一週間ぶりに無事家に帰ってきました。
疲れましたが、楽しい一週間でした。
来週からはまた、地味にコツコツちまちまと毎日を過ごすことになります。
ぜいたくは敵だ!
欲しがりません、いつまでも!
ちょっと贅沢しましたからね、節約節約。
10さんと長男に羽田で見送ってもらって、少し淋しい気持ちになりましたが、それでも家に帰ってくれば我が家が一番なんて思っちゃうのですから、我ながら現金なものです。
子どもたちは久しぶりに会った両親を見て、年を取ったなあと思ったことでしょう。
なぜならば、私は子どもたちを見て、大人になったなあと思うことが多かったから。
これからは親は老いていくのみですからね。
なるべく元気に明るく老いるようにはしますけど。
そんなわけで、スマホに泣かされてばかりもいられません。
なんとかスマホに慣れようと努力はしています。
グーグルのアカウントを入力したり、Wi-Fi の設定をしたりと、基本的な設定は何とか自分でできたのですが、LINEやらメールやら電話などの操作がなかなか慣れずに苦労しています。
そして自分のブログがよくわからない。(T_T)
自分のブログから、読者登録している方のブログへの行き方がわからない。
自分のブログから、自分のゲームへの行き方がわからない。
わからない。わからない。((((((ノ゚⊿゚)ノ
本日の読書:ミスター・ヴァーティゴ ポール・オースター
カバー裏より
『「私と一緒に来たら、空を飛べるようにしてやるぞ」ペテン師なのか?超人なのか?そう語る「師匠」に出会ったとき少年はまだ9歳だった。両親なし、教養なし、素行悪し。超然とした師匠の、一風変わった「家族」と暮らす奇妙な修行生活のなかで、少年がやがて手にしたものとは―。アメリカ文学界きっての語りの名手が編む、胸躍る歓喜と痛切なる喪失のタペストリ、心に迫る現代の寓話。』
これは回想録というかたちで書かれているので、最初から、どうも主人公は幸せではなさそうな雰囲気が漂っていて、主人公が幸せになりそうになるたびに、このままでは終わらないぞと身構えながら読んでしまった。
実際には幸せになったりならなかったりするんだけれど。現実の私たちと同じように。
出会った当初の師匠の、調教と言ってもいいほどの過酷な訓練の描写に少し引いてしまったけれど、本当の家族とは味わうことのできなかった心の交流を師匠やその同居人たちと深めていくほどに、喪失の予感が重くのしかかってくるのである。
少年から青年へ移行する時に、あまりにも多くの出来事に遭遇してしまい、その当時自分は何を知らずにいたのかということを、多くの懐かしさと哀しみをこめて書かれているけれど、師匠が残した最後の言葉「楽しかった日々を忘れるなよ」が、物語の終盤に突然大きく迫ってきて、少し泣きそうになる。
楽しかった日々というのは、もう戻らない悲しいものというだけではなく、自分を支えてくれる者にもなるのだ。
楽しかった日々があった人生は、そう悪い人生ではないはずだから。
たとえ、人生の収支がプラスマイナスゼロだったとしても。
スティーヴン・キングの小説みたいだなあと思いながら読んだ。
ポール・オースターって、こうだったっけ?
アメリか中南部の、土ぼこりの舞うような、そんな小説。
疲れましたが、楽しい一週間でした。
来週からはまた、地味にコツコツちまちまと毎日を過ごすことになります。
ぜいたくは敵だ!
欲しがりません、いつまでも!
ちょっと贅沢しましたからね、節約節約。
10さんと長男に羽田で見送ってもらって、少し淋しい気持ちになりましたが、それでも家に帰ってくれば我が家が一番なんて思っちゃうのですから、我ながら現金なものです。
子どもたちは久しぶりに会った両親を見て、年を取ったなあと思ったことでしょう。
なぜならば、私は子どもたちを見て、大人になったなあと思うことが多かったから。
これからは親は老いていくのみですからね。
なるべく元気に明るく老いるようにはしますけど。
そんなわけで、スマホに泣かされてばかりもいられません。
なんとかスマホに慣れようと努力はしています。
グーグルのアカウントを入力したり、Wi-Fi の設定をしたりと、基本的な設定は何とか自分でできたのですが、LINEやらメールやら電話などの操作がなかなか慣れずに苦労しています。
そして自分のブログがよくわからない。(T_T)
自分のブログから、読者登録している方のブログへの行き方がわからない。
自分のブログから、自分のゲームへの行き方がわからない。
わからない。わからない。((((((ノ゚⊿゚)ノ
本日の読書:ミスター・ヴァーティゴ ポール・オースター
カバー裏より
『「私と一緒に来たら、空を飛べるようにしてやるぞ」ペテン師なのか?超人なのか?そう語る「師匠」に出会ったとき少年はまだ9歳だった。両親なし、教養なし、素行悪し。超然とした師匠の、一風変わった「家族」と暮らす奇妙な修行生活のなかで、少年がやがて手にしたものとは―。アメリカ文学界きっての語りの名手が編む、胸躍る歓喜と痛切なる喪失のタペストリ、心に迫る現代の寓話。』
これは回想録というかたちで書かれているので、最初から、どうも主人公は幸せではなさそうな雰囲気が漂っていて、主人公が幸せになりそうになるたびに、このままでは終わらないぞと身構えながら読んでしまった。
実際には幸せになったりならなかったりするんだけれど。現実の私たちと同じように。
出会った当初の師匠の、調教と言ってもいいほどの過酷な訓練の描写に少し引いてしまったけれど、本当の家族とは味わうことのできなかった心の交流を師匠やその同居人たちと深めていくほどに、喪失の予感が重くのしかかってくるのである。
少年から青年へ移行する時に、あまりにも多くの出来事に遭遇してしまい、その当時自分は何を知らずにいたのかということを、多くの懐かしさと哀しみをこめて書かれているけれど、師匠が残した最後の言葉「楽しかった日々を忘れるなよ」が、物語の終盤に突然大きく迫ってきて、少し泣きそうになる。
楽しかった日々というのは、もう戻らない悲しいものというだけではなく、自分を支えてくれる者にもなるのだ。
楽しかった日々があった人生は、そう悪い人生ではないはずだから。
たとえ、人生の収支がプラスマイナスゼロだったとしても。
スティーヴン・キングの小説みたいだなあと思いながら読んだ。
ポール・オースターって、こうだったっけ?
アメリか中南部の、土ぼこりの舞うような、そんな小説。