今週は少しばかりリケ女になる予定だったのですが、休暇が取れずに毎日働いてしまいました。
そんなに忙しいわけじゃないんですけど、周りのみなさんが休暇をとるので私まで休むわけにはいかず…。

係長はいいのよ。
子育て世代は休暇がとても必要になるものだから。
私もそうやって休ませてもらって、残業や出張を免除してもらいながら子どもを育てたのだし、順送りです。

休暇明けの日、係長に「よい休暇でしたか?」と聞いたら、
「君も忙しそうだから僕が休暇取ったよって言ったら、「恩着せがましい」とお嫁ちゃんに怒られました。」としょげていました。
ちょっとかわいそうですが、奥さんにメロメロなので、まあいいか。

それよりも問題は、他の人たちが次々と休むことです。
気温が低い割には職場の温度と湿度がとても高くて、それで体調を崩してしまうのか、今結構みんな弱っています。

不良隊長じゃないや、体調不良といえば私の右に出る者はいなかったはずなのに、気が付くと体調不良のフラグを立てた人たちがずらりと私の右に並んでいます。
で、更年期効果ですっかり健康となった私はぴんぴんしておるわけです。
人生初だわ、こんなこと。

昨日早退した人は今日欠席。今日もひとり体調不良で早退。
頑張って出勤するも電車に乗れずタクシー通勤する人(休んでください)。
いっそのこと病弱戦隊でも作りましょうか。
あ、あたし赤でセンターね。(* ̄Oノ ̄*)



本日の読書:いのちの食べかた 森達也

カバー裏より
『魚は切り身で泳いじゃいない。そんなことは知っている?じゃあ、毎日食べてる大好きな牛や豚のお肉はどこからどうやって、やってくるのだろう?お肉が僕らのご飯になるまでを詳細レポート。おいしいものを食べられるのは、数え切れない「誰か」がいるから。その「誰か」の支えで、僕らの暮らしは続いている。“知って自ら考える”ことの大切さを伝える、ベスト&ロングセラーの名作、ついに文庫化。装画・五十嵐大介』

忘れてはいけない大切な言葉がたくさん書いてある。
命をいただくことによって、私たちは生きることができていること。
けれどもその過程の作業をする人は、穢れていると差別されてきていたこと。
差別の心からいじめや戦争は起こること。
事実を知ることの大切さ、考えることの必要性。

若者向けの、とても読みやすい本だけれど、油断すると付箋だらけになってしまう。

最初のほうにこんな文章がある。森達也自身の言葉として。

“たとえば公害。たとえば原発の事故。そしてたとえば戦争。最初の段階ならこれらを回避する方法はいくらでもあったはずなのに、誰かが思考しなくなり、その誰かが少しずつ増え、やがて皆の思考が停まり、そして最悪の事態が起きる。多くの人が苦しむ。多くの人がなく。そして多くの人が死ぬ。でももう遅い。もう間に合わない。すべてが終わってから、誰かが言う。「どうしてこんなことになっちゃったんだ?」そこで皆で顔を見合わせる。責任者を探すけれど見つからない。それはそうだ。責任者は全員なのだ。でも誰もが、いつの間にかそれを忘れている。”

終りのほうには映画監督伊丹万作の文章が引用されている。

“つまりだますものだけでは戦争は起こらない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起こらないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされた者の罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。”

私たちは私たちが食べたものによってできている。
そのことすら考えようとしないで、事が起こってからだまされていたと怒ることの愚かさと無責任。

菜食主義だって、植物の命をいただいているわけで。
命をいただかなければ生きていけないことを自覚し、苦しみ、それでも食べて生きて行かねばならないその業を、もっときちんと考えようと。

命を奪うことなく生き物からいただける食品は、乳だけだと荒川弘は言った。
命を繋ぐことの意味。痛み。責任。