今日の特命係はちょっとほろ苦くて、でもユーモアがあってなかなかに面白かったです。
でも、私も今日は特命係でした。

今年4月に着任した部長の肝いりで、業務改善委員会というものができましてな。
なにやら会議をしてはいたようなのです。
メンバーは部長と若手と転勤したてのひとばかりの5人。
古株なんか入れようものなら抵抗勢力になるに決まっているという部長の偏見ゆえの人選なんでしょうが、「今まで通り」が必ずしも悪いわけではなく、なぜそうしていたのか理由を聞いたうえで判断してほしいんだよなあ、と遠巻きにみんなで思っていたわけなのですわ。

そうしましたら先週末にとうとう、さ来週末までにあーしろこーしろと命令が下ったわけなのですな。
やらねばなるまい。しかし面倒くさい。
いや、忙しいんだ。俺は。

なかなか皆さんが動き出さない中、「さあ、やるよ。」と名指しで声をかけられたわたくし。
「さあ、やるよ。」ここ大事。
それは、あなたもやるということですよね。

気づいたら、私一人がせっせとやっていましたよ。
そして私の前には、周りのみなさんの分の仕事がどーん。
皆さんは普通に通常業務をやってらっしゃる。

「えーと、これは、私にやれってことなんでしょうか?これ、私の業務じゃないんですけど。特別に命じられたってことで、特命係を名乗っちゃってもいいってことですか?」
あー、いいよ。いいよ。
「じゃ、じゃ、じゃあ…、紅茶飲まなきゃ。」

特命係マッピー誕生の瞬間。( ̄▽+ ̄*)

手をつけるまではめんどくさい作業でも、手をつけてしまえばさくさくやっちゃいますので、お昼すぎには特命完了いたしました。
今日は来客も郵便も少なかったので、ちょうどよかった。

そして夕方、「マッピーさん、また特命係にお仕事です。」と係長に言われ、すっかりご満悦な私。
厄介事よろず引受部すぐやる課特命係なんですの、私。
名刺作っていいですか?
| 壁 |д・)


本日の読書:散歩のとき何か食べたくなって 池波正太郎

カバー裏より
『映画の試写を観終えて、銀座の〔資生堂パーラー〕に立ち寄り、はじめて洋食を口にした40年前を憶い出す。外神田界隈を歩いていて、ふと入った〔花ぶさ〕では、店の人の、長年、変わらぬ人情に感じ入る。時代小説の取材で三条木屋町を散策中、かねてきいていた〔松鮨〕に出くわす。洋食、鮨、蕎麦、どぜう鍋、馬刺から菓子にいたるまで、折々に見つけた店の味を書き留めた食味エッセイ。』

大正12年に生まれ平成2年に亡くなった池波正太郎。
生涯のほとんどを昭和に生きたことになる。

“新しい新しいといっても、究極の新しいものというものは何一つないのだ。
 新しいものは、古いものからのみ生み出されるのである。”

確かに今は江戸ブームなのか、時代小説もよく読まれているようだし、和風小物なども売れている。
けれど、そんなふわふわしたレトロではなくて、池波正太郎の書く東京は、確かに江戸から続いているものなのだ。

昭和50年ころに書かれたこの本。
その頃に私も生きていたはずなのに、その当時は確か昔を懐かしむ空気などなかったような気がする。
それは私が子どもだったからというのもあるかもしれないが、時代が古いものを塗り替えて前に進もうとしていた頃だったからではないだろうか。

古き良き時代。
本物の料理人と本物のサービス。
そして本物を見る目。

池波正太郎の小説を読んでいると彼の小説の中に出てくる料理を食べてみたくなるのは、それが本物の料理だからなのだろう。

今年の秋、ブログに「かねてより行きたかったお店で軍鶏を食べた」と書いたのは、池波正太郎の書く軍鶏鍋がおいしそうだったから。
その時の文章には池波正太郎のことは書かなかったのに、「池波正太郎で有名になった軍鶏鍋と一本うどんを食べたことあります」とメッセージをいただいたので、同じようなことを考える人がいるのだなと思ったことも。

池波正太郎はグルメではなく食道楽だそうだけど、確かにゆったりと時間をかけて食事とお酒をとった後、甘いものまで食べている姿は食べること飲むことを心から楽しんでいるように見える。

東京だけではなく、京都や滋賀や長野、そしてフランスでまで、街並みや料理を味わい楽しんでいるのであろう様子は、彼自身の手になる表紙絵を見れば一目瞭然なのである。
いやはや、多才な人だったのだな。