3連休の3日目。やっと青空を見ることができました。
ずっと吹雪だったので、実は21日が春分の日だということも忘れていました。
今日は、世界気象デー。
一瞬、世界異常気象デーかと思ってカレンダーを見直してしまいました。
だって…ねえ。
あと10日で引っ越しの10さん。なかなか引っ越し準備をしている様子がありませんが、今日はお天気が良かったので、段ボールを買いに行って来ました。
長男が一人暮らしをしていた時の荷物がセカンドハウス(物置)に突っ込んであるので、洗濯機、布団、ソファベッド、座卓などの大物から、鍋釜、食器、まな板・包丁、ざるにボールに野菜スライサー。
冷蔵庫以外の必要なものがほとんど揃っています。(冷蔵庫だけは会社の寮に持って行った)
家からは衣類とかタオル類、テレビなどを車に積んで持っていくそうです。
そんなわけで、段ボール以外特に必要なものもなかったのですが、タイミングのいいことに懸案の台所の蛍光灯も切れたものですから、ちょっとホームセンターまで買い物に。
私はただの付添いですから、ホームセンターの入り口で10さんと別れ、園芸コーナーに。
そろそろプランター菜園魂に火がついて…ってまだ早い。去年は5月に種をまきましたが、それでも寒くて芽が出なかったものもありましたから。
それでも、土や肥料や苗を見て歩きました。
ビニールハウスみたいなコーナーに、花の苗がたくさん売っていて、「ふんふん♪」と見ていると、サボテンなども売っていて、「本当はコケ玉を育ててみたいんだよな~。」などと、どんどん奥へ入っていくと…
食虫植物のコーナーがありました。
ハエトリ草やモウセンゴケ。可愛い花の咲いているハエトリスミレ。
小さいコーナーなんです。小さい花なんです。380円。
本当に図鑑で見るより小さいのです。図鑑でアップになっている写真を見慣れた私には、びっくりするくらい小さな花。
その小さな花が、あんなことしたりこんなことしたりして虫を食うのか、と思うと、ぞぞっと怖くなって、足早にビニールハウスから出てしまいました。
花だって生きるために必死なのはわかります。それが悪いということではないんです。
ハエトリスミレの葉。光合成をしていないような白い葉。スミレの花のような大きな花の下にひっそりとある、花の形をした白いもの。
思考がないのに意志がある。意志が形になっている。
それが虫を食う花というものになっているのを見て、なんだかとても怖かったのです。
思考のない意志。
生へのベクトル。
見えないところに広がっていく根。
からめとられる私。
本日の読書:エトロフの恋 無限カノン3 島田雅彦
カバー裏より
『そこは、困難な恋を戦った者を待ちうける約束の地なのか。不二子をうしない、天賦の美声も奪われたカヲルは、生ける死者として最果ての島にたどり着く。すべてが終わったかにみえた刹那、奇蹟の恋はカヲルの前に最後の扉を開いた……。百年四代にわたる恋の遺伝子の行方を、日本近代史のなかに描く史上最強の恋愛三部作「無限カノン」。恋に倦んだ大人たちを挑発しながら堂々の完結へ!』
前2作と違ってカヲル視点で語られる。そして舞台は唐突にサハリンからエトロフへ移るところから。
作者が、この作品をいかように読んでも構わないと言っているので書きますが、最後まで読んで思ったのは、この作品ってカヲルの妄想?
不二子との全てがカヲルの独り相撲というか、ええと…負け犬の遠吠えの可能性は捨てきれないな。
前2作の一人称、二人称が、全てカヲルの妄想物語だとすると納得できる人称になる。
そして正夢の可能性を示唆して終わる終わり方も。
「優柔不断な者に運命の女神は微笑みません。代わりに魔女が彼を誘惑するのです。」
でも、全てが事実(物語世界の中での)だとしても、それはそれで話に整合性がないわけではなく、つまりいかように読んでも読めるということ。
カヲルの妄想だと思うことが、私の妄想である可能性も。
実は私の職場は数年に1度北方領土への出張がある。
エトロフまではなかなか行かないけれど、国後や色丹などに行って島民と交流し、町を見学し、写真を撮ってくる。そんな出張。
もちろん私は行かないけれど、写真を見せてもらい、話を聞いて、お土産のお菓子を食べる。
あまり色のない、光を感じない風景と、こじんまりと、でも居心地良くしつらえたような部屋と、生真面目にかしこまった人たちの写真。
それらを思い出す、エトロフの描写だった。
皇室の人間であることと、ひとりの個人であること。
憧れの向こうにある喪失。
喪失を超えてなおあり余る思慕の念。
たった200ページ強の中に、考える事柄、感じる事柄が凝縮されていて、読むのに3日もかかってしまった。(寝てばっかしいたからもあるけど)
ところで今、「かんじる」を変換したら、まず第一に「缶汁」って出たんですけど、どう思います?このパソコン。