ブログネタ:2015年星座占いランキング発表中!感想を教えて【投稿すると旅行券やお食事券が当たる♪】 参加中本文はここから
母性本能に満ち溢れる私は、かに座なのでございます。
ただし、良妻賢母の実技部門が全くできないので本能だけの賢母。
はたして子どもたちに伝わっているのでしょうか。
4位 蟹座
コミュニケーションが広がります。人との会話からいろいろ新しいことを学べるでしょう。環境をかえるのもいいでしょう。いい環境に恵まれます。引っ越しとかもGOOD!
今年のかに座はこんな感じらしいです。
今さらもうコミュニケーションは広がらなくてもいいなあと思いましたが、人との会話からいろいろ新しいことを学べるのはいいですね。
これ、ブログでもよしってことに勝手に解釈しますが、それでよござんすね。←誰に確認しているのだ?
環境は多分変わります。娘が帰ってくる予定なので。
だから、私が引越しをする必要はないと思いますが、もしかしたら娘と喧嘩して私が家を出る羽目に…?
GOODなのだったら、それもいいか。
占いは、いいことを言われたらなんとなく覚えていますが、悪いことはあまり覚えていません。
何か事を始める時に、背中を押してくれたらくらいに考えています。
あと、始めたくないときの言い訳になったら…とかね。^m^
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本日の読書:徒然草REMIX 酒井順子
Amazonより
『にじみ出る自意識。あふれ出る自慢話。徒然草は、枯れてない。同業者の視線で読めば、兼好の肉声が聞こえてくる。身も蓋もない知恵と極論の書をあざやかにお色直し。』
大変わかりやすい徒然草解説です。
学校で習ったときは、坊さんが書いた枯れた随筆くらいに思っていましたが、それほど「あるある」とか「わかるわかる」と共感して読んだ覚えもありません。
でも酒井順子の書く吉田兼好みたいな人は、この先絶滅するかもしれませんが、今ならまだかろうじて周囲に見つけることができます。
「オレがオレが」と前に出てくる人が嫌い。
成金趣味でごてごて飾り立てたり、多く持っていることで安心するような人が嫌い。
年寄りが若者にこびているのが嫌い。
田舎者が嫌い。
無関係なことに頭を突っ込みたがる人が嫌い。
お坊さん=仏様にお仕えする人=包容力がハンパない人
というイメージがありましたが、兼好さんはもうかなりの偏屈ジジイです。
その偏屈が、なぜ現在に至るまで読まれ続けているのかと言えば、兼好が書いていることって少数派の意見のようですが、実は多くの人も心の中で思っていることだからなのではないかと思います。
先に、学校で習ったときは共感しなかったと書きましたが、今回は共感しまくりです。
もちろん時代が違いますから、階級社会に疑いを持つこともなく暴言を吐く兼好に賛同はしませんが、自己アピールなんてしなくても周囲にその才能を認められ、センスのいいものを少しばかり持つ品の良さを保ち、己の分を弁え、一本筋の通った生活をしたいと少なくとも私は思います。
でも、そんな生き方している人ってそうそういないでしょ。
アピールしなかったらそもそも見つけてもらえないし、センスに自信がないし物欲には限りがないし、己の分がどの程度かわからないし、筋の通った生活をしようにも世の中が煩雑すぎます。
だから出家しなされ、と兼好は言いますが、だからそれが無理なんだってば。
兼好の主張を理解はできますが、実行はできない。
そんな人ばかりが世の中に溢れていたら、そりゃあ、兼好も偏屈になりますわね。
人里離れた山奥に庵を結んでいるのに知人が訪ねてくるのは、うるさいなあ。
人里離れた山奥に庵を結んでいるのに知人が訪ねてきてくれるのはありがたいなあ。
人里離れた山奥に庵を結んでいるけど、今日みたいな日は誰か来てくれないかなあ。
人を拒んでいるようで、案外とさびしがり屋のところもあったりして、ラブリー偏屈ジジイです。
が、書いていることは過激です。
「人間、やっぱり容姿でしょう」(生まれも含む)
「男が持つべきでないもの、それは妻」
「死んだ後に財産を残すような奴は、バカだね」
「貪るばかりで仏道へ進まないものは、畜生と同じ!」
「過去の逢瀬をしのぶ時間っていうのが、恋の真髄じゃない?」
こんな感じで酒井順子が兼好法師を訳してくれます。
そして、もう一人。
「枕草子」を書いた清少納言が時々出てきて、平安時代と中世の違いを語ってくれます。
兼好法師と清少納言の夢の対談。
偏屈ジジイの吉田兼好より、清少納言の方が懐が深いというか、世の中のあれこれを楽しむ達人のように思われます。
これは時代のせいなのか、男女の差なのか、個人差なのかはわかりませんが。
ああ、個人の差というのは確かにありそうです。
自分の生きてきた世を、悲しい出来事辛い時期があったことも含めて、清少納言は肯定しているように思いますが、吉田兼好はとにかく来世の幸せのために現世を生きているようなところがあります。
そんなことを考えながら、もう一度原典に当たるのもいいかもしれません。
おまけに「枕草子」も読みたくなります。
大百十六段
「寺院の名や、その他色々なものに名をつける時、昔の人は少しも趣向をこらそうとせず、ただありのままに、簡単につけていた。この頃のネーミングというのは、やたらと凝って考えて、才覚をひけらかそうとしているようで、いやったらしいものだ。人の名にしても、珍しい文字を使ったりするのは益のないこと。何においても、浅学の人というのは、珍しい事を求め、異説を好むものなのだなぁ……」
懐古趣味の鬼、吉田兼好の面目躍如の文章ですが、きらきらネームを思い浮かべて爆笑してしまった。
きらきらネームの種は、こんな昔に蒔かれていたのだなあ。
