあ、旧のパソコンはなんで机の上に置いているの?
それは、通常業務と並行しながらそれらの作業を行っているからじゃよ!!!

新のパソコンの設定に専念していたって、なかなか進まないはずなんですよ。
なんたって苦手分野のど真ん中ストライクですからね。
でも、明けない夜はない。
時に立ち止り、時に涙しながらコツコツ続けた初期設定。
終わった~!!

はい、では旧のパソコンから必要なデータをコピーして移動してくださいね。
うえ~。まだ終わらんのか。
でもまあ、データの移動くらいは昼飯前よ。朝飯は食っちゃったからね。
ちょっとくらい時間がかかったって晩飯前よ。

でもって、移動したデータが新しパソコンのシステムで正しく作用するか確認したら、パソコンのお引越しも無事終了です。
しかし…。

システムが立ちあがりません!
データがあるのにデータがないと言い張っています!
なんか画面が変です!

1月27日までに完全移行しとけよと言われているのですが、しくしくしく、つらい。
私、古いパソコンでいいです。しくしくしく。

新しいパソコンは、以前のパソコンに比べて若干サイズが大きいのです。
なので、モニタが机に載りきらなくて、私の左側にある脇机の上に置いています。
キーボードは体の正面にあるのに、モニタは左。
肩がパンパンに張っています。
心身ともに辛い日々。(/TДT)/



本日の読書:ニュークリア・エイジ ティム・オブライエン

カバー裏より
『元チアリーダーの過激派で「筋肉のあるモナリザ」のサラ、ナイスガイのラファティー、200ポンドのティナに爆弾狂のオリー、そしてシェルターを掘り続ける「僕」……。'60年代の夢と挫折を背負いつつ、核の時代をサヴァイヴする、激しく哀しい青春群像。彼らはどこへ行くのか?フルパワーで描き尽くされた「魂の総合小説」。』

過去の回想の合間に語られる現在。(といっても、20世紀末)
過去が徐々に現在に近づいてきた、その時に…。

僕ことウィリアムは、少年時代から非常に繊細で、世界の終わりが来ること、その時をずっと怖れていた。
核兵器による終末におびえ、家の地下室に卓球台を利用したシェルターを作る。
学校の備品庫から持ってきた大量の鉛筆でシェルターを覆う。
なぜ?―鉛は放射能を通さないんだよ。
坊や、黒鉛〈鉛筆の芯〉は鉛とは違うんだよ。

でも本当に怖いのは、こんなに核の恐怖が身に迫っているのに、誰も怯えていないこと。
だって、人類が滅亡するかもしれないんだよ。
どうしてみんな平気なの?なんでもないような顔しているの?

「うちの子は少し普通じゃないかもしれない」
そう思う両親を心配させないために、ウィリアムは普通の子を装う。
そして、ヴェトナム戦争がおこった。

殺される人々、情景をありありと思い浮かべるウィリアム。
銃で、ミサイルで、焼き払われて死んでいく人たち。

大学三年の時、ウィリアムは毎週月曜に学内のカフェテリアでポスターを持って立つ。
「爆弾は実在する」
映画でもテレビドラマでもなく、爆弾は実在するんだということを、なぜみんなは気がつかないふりして生きているのか。
僕は怖い。怖い。怖い。
爆弾で殺されたくなんか、ない。

いつしか数人の仲間ができ、反戦運動へと流れていく彼ら。
ウィリアムが恐怖を訴えれば訴えるほど、変人だと異常だと狂っていると言われてきたが、ここに来て初めて仲間ができる。

“正常な人間は何かをするときには危険性など特に気にはしないで物事を進めていくものなのだ。なぜならその危険性はそこに実際に存在しているわけではないからだ。実際に何かが起こったときには、その正常な方々は肩をすくめて「やれやれ」という。”

遂にウィリアムに召集令状が届いたとき、彼は身を隠し、意に反した形で仲間たちと過激派グループに参加していくことになる。

戦争はよくない→戦争を止めるべき→想像力のない大衆を止めるためには武器の使用もやむを得ない
兵役を拒否してきたはずなのに、体を鍛え、武器の使い方を訓練する日々。

“「テロルの時代にあって」とエベニーザーは高らかに宣言した。「良心的兵役拒否などというものは存在しない。兵役に代わる奉仕など存在しないのだ。」”

“僕はリスの思考をした。この世の中に生命を捨てるほど価値のあるものなどないのだ。何ひとつない。威厳も、政治も。何もない。生命を捨てる価値のあるものなどひとつとしてないのだ。”

ウィリアムの言い分の方が「わかる」と思ってしまう私は、異常側なのだろうか。
世の中の方が間違っているのでは?
と思って読み進めてきたのはこの辺りまで。

現在のウィリアムは組織を抜け、結婚し、愛する妻と娘の3人暮らし。
「お父さん、やめて。お父さん、おかしいよ。狂ってる。」と娘に言われても「大丈夫。わかってる。愛してるよ。」と言いながら、庭に穴を掘ることをやめない。

核兵器の存在は確かに恐怖だ。
気づかぬふりをしているのは欺瞞だ。
けれど、庭に穴を掘るのは…それが正常…?

“ストレートに語ることは野暮な行為なのだろうか?核戦争―僕は時代からずれているのだろうか?みんなは僕を憐れむのだろうか?僕はマンガなのだろうか?こうして穴を掘って、女房を娘を監禁して、穴にそそのかされたりして、僕は頭がおかしいのだろうか?周りに溢れている例証から世界の終末を類推するのは狂気なのだろうか?ミニットマン・ミサイルやバックファイア爆撃機、世界中にストックされた六万個の核弾頭。そういう数字を口にすることは雅致に乏しく、不恰好なのだろうか?僕は不作法なのだろうか?核戦争、と口に出すことが。”

彼がなぜ穴を掘っていたのか。穴を掘って何をするつもりだったのか。
最後に判明したそれは、正常なことなのか異常なことなのか、もはや私に判断はできない。
ただ、娘が可哀そうで。

“「要するにね、畜生め、人々はもうテロルに脅えたりはしないのよ」”

この本が書かれてから約30年。
世界はまたテロルの脅威に脅えている。

60年代のアメリカの政治や風俗、世界情勢などが訳注で詳しく書かれている。
当時のヒット曲いろいろに対する訳者〈村上春樹〉の感想がことのほか面白い。

とにかく質も量も読みごたえありの1冊。