昼休み電気の消えた事務室で本を読んでいると、何かと皆さんが心配して下さるので、買ってやりましたぜ、ブックランプ。

本に挟んで使用するので、小さくても読書に必要な明るさは充分。




横から見たら、こんな感じ。




使わないときは電気スタンドのふり。




LEDなので、1度電池を交換すると1万時間使えるらしいです。
つまり、1万昼休みはこれで充分。
昼休み1万回って、何年だろう?
…計算できない。(@_@;)


本日の読書:ぼくらの時代の本 クレイグ・モド

Amazonより
『本作りの「今」はこんなことになっている―。ある時はFlipboardやSmartNewsのデザインを手がけある時はクロス箔押し豪華本をプロデュースしある時は出版スタートアップにアドバイス。本の地平を切り開く著者がデジタル時代の出版者、デザイナー、開発者に贈る7つのエッセイ。』

すみません。
献本していただいたのに、ひと月も放置してしまいました。

この本、読んでとても刺激を受けました。
作者はデジタルの本も作りますが、紙の本の製作にも情熱を持っています。
そして、活動拠点をニューヨークと東京に持っているので、日本の現状というのも熟知しています。
そのうえで書かれた本なのです。

電子出版が普及すれば、一部の紙の本は消えていくだろうと予測します。
まあ、大抵の人もそう予測すると思いますが。

今消え失せようとしているのは
―読み捨てられるようなペーパーバック
―空港の売店で売られているようなペーパーバック
―ビーチで時間つぶしに読むようなペーパーバック

と、書いています。

これらの本がなくなれば、流通の無駄もなくなり、出版への参入障壁が下がることにより、よりとがった、冒険的な内容の本がデジタル形式で現れるなど、電子出版が活発になることによって、逆に、紙に印刷されて出版される本の質が高まるはずだ、と。

本を読むことの喜びのひとつに、読む際に胸の近くで抱きしめるように本を持つことが挙げられています。
これは考えたことがなかったけれど、言われてみれば確かにそれは、安心できる姿勢なのかもしれません。
そしてその姿勢を保持したままでできるタブレットやスマホでの読書は、パソコンのモニターを読む行為とは全然違うはず。

・手の中でしっかりとした存在感を持つものとなる
・懐かしい図書館のような匂いがするものとなる
・あらゆるデジタル機器を使いこなす子供たちにさえ、その価値がわかるものとなる
・紙に印刷された本が思想やアイデアの具現化であり得ることを、常に人々に思い出させるものとなる
この基準を一つでも満たさないものは捨てられ、電子化の流れの中ですぐに忘れられてしまうだろう。

では電子出版というものは単なるテキストのデジタル化なのかといえば、そういうものではないと著者は言います。
PDFをスマホで見ることがデジタルな読書ではないと。

読みやすいフォント
読みやすい画面デザイン
単純な操作性
そして情報量

例えば辞書機能。読んでいてわからない言葉をすぐに調べられるか。
例えばレファレンス。参考図書への導き。

読書への導入部としての、表紙の意味すら紙と電子の本では違ってきます。
アイコンにすぎない表紙なら意味がないとまで言う著者。
よい例として、オリバー・サックスの著書を紹介しています。

そう、図や写真、表やグラフなどもふんだんに使い、目に訴える造りにこの本はなっています。

そこまでするか!と思ったのは、本への書き込みをシェアするという考え方です。

書評サイトに書評を書くときに原文から引用する、というのではなくて、紙の本だったらページの余白にメモや感想を書くように、ウェブ上のページに直接コメントを書いたりマーカーしたりして、それをシェアするというものです。
これは、賛否両論あると思いますが、確かにデジタルでなければできないかもしれません。
小さい範囲であるならば、回し読み用の本に書き込みをするという感じでしょうが、ウェブ上でそれはどうでしょうね。

ウェブで連載されている「本が好き子さん」というマンガは、確か画面上にコメントが書けるようになっていると思いますが、私は邪魔に感じるので読むときは消しています。

私が電子図書として欲しいのは、図鑑とかですね。
普通に動物図鑑や植物図鑑もいいですが、江戸の暮らし図鑑とか昔の道具図鑑みたいに、図とテキストがリンクしたようなものが見てみたいと思います。
動画で動きもみられたら面白いのでしょうが、それだとデータが重くなり無理でしょうね。

とにかく時代小説を読むときに、江戸時代の庶民またはお殿様の暮らしあれこれがわかりやすく、しかもパッと見てわかるように書いてあるものがあればいいと、いつも思っていました。
読んでいてもなかなかイメージがわかないことが多いので。

話がそれました。

デジタルで物を作ろうとするときに、枠組みがないとどこまでもできてしまうこと。
そして、大量にデータを作ったところで、目に見えないものには実感が持てないこと。
などが、実際に製作した後の感想として書かれています。

そして今、その反動なのかどうか、「リアル」なものを「ハンドメイド」で生み出そうという潮流があるのだそうです。

それは私たち本の読者の側でも、実生活の中で多くのデジタルデータに触れている反動だとばかりは言えませんが、手づくりキット付きの本が売れているのは事実です。
一過性のブームなのか、今後電子出版に対抗するものになり得るのかは、まだ少し時間が必要だと思いますが。

著者によると、媒体としての紙は、文字を実に綺麗に表現するものなのだそうです。
そして紙の本のサイズで見た方が満足のいくジャンル、大きく広げて見たいものとして地図ですとか画集ですとかは、今後も残るでしょう。
紙の本の手触りも、小さな問題ではありません。

どれだけ電子図書の可能性が拡がっても、紙媒体向きの本も確実にあるわけですから、適材適所で今後いい棲み分けがなされるといいと思います。

私は今のところ紙の本派なのですが、2015年1月15日の朝、鹿と接触した電車が運休になったホームで次の電車を待っていた私のバッグに、図書館の返却本10冊、読みかけの本(まさにこの本)1冊、予備の本2冊の計13冊が入っていたとき、さすがに電子図書の優位性を感じずにはいられませんでした。

と言いつつこの本、出来立てのほやほやが家に届いたのですが、ゆうパックの封を開け、包んでいたビニールを破いたときにふわっと広がったインクの匂い。
やっぱり紙の本はいいなあと思いました。

紙の本とデジタルの本。もう少し勉強していきたいと思います。