先月の懸案事項でありましたガンダム・カフェに行ってきました。
お昼チョイすぎまで会議でしたが、昼食もとらず素早く秋葉原へ直行しました。
…って、社会人としてどうよ。

ざんざん雨が降っている中、傘をさすのももどかしく早足でカフェへと向かい、道に迷う。
なんでだ!?
迷いようもない駅前なのにさぁ、無駄に濡れましたよ。

お店に入ると平日の昼過ぎだというのに、若い男性たちがレジ前でワイワイ。
ああ、私、場違いかも。
あえて言おう、カスであると。←そこまで?

でも、私のあとから若い女性がひとりで来たり、外国の女性がひとりで来たりしていたので、若くない女性がひとりでいてもいいか、と、気を取り直して楽しむことに。



ハロラテ。
最後までちゃんとハロでした。





3倍辛いシャアザクカレー。





辛くても平気だけど、せっかくだからミノフスキー粒子(チーズ)を投入。
何をやっても楽しい。(^O^)





今回の目的地。トイレ。
連邦軍の制服を着た女性が出てきましたが、いいのでしょうか?
それとも彼女はミハル?
男性トイレはガンダムでした。




いい年をしておバカですみません。
明日からは魂のガンダムヲタとして、気配を殺してひっそりと生きていきたいと思っています。




お口直し。
ホテルの部屋にあった安楽椅子が、とても座り心地よかったので記念に。
「居酒屋ぼったくり」に影響されて買った本もどうぞ。←やっぱりおバカだ(T_T)






本日の読書:魔の山 下 トーマス・マン

カバー裏より
『カストルプ青年は、日常世界から隔離され病気と死に支配された“魔の山”の療養所で、精神と本能的生命、秩序と混沌、合理と非合理などの対立する諸相を経験し、やがて“愛と善意”のヒューマニズムを予感しながら第一次大戦に参戦してゆく。思想・哲学・宗教・政治などを論じ、人間存在の根源を追究した「魔の山」は「ファウスト」「ツァラトストラ」と並ぶ二十世紀文学屈指の名作である。』

堪能しました。

人文学者で合理主義者、ハンス・カストルプの師であるところのセテムブリーニの長々しい語りだけでも充分興味深かったのに、彼に強烈なライバルが現れる。
イエズス会の会員であり、宗教のためならテロやむなしとするナフタ。

この二人がそれぞれハンスを自分の陣営に引き込もうと語る語る。
ふたりに挟まれた形のハンスは、お互いに極論ばかり言わないで、何とか妥協点を見つけることはできないのだろうかとこっそり思うくらい。

現在の日本に生きる私は、やはりセテムブリーニの言い分の方が近しいと思える。
人間の尊厳であるとか、文学が持つ力であるとか、注意深く政治を見つめることとか、経済の重要性とか。

神の前にはすべてが等しいというナフタの理論は一見素晴らしく思えるけれども、神のためなら自分の命も他人の命もなんということはないという、テロリズムを容認するような考えは、宗派を問わずとても恐ろしい。
けれど、それが宗教の中心にあった時代は確かに存在し、それはキリスト教だけではなく、日本にだってあったのだから、まさに人間の問題なのかもしれないと思えてしまったり。

この二人のやり取りで格段に面白くなってきたぞと思ったら、もっと上を行く強烈な人物ペーペルコルン氏登場。
とにかく主語と述語がかみ合わないというか、文章を最後まで言わないで次の文脈に進んでしまうので、読んでも読んでも何を言っているのかわからない。
実際にそばにいたら、絶対イライラすると思うけれど、よくわからないことを自信たっぷりに語る大金持ちでやりたい放題のペーペルコルンは、なかなかに憎めなかったりする。

それが、唐突に療養所に持ち込まれた蓄音機によって、音楽について語られる章があり、心霊術の章があり、終焉に向けて一気に物語が動き出す。

ドイツ人であるトーマス・マンにとって、民主主義は最初単なる政治形態にすぎなかったのだが、第一次世界大戦後に民主主義と人間性の尊厳が結びついたとき、ナチスに抵抗する者としてアメリカに亡命するに至るのだということを解説で読み、改めてセテムブリーニとナフタのやり取りが重みをもって迫ってくる。