寒いのだす。
とってもとっても寒いのだす。
気温的にはまだそんなに寒くないはずなのに。
見えないから大丈夫だろうと、ずっとひざ下のストッキングを履いていたのに、今日はこの冬初めてパンストを履きました。
それでも寒くて、よっぽどひざ掛けを頭からすっぽりかぶって仕事しようかと思いましたよ。
多分更年期に突入したのであろう頃から冷え性が改善し、めっぽう寒さに強くなり、とんと風邪もひかずに過ごしてまいりましたが、悲しいかなそろそろ更年期が終わりかけているのかもしれません。
いや、早すぎないか?
まだ2年も経っていないけど。
こんなに早く終わるもの?
夏の暑さに弱くなって往生しましたが、札幌の夏なんてしょせん1~2カ月のものなんですよ。
冬の寒さに強くなったことこそが、北国に住む私の更年期の醍醐味であったのに。
寒いんだすよ。
風邪をひくのではないかとビクビクしているのだすよ。
もうマフラーも手放せませんのさ。
そのうちヒートテックなんぞを買ってこなくてはならないのだろうか。どきどき。
バッタもんしか持ってないんだよなあ。
手袋も準備しておいた方がいいかもしれないなあ。どきどき。
本当に更年期終っちゃうのかなあ。
いや、本当に更年期だったんだろうか?
ただの気の迷いか?
いやいや。だって本当に汗かきになって暑さに弱くなり、寒さに強くなったもん。体質変わったもん。更年期のはず。
とりあえず、想像インフルにならないよう、気をしっかり持って寒さに立ち向かおう。
とはいえ寒いのだすよ~。ぶるぶる。
そうそうあしたからの嵐のコンサートにおいでになる皆さん、暖かい恰好でいらしてくださいね。
それから期日前投票もお忘れなく。
本日の読書:永遠の出口 森絵都
カバー裏より
『「私は、〈永遠〉という響きにめっぽう弱い子供だった。」誕生日会をめぐる小さな事件。黒魔女のように恐ろしい担任との闘い。ぐれかかった中学時代。バイト料で買った苺のケーキ。こてんぱんにくだけちった高校での初恋……。どこにでもいる普通の少女、紀子。小学三年から高校三年までの九年間を、七十年代、八十年代のエッセンスをちりばめて描いたベストセラー。第一回本屋大賞第四位作品。』
子ども時代を経ておとなになった人なら誰にでも、「ああ、あったね。そういうこと。」っていう部分がきっと見つかる。
子どものころを振り返ると顔から火なんていくらでも出せるけど、その時その時は必死だった自分を愛おしいと今なら思えるかもしれない。
歩いて、または自転車で行ける範囲が自分の世界の限界で、たった数十人のクラスメイトと家族くらいが世界の住人で、だからこそ猛烈に嬉しかったり悔しかったり悲しかったりと感情の振れ幅が大きくて、そんな毎日が永遠に続くと思っていたあの頃。
ふわんと思いだしては懐かしむことは簡単だけど、この作品の臨場感たらないね。
なんでこんなにくっきりと覚えていられるんだろう。この人は。
友だちの誕生日プレゼントを選ぶことの責任の重さ。
担任の先生によって全く変わってしまうクラスの雰囲気。
かみ合わない親との会話。
バイトを通して見る、大人のどろどろした人間関係。
本当に。
なんでこんなにくっきりと覚えていられるんだろう。森絵都は。
だけどこれは、後ろを見て懐かしむ話ではない。
永遠だったはずの世界から、前を見て一歩踏み出す。
なんにでもなれたかもしれない世界から、何かになるために。
紀子の性格が、また、いいのね。
いい子というのではなく、普通の子。
一生懸命空気を読んで、周りに気を使って、使い方間違えて空回りしてしまうタイプ。
こんなことを言いたいんじゃない、したいんじゃないと思いながら、自分で自分を止められない感じが、切羽詰まってなくて、少し空気の抜けたようなぽやんとした気の張りかたが、なんともいい。
少年少女が読んでも、少年少女を卒業したての人が読んでも、遠い昔に少年少女だった人が読んでも、それぞれの立場で共感できる本なのではないかと思う。
とってもとっても寒いのだす。
気温的にはまだそんなに寒くないはずなのに。
見えないから大丈夫だろうと、ずっとひざ下のストッキングを履いていたのに、今日はこの冬初めてパンストを履きました。
それでも寒くて、よっぽどひざ掛けを頭からすっぽりかぶって仕事しようかと思いましたよ。
多分更年期に突入したのであろう頃から冷え性が改善し、めっぽう寒さに強くなり、とんと風邪もひかずに過ごしてまいりましたが、悲しいかなそろそろ更年期が終わりかけているのかもしれません。
いや、早すぎないか?
まだ2年も経っていないけど。
こんなに早く終わるもの?
夏の暑さに弱くなって往生しましたが、札幌の夏なんてしょせん1~2カ月のものなんですよ。
冬の寒さに強くなったことこそが、北国に住む私の更年期の醍醐味であったのに。
寒いんだすよ。
風邪をひくのではないかとビクビクしているのだすよ。
もうマフラーも手放せませんのさ。
そのうちヒートテックなんぞを買ってこなくてはならないのだろうか。どきどき。
バッタもんしか持ってないんだよなあ。
手袋も準備しておいた方がいいかもしれないなあ。どきどき。
本当に更年期終っちゃうのかなあ。
いや、本当に更年期だったんだろうか?
ただの気の迷いか?
いやいや。だって本当に汗かきになって暑さに弱くなり、寒さに強くなったもん。体質変わったもん。更年期のはず。
とりあえず、想像インフルにならないよう、気をしっかり持って寒さに立ち向かおう。
とはいえ寒いのだすよ~。ぶるぶる。
そうそうあしたからの嵐のコンサートにおいでになる皆さん、暖かい恰好でいらしてくださいね。
それから期日前投票もお忘れなく。
本日の読書:永遠の出口 森絵都
カバー裏より
『「私は、〈永遠〉という響きにめっぽう弱い子供だった。」誕生日会をめぐる小さな事件。黒魔女のように恐ろしい担任との闘い。ぐれかかった中学時代。バイト料で買った苺のケーキ。こてんぱんにくだけちった高校での初恋……。どこにでもいる普通の少女、紀子。小学三年から高校三年までの九年間を、七十年代、八十年代のエッセンスをちりばめて描いたベストセラー。第一回本屋大賞第四位作品。』
子ども時代を経ておとなになった人なら誰にでも、「ああ、あったね。そういうこと。」っていう部分がきっと見つかる。
子どものころを振り返ると顔から火なんていくらでも出せるけど、その時その時は必死だった自分を愛おしいと今なら思えるかもしれない。
歩いて、または自転車で行ける範囲が自分の世界の限界で、たった数十人のクラスメイトと家族くらいが世界の住人で、だからこそ猛烈に嬉しかったり悔しかったり悲しかったりと感情の振れ幅が大きくて、そんな毎日が永遠に続くと思っていたあの頃。
ふわんと思いだしては懐かしむことは簡単だけど、この作品の臨場感たらないね。
なんでこんなにくっきりと覚えていられるんだろう。この人は。
友だちの誕生日プレゼントを選ぶことの責任の重さ。
担任の先生によって全く変わってしまうクラスの雰囲気。
かみ合わない親との会話。
バイトを通して見る、大人のどろどろした人間関係。
本当に。
なんでこんなにくっきりと覚えていられるんだろう。森絵都は。
だけどこれは、後ろを見て懐かしむ話ではない。
永遠だったはずの世界から、前を見て一歩踏み出す。
なんにでもなれたかもしれない世界から、何かになるために。
紀子の性格が、また、いいのね。
いい子というのではなく、普通の子。
一生懸命空気を読んで、周りに気を使って、使い方間違えて空回りしてしまうタイプ。
こんなことを言いたいんじゃない、したいんじゃないと思いながら、自分で自分を止められない感じが、切羽詰まってなくて、少し空気の抜けたようなぽやんとした気の張りかたが、なんともいい。
少年少女が読んでも、少年少女を卒業したての人が読んでも、遠い昔に少年少女だった人が読んでも、それぞれの立場で共感できる本なのではないかと思う。