来週は出張ウィークとなりました。
まあ、明日も日帰りの出張なんですけどね。
来週は1泊2日で関東へ。
本来は別な人が行く会議だったのですが、体調不良ということで急きょ私が行く羽目に。
ホテル付きのビジネスパックを申し込むと、最後のひと席でした。
あっぶな~い!
これが取れなかったら、帰りはもっと遅い便になるところでした。
家にたどり着くのが9時というだけでも充分遅いのに、次の便だと家に着いたら10時ですよ。
家に着く前に寝ちゃうじゃないか。
で、次の日から1泊2日で道東へ。
これは10月最終週に行くはずだったのが、一週間前倒しになったもの。
レール&ホテルパックで釧路までのJR乗車券はすぐに予約が取れたものの、予定していたホテルが全館満室。
しょうがないので他のホテルを探してもらいましたが、パックになっている7つのホテルのうち6つまでが満室でしたので、唯一残ったホテルを予約しました。
当初希望していたホテルは安いものの、駅から徒歩1分という好立地。
予約したホテルは、少しお高いくせに、駅から車で5分(を歩かねばならない)、禁煙室なしというちょっと残念なところ。
一番がっかりなのは、当初予定していたホテルは夕食メニューが7種類の中から選べるので、「知床鶏の水炊き定食」を食べようときっちり心に決めていたのに、それが食べられなくなってしまったこと。
とはいえ、一か所でもホテルが空いていたからよかったですよ。
今時分の道東で野宿はできませんから。
それにつけても、直前の準備というのはなかなかに綱渡りです。
どちらの出張も、何とかすべり込みセーフで予約できてよかったということにしておきましょう。
でないと、来週に向けてだだ下がりのモチベーションが…。
本日の読書:魔の山 上 トーマス・マン
カバー裏より
『第一次大戦前、ハンブルク生まれの青年ハンス・カストルプはスイス高原ダヴォスのサナトリウムで療養生活を送る。無垢な青年が、ロシア婦人ショーシャを愛し、理性と道徳に絶対の信頼を置く民主主義者セテムブリーニ、独裁によって神の国をうち樹てようとする虚無主義者ナフタ等と知り合い自己を形成してゆく過程を描き、“人間”と“人生”の真相を追究したドイツ教養小説の大作。』
本当は岩波文庫で読もうと思っていたんですが、新潮文庫に日和ってしまいました。
それでも、読むのは大変でした。
なにせ長い!
読む前は、なぜいとこが療養しているサナトリウムに3週間も見舞いとして滞在するのか、そこが疑問でした。
だって、結核って伝染病でしょ?
なんで見舞いに3週間?
見舞いと言えば見舞いなんですけれど、ハンス自身も体調があまりよくないというので、転地療養をするように医者に言われて、いとこのいるサナトリウムに来た、と、そういうことでした。
それにしても体が弱っている時に、結核患者のたくさんいる所へ来るという時点で彼の運命は決まってしまったと言えましょう。
3週間後、彼は見舞客から患者になってしまうわけです。
しかし、初対面の時から何度も折に触れセテムブリーニは「山を降りるように」と彼に言い続けていたのです。
なぜ彼は降りなかったのか?
彼は常に周りを見下しているのです。
下層階級である。知性がない。見目麗しくない。
つまり、自分とは別であると。
しかし、ハンスは自分を客観的に見ることはできていない。
世間を知らないし、自分を知らない。事実ではなく、自分の脳内で思い描いたことを見ているだけだから。
そんなハンスにセテムブリーニはいろいろなことを語ります。
文学、政治、歴史、生物、天文、宗教、恋愛。
それに対してハンスは反発を覚えながらも、耳を傾け、いろんなことを学んでいくわけですが、やはり山を降りようとはしない。
恋に落ちてしまったんですね。
それもかなり一方的な、妄想まみれの、独りよがりの。
どこまでも独善的な男です。
そして、山の生活。
自由といえば自由。不自由といえば不自由なその生活とは、1日5回の食事(第一朝食、第二朝食、昼食、ティータイム、晩餐)、そのあいだ間に挟まる散歩と安静(昼寝)の時間。
夜、読書灯の下で本を読み、疲れたら窓の外を眺めるとそこには満天の星。
そりゃあ、山から降りませんよ。私でも。
まさに取り込まれています。魔の山に。
セテムブリーニの語る言葉が、とにかくわくわくするほど読み応え満点。
クロコフスキーの精神分析部分が意外にあっさり終わってしまったけれど、下巻で再び取り上げられるのでしょうか。
難しいけど、面白い。
下巻も楽しみ。
まあ、明日も日帰りの出張なんですけどね。
来週は1泊2日で関東へ。
本来は別な人が行く会議だったのですが、体調不良ということで急きょ私が行く羽目に。
ホテル付きのビジネスパックを申し込むと、最後のひと席でした。
あっぶな~い!
これが取れなかったら、帰りはもっと遅い便になるところでした。
家にたどり着くのが9時というだけでも充分遅いのに、次の便だと家に着いたら10時ですよ。
家に着く前に寝ちゃうじゃないか。
で、次の日から1泊2日で道東へ。
これは10月最終週に行くはずだったのが、一週間前倒しになったもの。
レール&ホテルパックで釧路までのJR乗車券はすぐに予約が取れたものの、予定していたホテルが全館満室。
しょうがないので他のホテルを探してもらいましたが、パックになっている7つのホテルのうち6つまでが満室でしたので、唯一残ったホテルを予約しました。
当初希望していたホテルは安いものの、駅から徒歩1分という好立地。
予約したホテルは、少しお高いくせに、駅から車で5分(を歩かねばならない)、禁煙室なしというちょっと残念なところ。
一番がっかりなのは、当初予定していたホテルは夕食メニューが7種類の中から選べるので、「知床鶏の水炊き定食」を食べようときっちり心に決めていたのに、それが食べられなくなってしまったこと。
とはいえ、一か所でもホテルが空いていたからよかったですよ。
今時分の道東で野宿はできませんから。
それにつけても、直前の準備というのはなかなかに綱渡りです。
どちらの出張も、何とかすべり込みセーフで予約できてよかったということにしておきましょう。
でないと、来週に向けてだだ下がりのモチベーションが…。
本日の読書:魔の山 上 トーマス・マン
カバー裏より
『第一次大戦前、ハンブルク生まれの青年ハンス・カストルプはスイス高原ダヴォスのサナトリウムで療養生活を送る。無垢な青年が、ロシア婦人ショーシャを愛し、理性と道徳に絶対の信頼を置く民主主義者セテムブリーニ、独裁によって神の国をうち樹てようとする虚無主義者ナフタ等と知り合い自己を形成してゆく過程を描き、“人間”と“人生”の真相を追究したドイツ教養小説の大作。』
本当は岩波文庫で読もうと思っていたんですが、新潮文庫に日和ってしまいました。
それでも、読むのは大変でした。
なにせ長い!
読む前は、なぜいとこが療養しているサナトリウムに3週間も見舞いとして滞在するのか、そこが疑問でした。
だって、結核って伝染病でしょ?
なんで見舞いに3週間?
見舞いと言えば見舞いなんですけれど、ハンス自身も体調があまりよくないというので、転地療養をするように医者に言われて、いとこのいるサナトリウムに来た、と、そういうことでした。
それにしても体が弱っている時に、結核患者のたくさんいる所へ来るという時点で彼の運命は決まってしまったと言えましょう。
3週間後、彼は見舞客から患者になってしまうわけです。
しかし、初対面の時から何度も折に触れセテムブリーニは「山を降りるように」と彼に言い続けていたのです。
なぜ彼は降りなかったのか?
彼は常に周りを見下しているのです。
下層階級である。知性がない。見目麗しくない。
つまり、自分とは別であると。
しかし、ハンスは自分を客観的に見ることはできていない。
世間を知らないし、自分を知らない。事実ではなく、自分の脳内で思い描いたことを見ているだけだから。
そんなハンスにセテムブリーニはいろいろなことを語ります。
文学、政治、歴史、生物、天文、宗教、恋愛。
それに対してハンスは反発を覚えながらも、耳を傾け、いろんなことを学んでいくわけですが、やはり山を降りようとはしない。
恋に落ちてしまったんですね。
それもかなり一方的な、妄想まみれの、独りよがりの。
どこまでも独善的な男です。
そして、山の生活。
自由といえば自由。不自由といえば不自由なその生活とは、1日5回の食事(第一朝食、第二朝食、昼食、ティータイム、晩餐)、そのあいだ間に挟まる散歩と安静(昼寝)の時間。
夜、読書灯の下で本を読み、疲れたら窓の外を眺めるとそこには満天の星。
そりゃあ、山から降りませんよ。私でも。
まさに取り込まれています。魔の山に。
セテムブリーニの語る言葉が、とにかくわくわくするほど読み応え満点。
クロコフスキーの精神分析部分が意外にあっさり終わってしまったけれど、下巻で再び取り上げられるのでしょうか。
難しいけど、面白い。
下巻も楽しみ。