あらすじ: 寛容な父アショケ(イルファン・カーン)と思いやりあふれる母アシマ(タブー)の息子として、アメリカで生まれ育ったインド人のゴーゴリ(カル・ペン)。2つの国の文化、2つの名前に翻弄(ほんろう)されながらも、ロックを聴きアメリカ人のガールフレンドもできた。ある日、その珍しい名前に込めた思いを父親に聞かされ、彼の中で何かが少しずつ変化していく。


原作「その名にちなんで」(ジュンパ・ラヒリ)が良かったので、借りてみました。


アメリカで暮らすインド人(ベンガル人)の暮らし。服装や食事、友人知人たちとの交流の様子。

インドの景色、風習、空気感。映像で見なければわからないところが多くある。もちろん音楽も理解の一助となる。

だから、しみじみ見てよかった~と思ったのですが、



ひとつ違和感。

アメリカ生まれのインド系アメリカ人。本人は当然自分はアメリカ人だと思っているのに、「アメリカ人なの?」「インド人なの?」としょっちゅう聞かれるのは大変に煩わしい。

その上名前。インド系の名前じゃあなく、ロシアの文豪の名前なのです。

だから、自分は何者なのか。インド人?アメリカ人?ロシア人?

「ロシアかんけーないじゃん。なんで名前がロシアなのよ。」っていういら立ちが、原作では結構丁寧に書かれていたんですが、映画ではなかったですね。


もう少し、父がその名に込めた思いみたいなのを丁寧に描いてくれてもいいのではないかと思いつつ見ておりました。


けれど映画の最初から、実は丁寧に丁寧に母アシマの心情が描かれています。

夫についてインドからアメリカに出てくる心細さ。生活習慣も違えば文化も違う。知人もいない。そんな中で育児なんてできないと泣く姿。


アメリカ生まれアメリカ育ちの子どもたちや、難なくアメリカの生活になじんでいるような夫とは違い、彼女は最後までインド人として暮らしています。

子どもたちが大人になり、それぞれの生活が忙しくなってきたとき、アシマは強く寂しさを感じます。


この寂しさは、今の私はとてもわかる。

インドとアメリカで半年ずつ生活すると決めたアシマの姿を映す時、アシマがアシマの名にちなんだ生き方を選んだ時に、実はこの映画はアシマの映画だったのだなと思い至りました。


原作は、アショカ(父)とゴーゴリ〈息子〉の物語でしたが、映画はアシマの物語と思って見ると、最初のシーンからずっと丁寧にアシマの様子を追っていたのも納得がいきます。


原作はアイデンティティーを模索している人たちに、映画はこれからの生き方を悩んでいる人たちにお勧めです。