本屋でバイトをしている次男が言うのである。
「本屋大賞の本、読んでる?」
買った本を収納する場所が、もう早々いい加減どこを探してもないので、仕方なくの図書館派の私としては、有名な賞をとった作品ほど縁遠くなってしまうのである。
本屋大賞ができたころの大賞受賞作品は結構読んでいる。
ミーハーじゃないと言いながら、結構押さえるところは押さえてるなと、自分で笑ってしまうくらい。
だって、確かに人にお勧めしたくなるくらいいい作品だもの。
でも、最近のは、実はあまり興味がわかなくなっていたのである。
だって、本屋さんに勧められなくても売れそうな本ばかりじゃない?
というか、本屋さんがおすすめではなくて、本屋さんが売りたい、出版社も売りたい本になってきたのかなあ。ちょっと生々しいなあと思って、少し距離をおいていたのである。
「数ある本の中から、この本はいいよ、と本屋さんが勧める本なんだよ。本好きならそのくらい読んでおきなよ。」
まあ、そういわれれば確かにそうか…。
日頃本屋さんにはお世話にもなっていることだし、本のプロがお勧めする本を無視するというのもねえ…。
「告白」「天地明察」「謎ときはディナーのあとで」「海賊とよばれた男」「村上海賊の娘」
読んでいないこの5冊を買いに行く。
「天地明察」これはもう絶対読もうと思っていた。
読みたい本リストの順番待ちなだけ。
けど、行った本屋には文庫しか置いてなくて。上下巻の分冊。
分冊嫌いなんだよね。と思いながら購入。
絶対面白いのは分かっている。映画も面白かったし。だから分冊でも、しょうがないなと購入。
「謎ときはディナーのあとで」
本の置き場所に困っている現在、買ってまで読む本なのか?と煩悶。
こういうのこそ図書館でいいのではないかと思いつつ、多分順番待ちがはなはだしい気もするので、しぶしぶ購入。
「海賊とよばれた男」「村上海賊の娘」
まだ文庫になってないんだよね。なのに分冊。
一気に買わなくてもいいのでは、と購入ならず。大人買いのできない大人。
「告白」
文庫になっているし、分冊じゃないし、けど、買えなかった。
これっぽっちも読みたい気持ちがないのに、買えない。今は。
少し湊かなえブームが収まったら、もう一度挑戦しよう。
そんなわけで、素直な私は本を買ってきたのであるけれど、図書館本も積読本もあるので、いつになったら読めるのかは今もって未定。
とりあえず次男に聞いたこと。
「本屋のバイト大賞っていうか、お勧めは?」
「今度家に帰るとき、「バクマン」と「DEATH NOTE」を持って行ってあげるよ。」
「やった~!「銀の匙」もお忘れなく。」
お勧めした本が喜ばれるのは、嬉しいことだよね。
私も本屋さんになってみたいなぁ。バイトでも。
本日の読書:ツ、イ、ラ、ク 姫野カオルコ
Amazonより
『地方。小さな町。閉鎖的なあの空気。班。体育館の裏。制服。渡り廊下。放課後。痛いほどリアルに甦るまっしぐらな日々―。給湯室。会議。パーテーション。異動。消し去れない痛みを胸に隠す大人達へ贈る、かつてなかったピュアロマン。恋とは、「堕ちる」もの。』
姫野カオルコの「ひと呼んでミツコ」を読んだあと、「この主人公、あなたにそっくり」と言って本を貸したら、「私、こんなですか?」と嫌そうな顔をして返された。
ええ、こんなです。
公衆道徳にうるさいあなたは、ミツコのようなところがあります。
そして、私は、そんなあなたを大変好いているのです。
「マッピーさんの方がミツコに似てると思います。」
ええ~!!わたし、そんなですか?
姫野カオルコは、未熟だったり卑怯だったり軟弱だったりして、自分で自分を嫌いになりそうな、早く忘れてしまいたいような、小さな負の気持を拾い上げるのが大変うまい。
できれば自分で自分をごまかし切りたいのに、違和感だったり自己嫌悪だったりがごまかしを許さない。そして、目の前に突き付けられる、自分の中のブラックホール。
主人公が小学生の時から始まる子の物語は、小学生には小学生の、中学生には中学生のリアルな生活があり、ということは嫉妬やねたみ、支配と隷属、拘束と自由、そんなものが、大人とはけた違いにむき出しで、読んでいるこちらが、何度イタイ思いをしたことか。
そうさ。私だってそういう小学生であり、中学生だったんだよ。
すっかり忘れていい大人の顔をしているけどね。
私はどちらかというと、人間関係はボーっとしていたので、いじめられっこではなかったと思うんだけど、派閥に入っていた記憶もないのね。
あんまりどろどろしていた記憶もなければ、べたべたした記憶もないの。
それでも、やっぱり読んでいてチクチクとずきずきとひりひりと蘇る、あまり思い出したくない過去。
こってりと人間関係を紡いできた人なら、もっとたくさん感情の噴出があるのではないかしら。
終盤クライマックスに向けて、私の気持もどんどん高まり(めったに恋愛小説を読まない私にしては、かなり珍しいこと。さすが姫野カオルコ)、「どうか。どうか。」と何かに祈るような気持ちで読み進めて、泣きそうになりながら最後の2行。
ひゅ~んって現実に呼び戻される。さすが姫野カオルコ。
あまりの見事な足払いに、思わず笑ってしまった。
「テ、ン、ラ、ク」じゃなくてよかったな。
「本屋大賞の本、読んでる?」
買った本を収納する場所が、もう早々いい加減どこを探してもないので、仕方なくの図書館派の私としては、有名な賞をとった作品ほど縁遠くなってしまうのである。
本屋大賞ができたころの大賞受賞作品は結構読んでいる。
ミーハーじゃないと言いながら、結構押さえるところは押さえてるなと、自分で笑ってしまうくらい。
だって、確かに人にお勧めしたくなるくらいいい作品だもの。
でも、最近のは、実はあまり興味がわかなくなっていたのである。
だって、本屋さんに勧められなくても売れそうな本ばかりじゃない?
というか、本屋さんがおすすめではなくて、本屋さんが売りたい、出版社も売りたい本になってきたのかなあ。ちょっと生々しいなあと思って、少し距離をおいていたのである。
「数ある本の中から、この本はいいよ、と本屋さんが勧める本なんだよ。本好きならそのくらい読んでおきなよ。」
まあ、そういわれれば確かにそうか…。
日頃本屋さんにはお世話にもなっていることだし、本のプロがお勧めする本を無視するというのもねえ…。
「告白」「天地明察」「謎ときはディナーのあとで」「海賊とよばれた男」「村上海賊の娘」
読んでいないこの5冊を買いに行く。
「天地明察」これはもう絶対読もうと思っていた。
読みたい本リストの順番待ちなだけ。
けど、行った本屋には文庫しか置いてなくて。上下巻の分冊。
分冊嫌いなんだよね。と思いながら購入。
絶対面白いのは分かっている。映画も面白かったし。だから分冊でも、しょうがないなと購入。
「謎ときはディナーのあとで」
本の置き場所に困っている現在、買ってまで読む本なのか?と煩悶。
こういうのこそ図書館でいいのではないかと思いつつ、多分順番待ちがはなはだしい気もするので、しぶしぶ購入。
「海賊とよばれた男」「村上海賊の娘」
まだ文庫になってないんだよね。なのに分冊。
一気に買わなくてもいいのでは、と購入ならず。大人買いのできない大人。
「告白」
文庫になっているし、分冊じゃないし、けど、買えなかった。
これっぽっちも読みたい気持ちがないのに、買えない。今は。
少し湊かなえブームが収まったら、もう一度挑戦しよう。
そんなわけで、素直な私は本を買ってきたのであるけれど、図書館本も積読本もあるので、いつになったら読めるのかは今もって未定。
とりあえず次男に聞いたこと。
「本屋のバイト大賞っていうか、お勧めは?」
「今度家に帰るとき、「バクマン」と「DEATH NOTE」を持って行ってあげるよ。」
「やった~!「銀の匙」もお忘れなく。」
お勧めした本が喜ばれるのは、嬉しいことだよね。
私も本屋さんになってみたいなぁ。バイトでも。
本日の読書:ツ、イ、ラ、ク 姫野カオルコ
Amazonより
『地方。小さな町。閉鎖的なあの空気。班。体育館の裏。制服。渡り廊下。放課後。痛いほどリアルに甦るまっしぐらな日々―。給湯室。会議。パーテーション。異動。消し去れない痛みを胸に隠す大人達へ贈る、かつてなかったピュアロマン。恋とは、「堕ちる」もの。』
姫野カオルコの「ひと呼んでミツコ」を読んだあと、「この主人公、あなたにそっくり」と言って本を貸したら、「私、こんなですか?」と嫌そうな顔をして返された。
ええ、こんなです。
公衆道徳にうるさいあなたは、ミツコのようなところがあります。
そして、私は、そんなあなたを大変好いているのです。
「マッピーさんの方がミツコに似てると思います。」
ええ~!!わたし、そんなですか?
姫野カオルコは、未熟だったり卑怯だったり軟弱だったりして、自分で自分を嫌いになりそうな、早く忘れてしまいたいような、小さな負の気持を拾い上げるのが大変うまい。
できれば自分で自分をごまかし切りたいのに、違和感だったり自己嫌悪だったりがごまかしを許さない。そして、目の前に突き付けられる、自分の中のブラックホール。
主人公が小学生の時から始まる子の物語は、小学生には小学生の、中学生には中学生のリアルな生活があり、ということは嫉妬やねたみ、支配と隷属、拘束と自由、そんなものが、大人とはけた違いにむき出しで、読んでいるこちらが、何度イタイ思いをしたことか。
そうさ。私だってそういう小学生であり、中学生だったんだよ。
すっかり忘れていい大人の顔をしているけどね。
私はどちらかというと、人間関係はボーっとしていたので、いじめられっこではなかったと思うんだけど、派閥に入っていた記憶もないのね。
あんまりどろどろしていた記憶もなければ、べたべたした記憶もないの。
それでも、やっぱり読んでいてチクチクとずきずきとひりひりと蘇る、あまり思い出したくない過去。
こってりと人間関係を紡いできた人なら、もっとたくさん感情の噴出があるのではないかしら。
終盤クライマックスに向けて、私の気持もどんどん高まり(めったに恋愛小説を読まない私にしては、かなり珍しいこと。さすが姫野カオルコ)、「どうか。どうか。」と何かに祈るような気持ちで読み進めて、泣きそうになりながら最後の2行。
ひゅ~んって現実に呼び戻される。さすが姫野カオルコ。
あまりの見事な足払いに、思わず笑ってしまった。
「テ、ン、ラ、ク」じゃなくてよかったな。