今日、テレビでふなっしー(と、パンクブーブー)が函館の方言を探していました。
なげる→捨てる
ちょす→さわる
は、余裕でわかります。
ちょす はあまり使わないけど、なげる は、今でも普通に使われていますし。

問題になったのは
ごんぼほる

これは、子どもの頃よく聞きましたよ。
自分の子どもに言ったことないけど。
ごんぼほる→だだをこねる
よく駄々をこねる子は、ごんぼほり と言われていました。

ごんぼというのはごぼうのことで、細くて長いごぼうを土の中から掘り出すのはなかなかやっかいなことから、こういうようになったそうです。

二問目がわからなかった。
へくさい
両親ともに函館出身の私でも、これはうっすら聞いたことがあるかもしれないけれど、意味が判りませんでした。
格好悪いという意味で、屁のようなもの から来た言葉のようです。

はんかくさい は、よく使うんですけどね。
パソコン遣ってて、システムが重かったり、止まったりしたとき「いや、このパソコンはんかくさい。」
生意気で、腹立つ くらいの意味でしょうか。

昔、茨城県出身の人に ごんぼほる という言葉を説明したとき
「あ~、わかるわかる。茨城で言うと いじやける ってことでしょ?」
と言われ、困ったことがあります。
大体はそうなのかもしれないけれど、方言って、標準語に少しプラスした意味合いがあって、それが、同じような意味の方言を並べたところで同じ意味にはならないような気がしたからです。

異文化交流って難しいから面白いのかもしれませんね。

研修で千葉県市川市の方が講師にお見えになったとき、最近少し腹立たしいことがあるとおっしゃっていました。
市川市というのは、千葉県で一番の梨の産地なのだそうですけれど、ふなっしーのせいで、すっかり梨のイメージを持って行かれてしまった、と。
船橋は千葉で4位に過ぎないのに、市場イメージが逆転した、と。
ふなっしーが公認されなかったのは、このような千葉県の政治的バランスがあったからかもしれないな、と思いました。(例によって、ただの思い過ごしです)

横浜の中華街にも、ふなっしーの抱き枕がたくさん売っていました。
もはや船橋だけでも、梨だけでもないですね。


本日の読書:最後の証人 柚月裕子

Amazonより
『元検察官の佐方貞人は刑事事件専門の敏腕弁護士。犯罪の背後にある動機を重視し、罪をまっとうに裁かせることが、彼の弁護スタンスだ。そんな彼の許に舞い込んだのは、状況証拠、物的証拠とも被告人有罪を示す殺人事件の弁護だった。果たして佐方は、無実を主張する依頼人を救えるのか。感動を呼ぶ圧倒的人間ドラマとトリッキーなミステリー的興趣が、見事に融合した傑作法廷サスペンス。』

いつもたくさん本を読んでいるブロガーさんに、面白いと紹介していただいた本。
昨年末に紹介してもらったのに、読みたい本リスト2014年版が出来上がったのが最近なので、やっと読むことができます。
いや、別に、無理にリストに乗せる必要はないんですけど、リストを見るたびに、この本は紹介してもらったんだよな~と思い出したかったので、リストの完成まで読むのを我慢していました。しかし、もう少しで今年も半年終わるよ。もっとちゃっちゃとできないものか。

で、弁護士が主人公の法廷ものなのに、300ページの作品の230ページになるまで、ほとんど出番がありません。
事件関係者の視点がほとんどで、そこに検察官と、弁護士事務所の女性の視点が挟まってきますが、視点の切り替えも全然煩雑ではなく、とても読みやすく整理されています。

そして、230ページ以降の怒涛の展開。
今まで検察が置いてきた石が、佐方の投じた石によって見事にひっくり返っていきます。
そのカタルシス。

特に、最後の証人が証言台に立つことを決めた、その決心の後押しをした佐方の一言は、この物語のもっとも中心を貫くテーマだと思いました。

けれども、実は、裁判シーンよりも、事件本体の記述の方が、私には重く響いてきました。
もし自分の子どもが、なんの罪もないのに理不尽に命を奪われたら、私はどうするのだろう。何ができるのだろう。
そして一歩を踏み出してしまった夫婦の行方が気になって、本を読むのが止められませんでした。

埋められない喪失感、止められない自責の念、犯人への恨み。
それがわかるだけに、どうしても夫婦の方に感情移入をしてしまいました。

それに対しての佐方の態度も、とても納得のいくものです。
本人が多くを語らなくても、佐方という男はこういう人間だということが、すんなりと理解できました。その信念は、杉下右京さんを彷彿とさせます。

途中途中で、考え考え読みました。
アタローさん、面白い本を紹介していただいてありがとうございます。
引き続き他の本も読んでみます。