以前は「今夜何食べる?」と聞くと、「なんでもいい。」なんて言われて、「なんでもいいは答じゃない!」なんて怒っていたものですが、今回帰省した娘は食べたいものをちゃんと言ってくれるので、大変助かります。

今日も二人で午後から出かけ、帰りは先に娘を帰してひとりで夕飯の買い物に行こうと思ったのですが、娘がついてきてくれたので一緒に買い物をしました。

自分じゃ絶対買わないもずく酢。味ぽんを熱烈愛しているくせに、酢のものが苦手なんです、私。
娘は昔っからもずくが好きで、ひとりでもちゅるちゅるともずくを食べていましたが、ここは私も大人になって、娘に付き合おうじゃないの。

梅酒をストレートで飲む人(娘)用に買った小ぶりのガラスのグラスにもずく酢を入れると、ちょうどいい量でした。
以前ほど酢のものが苦手ではなくなった気がします。
大人になったなあ、私。

だし巻き卵は枝豆入りで。
娘のお土産の牛肉の佃煮も出して。
普通に普通の晩ご飯。

おいしいものを食べに連れて行ってやりたい気持ちと、家族で普通に食べるご飯を楽しみたい気持ちとで、親のほうも揺れるけど、今日は家でのんびり食べられてよかった。
明日の朝、10さんが帰ります。
3人で食後のデザートに梨をしゃりしゃり。もう秋だねえ。
赤とんぼをたくさん見かけました。


本日の読書:ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹 ジェフリー・ユージェニデス

カバー裏より
『リズボン家の姉妹が自殺した。何に取り憑かれてか、ヘビトンボの季節に次々と命を散らしていったのだった。美しく、個性的で、秘密めいた彼女たちに、あの頃、ぼくらはみな心を奪われ、姉妹のことなら何でも知ろうとした。だがある事件で厳格な両親の怒りを買った姉妹は、自由を奪われてしまった。ぼくらは姉妹を救い出そうとしたが、その想いが彼女たちに伝わることは永遠になかった…甘美で残酷な、異色の青春小説。』

読んでいるうちにどんどん息苦しくなってきて、どうしても長時間通しで読むことができませんでした。
細切れに読んでは休み、読んでは休み。

次々に自殺したというわけではなく、最初に末の妹が自殺し、その後残された姉妹たちが何とか自分たちの置かれた状況を打破しようとしたけれどそれはならず、最後に手段は別々でも同時に自殺したんだと思う。

環境に適応できなかったのは五人姉妹ではなく、親のほうだったのだと思うのだが、危険の多い世の中に子どもを送り出す不安は私にもわかる。
できることならば目の届くところにずっと子どもをおいておきたい。
でもそれはできないことでしょう?
出来ないことと、普通はあきらめるでしょう?

必要最低限の人間関係しか認めない。
家族のなかだけで完結しようとする両親。特に母親。
ボーイフレンドどころか、女の子の友だちもいない娘たち。
男の子に対する興味はあるけれど、デートの仕方も分からない、お洒落の仕方も分からない。

とりあえず家にいさえすればいいのか、家でお酒を飲みタバコを吸う少女たち。
そして外の世界に憧れる。

最初は見知らぬ世間に対する恐怖と嫌悪だったのかもしれない。
内側に内側にと向かう母の心は、最後は生きることへの無気力?無関心?あきらめ?みたいな感じになっていって、父親は職を失い、子どもたちは学校をやめさせられ、買い物に行くことも家のなかを片付けることも食事を作ることもしなくなる家族。
物はくさり家具は焚きつけになり。

「ここから連れ出して」というSOSは、結局自分たちの絶望に踏みにじられたのだろう。
少女たちは彼女たちを連れ出しに来た近所の少年たちの気配を感じながら死んでいったのだから。

世の中に希望を持てない、そういう時代だったのかもしれない。
親の束縛が堪えられない、そういう年頃だったのは確かにそうだ。
だけど、ではそういう子どもたちがみな自殺を企てるかというと、もちろんそんなわけはなく。
私はただ、リズボン家の孤立した、廃頽した家の空気がたまらなく堪えがたかった。