今日は娘もいることだし、芸術の森美術館に行くことを楽しみにしていたのですが行けませんでした。


とにかく娘の準備が遅いの、昔から。9時には家を出ようかと考えていたのに、9時に風呂に入っているってなんだ?それから、顔だ髪だ服だ…etc…。


私がブチ切れて「今日はもう行かない!」と言ったのは11時半になるころでした。

インド人のようにおおらかになりと思ってはいるのですが、まだまだ修行が足りません。

インドで列車を待っていた客が、定時に来た列車にびっくりして駅員に「今日は定時に来たんだねえ。」といったところ、「大丈夫ですよ、あれは昨日の分ですから。」と駅員が答えたという笑い話が当面の私の目標です。←まじで?


娘の化粧は出来上がりイメージが完成しているので、時間はかかるけど出来がとても良い。イメージ通りになるまで妥協しないから。私のように薄らぼんやりと適当な化粧とは大違い。女子力の差でしょうか。私が娘に化粧やファッションのことを教えたことはないので、彼女は自力で何とかしたということでしょう。すまないのう、こんな母で。


娘が通っていた小学校のあたりが、すっかり様変わりしたので10さんと3人で見てきました。団地はことごとく1階の窓に木が打ち付けられて敷地内立ち入り禁止。校門前の畑だったところにみっちりと住宅が立ち並び、学童保育は壊されて2件の新しい家が建ち並ぶ。ローソンがなくなり餃子屋さんに。資材置き場はスーパーマーケットに。

たった6~7年ですっかり変わってしまった街並みに、少し衝撃を受けていたようでした。


私も結婚前まで住んでいた家のあたりがすっかり様変わりをして、ゴーストタウンみたいになったところがあったり、見慣れない建物ができていたりしたのを見たときは、20年ぶりとはいえショック大きかったですから(今でも多少トラウマだ)娘のショックは察して余りあるところがあります。


形のあるものを残してやれないのなら、次世代の人たちに何を残していくのが私たちの務めなのか。

右肩が上がり続けるわけはないのだから、そうではない豊かさを考えていかなければならないと思うのですが。

心の豊かさを芸術の森で育もうと思っていたのに、娘め!←漫画の原画展に行きたかっただけ


本日の読書:放課後 東野圭吾


カバー裏より

『校内の更衣室で生徒指導の教師が青酸中毒で死んでいた。先生を二人だけの旅行に誘う問題児、頭脳明晰の美少女・剣道部の主将、先生をナンパするアーチェリー部の主将―犯人候補は続々登場する。そして、運動会の仮装行列で第二の殺人が…。乱歩賞受賞の青春推理。』


女子学生の書き方がとても良いと思った。この子も、この子も、この子もきっと私の隣にもいたはず。

そんな当たり前の子たちが通う女子高で殺人事件が起こる。


動機は弱いと思うけど、捨石のトリックは秀逸。ただこの段取り通りにすべてがうまくいく可能性は限りなく低い。それが成功してしまったことは、犯人の人生にとって本当によかったことなのか。人を殺さず解決する道はなかったのか。


小説はここで終わるけれど、事件をどうやって終わらせたらいいのかな。

そして主人公の運命は!?