内容:ロシア人将校である継父を殺害した容疑にかけられたチェチェン人少年の裁判が開始。隣人の目撃証言や物的証拠などから、当初は明らかに有罪だと思われていた事件だったが、いくつか腑に落ちない点があった一人の陪審員(セルゲイ・マコヴェツキー)が、ほかの陪審員に疑問を投げ、審議は二転三転し始める。

有名なアメリカ映画のロシア版。
本当はアメリカ政策の白黒版を借りたつもりだったんだけど、DVDの中身が入れ替わっていたらしく、こちらを見ることになりました。

5月に舞台を見たのでストーリーはわかりますが、描かれた世界は全くの別物でした。

裁判所内にある狭い陪審員質で話し合うアメリカ版と違って、裁判所が改修工事中のため、隣接する小学校の体育館で話し合う陪審員たち。
冬の夜、しょっちゅう停電する電気事情のため、懐中電灯やろうそくを使ってまで話し合うのですが…何を?
ご自分の経験談を。

人ひとりの人生がかかっているんだから、もう少し真面目に話し合いをしろよ!
と思うものの、ロシア人ってそういう人たちみたいです。
とにかく話好きでジョーク好き。自分のエピソードを面白可笑しく身振りたっぷりに話すのが大好きらしい。
米原万里のエッセイなどにそう書いてあります。

「弁護士にやる気がなかった」
「そうだそうだ。」
「だから、弁護士が真面目に仕事していたら、もっと被告に有利な状況だったかもしれん。」
「そうだそうだ。」
「そもそもああいう輩は…。」
「俺も似たようなことが…。」
「だからそれは証拠とは言えないんじゃないか。事実は別にあるんじゃないか。」
「そうだそうだ。」

そんな感じで、自分の人生から得た事実や教訓や直観(!)などで、紆余曲折はあるものの無罪のほうに傾いていきます。
有罪を強く主張していた人だって、しまいには「俺の息子もそうだった…」なんて言い出すし。

たしかに捜査はずさんで、弁護士もやる気はなかったかもしれないけど、反論がいちいち非論理的。
これはもう「12人の怒れる妄想族」かと思いましたよ。オリジナルのファンからしてみるとね。

でも、無駄に語られているようなエピソードの一つ一つが現在のロシアの状況を写し出していて、内戦、不況、差別、いろいろ。
そんな中、容疑者である少年を無罪として社会に出すことと、有罪として一生を牢獄内で安全に過ごさせることと、どちらが少年にとっての幸なのかということまで話し合われる。

ウクライナの作家アンドレイ・クルコフが書いた「ペンギンの憂鬱」という小説を思い出してしまった。
周囲に罠が張り巡らされ、どんどん行動範囲が狭められていく息苦しさと恐怖。

無罪になるということは、そういう生活を送るということ。
未成年で、チェチェン人で、犯罪の関係者である少年。

きっとそういう少年、または大人が今のロシアにはたくさんいるのでしょう。
私が思うよりずっと、身近な出来事を描いた作品なのかもしれません。
そう思うと、「12人の怒れる男」というひさしを借りただけの、全然別な映画として観るべきなのではと思います。
見ごたえは十分にありました。