明日から1泊2日で伊豆の湯河原に行ってきます。
今回はパソコンをもっていきませんので、ブログの更新はなし。

と言うことで、家の冷蔵庫もきれいにしたのですが、ご飯だけがおひつに残ってしまいました。
冷蔵庫をきれいにはしたのですが、以前実家の母が牛タン好きの次男に食べさせるようにとくれた、レトルトの牛タンカレーがありました。

念のために補足しますと、我が家は全員が牛タン好きです。
が、母はなぜか次男だけが牛タン好きだと思っているようなんです。
3箱の牛タンカレーは、次男が帰省した時に食べさせようと冷蔵庫に入れていたのですが、帰省しないし、おかずはないし…。

はい。わたくしいただいてしまいました。
だぁって、しょうがないでしょう。
そこにカレーがあるのだもの。

ただ、牛タンなんですけどね。
ごろごろと結構入っていましたが、ざくっとした歯ごたえはなくて、堅めの鶏肉のように、繊維に沿ってぱらぱらほぐれるような感じ。
うーむ。
残り2箱は次男に食べさせよう。

それにしても、明日明後日の関東の天気予報は雨なんですよね。
6月に関東に行った時も雨だったし。
ついてないなあ。
何着て行ったらいいんだろう?
暑くて、雨。
水着か?



本日の読書:眠る盃 向田邦子

カバー裏より
『「荒城の月」の「めぐる盃かげさして」の一節を「眠る盃」と覚えてしまった少女時代の回想に、戦前のサラリーマン家庭の暮らしの手触りをいきいきと甦らせる表題作をはじめ、片々とした日常から鮮やかな人生を截りとる珠玉の随筆集。知的なユーモアと鋭い感性を内に包んだ温かな人柄が偲ばれるファン待望の書。』

表題作。
確かにあのメロディーなら「眠る盃」と思ってしまっても無理ないかも。
実は私が小学生のころ使っていた目覚まし時計のアラーム音が「荒城の月」でした。
起きれないって。あの曲では。

このエッセイが書かれた1970年代は、もちろん今とはもう生活スタイルは全然違うのだけど、それを超えてなお「あ~、わかる」と思えるほどに、人の心というものは変わらないんだなあと思ったり。
水ようかんに対するこだわりとか、ペットに対する愛情とか、旅先での残念なこととか、時代は関係なく、同じように人は感じたり思ったりするんだよね。

逆に、今では考えられないようなことも。
びっくりするのが、エッセイなどが発表されると、その反応が直接個人の家に郵便で送られたり、電話がかかってきたりすること。
個人情報保護法がまだないから。
電話の応対で仕事が手につかず、「後で必ず連絡しますから。」と、相手の電話番号を聞いて電話を切るということもしていたそうである。
これではベストセラー作家なんて、作品を書いている暇がないではないか。
1時間半も熱い想いを語るファンの話を聞いていたらしいです。

東京の中野のアパートで、ライオンを買っていた人もいたそうです。
終戦直後ですけど。
さすがに見間違いかと思ったら、「それは私です」と、やはり本人から連絡があったと。

そして、1970年代のエッセイに向田邦子は書いていた。

「ドン・キホーテではないが、見果てぬ壮大な夢を描いて突進し、傷つき絶望し這い上るのが青春だと私は思っている。一生に一度しかない、苦くて甘い闘いの場だと思う。
 しかし、現代の若い成功者たちは、そんな無駄道はしない。夢も希望も程のいい大きさなのだ。」

当時の若者が今はいい大人になって(私よりも年上だよ)、「いまの若いものは…」とか、「自分たちの若かったころは…」とか言っているんだよね。
私も言われましたし、多分私も言うのでしょう。
そして「若かった頃って、昭和時代?」って言われるのさ。Orz