ShortStory.462 最期の仕事 | 小説のへや(※新世界航海中)

小説のへや(※新世界航海中)

 1話完結の短編小説を書いています。ぜひご一読ください!
  コメントいただけると嬉しいです。無断転載はご遠慮ください。

 

 睡眠用うどん なるものが話題らしいです。

 睡眠用かき氷 とかどうでしょう。暑いし、かき氷の中で眠るっていう…

 ※良い子も悪い子も絶対に真似しないでください

 

↓以下本文

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「――その話、長くなりそうね」

 

 机の上をとんとんと指で叩きながら、

 セレヴィアは右手のスマートフォンを持ち直した。

 窓の外には青空が広がっていて、その下には

 同じ色を映した海が広がっていた。

 時折波のたてる白色が模様のように見えている。

 看板に出れば、きっとその波の音も潮風も

 心行くまで堪能できるに違いなかった。

 

「私、今、休暇中なのよ」

 

 彼女は長い髪を指先に弄りながら、机の上を見た。

 開かれた小型のノートパソコン。

 こんなもの持って来るんじゃなかった。

 いつも通りひっきりなしに送られてくるメールに

 そう思っていた。自然とため息が出る。

 

「あまり仕事の話をしたくないわけ。わかる?」

 

 後輩は途端に口ごもった。

 ただ、セレヴィアもそれ以上に相手を責めなかった。

 後輩の彼女も、誰かに言われて自分に連絡を

 してきたのだろうと察しがついたからである。

 小言を言われたくないがために彼らが使う

 常套手段だった。セレヴィアは椅子から立ち上がり、

 窓に近づいた。相変わらず空は晴れ、海は穏やかだった。

 

「ヨシモント社の記事はミーヤに頼んでいたはずだけど、

 彼が動かなかったらサコシュに相談して。確かテープもあった筈。

 渋ったら私がそう言っていたと伝えて頂戴。え? ヨシモント社長が、

 タイタン社のニック社長と? それは初めて聞いたけれど、

 大丈夫よ。今二人とも、私と同じ船に乗っているらしいから。

 そんなに心配なら、帰りの港で待ち伏せていればいいわ。はい。

 仕事の話はもうおしまい。私は休暇中。いい? 切るわよ?」

 

 スマホを切ると、少し思案した後、その電源を落とした。

 たったそれだけの行動でも、彼女には大きな決断をしたように

 思われた。そうでなければ、乗船したときに電源を切っていただろう。

 同じようにしてノートパソコンを閉じると、

 彼女は気持ちよさそうに伸びをした。小部屋を出ると、

 広い部屋に出た。大きなソファの正面は全面ガラス張りである。

 セレヴィアはソファに座ると、沈み込むように力を抜いた。

 

 静かな室内へ、わずかに海鳥の声が聞こえてきた。

 夕方、ホールで行われるというオーケストラの演奏までは

 まだまだ時間がある。お腹もあまり空いていなかった。

 少し眠ろう。そう思って、彼女はゆっくりと目を閉じた。

 仕事のことを忘れて。いや、仕事のことを忘れようとして――

 

 

 

 

の仕事

 

 

 

 

 大客船の夜は、海原に浮かぶホテルそのものだった。

 きらびやかに明かりがつき、月照らす波間を堂々と進んでいく。

 船内にあるレストランのひとつに彼女はいた。

 オーケストラの素晴らしい演奏に感動したり、興奮したりして

 食欲がわいたわけではない。ホールでひとりの男に

 声をかけられたからである。彼はよく知られた会社の名前を

 出すと、名刺を渡してきた。奇遇ね。彼女が言うと、彼は微笑んだ。

 

「……美味しい」

「ワイン、お好きなんですね」

 

 同じようにワイングラスを傾けた後、彼はテーブルの向かいで微笑んだ。

 ひとりで乗船したという彼に参加の目的を問うと、ただ羽を伸ばして

 休みたかっただけだという。仕事を離れて、ゆっくり過ごしたい。

 自分へのご褒美をあげたい。そんな話をセレヴィアがすると、

 彼は自分も同じだと言って何度も頷いた。次の料理が運ばれてくる。

 広い平皿の中央に据えられた子牛のステーキには、

 ソースがかけられ、その上に色の淡い花びらが添えてあった。

 

「スマホもパソコンも置いてくればよかったわ」

「なかなか置いては来られませんよ。僕もそうです」

「案の定、今日なんか仕事の電話がかかってきて、

 ……うんざりしちゃうでしょう? その後、私どうしたと思う?」

「全部電源を切った」

 

 その返答に、セレヴィアは思わず微笑んだ。

 

「本当は全部海に投げ捨てたかったんだけど、

 我慢したのよ。イルカが迷惑すると思って」

 

 彼が笑うのと同時に、バイブ音が聞こえてきた。

 スーツの内ポケットから聞こえてくるらしい。

 彼は腕時計を見ると、彼女に向かって小さく頭を下げた。

 

「すみません。話している傍から……」

「気にしないで。私もよくあるのよ、そういうこと」

 

 2人がやりとりしている間にも、バイブ音は続いている。

 すぐに戻ってきます。そう言い残して彼はレストランの外へと

 出ていった。普段のセレヴィアなら、女性ひとり残すなんてと

 腹を立てていたかもしれない。しかし、この時はまったく

 そんな風には思わなかった。ワインのおかげか、

 心にできた余裕のおかげか。外を見ようと眺めた窓には、

 夜が広がり、反射した船内の様子や彼女の顔が映っていた。

 

「仕事か……」

 

 ふと考えそうになる自分を振り払うように、彼女は首を振った。

 しばらくして、激しい轟音が船を襲った。

 揺れは地震や振動とも違う、衝撃に近いものだった。

 レストランに僅かな悲鳴とその後のどよめきが広がった。

 セレヴィアの脳裏に一瞬、氷山にぶつかった豪華客船の

 場面が浮かんできたが、そもそも今航海している海には

 氷山が存在しない筈である。窓の外にも異常は見られない。

 

 衝撃がもう一度。

 それは明らかに船の中から響いてくるものだった。

 一瞬の沈黙の後、再び船内はざわめきたった。

 レストランの厨房から、シェフ姿のままホールへ

 様子を窺いに出てきた者までいる。状況を詳しく知る者は

 誰も居ない。場が混乱を示すまでに時間はかからなかった。

 

「ちょっと。何なの、これ……」

 

 無意識にバッグに手を突っ込むが、そこに目的の物はない。

 スマートフォンも何もかも、仕事に関わるものはすべて部屋に

 置いてきてしまっている。混乱状態にあるレストランから、

 人をかき分けて出ていくと、セレヴィアは真っ先に自室を目指した。

 何かが起こっている。事故か。事件か。衝撃のあった時間は

 もう覚えている。記録をとらなければ、状況を把握しなければ。

 すでに思考も行動も、“記者(しごと)の”状態に戻っていた。

 人にぶつかりながら自室へ辿り着き、中へと飛び込んだ。

 

「海に捨てなくてよかった」

 

 焦りを押さえた顔でそう口にしながら、道具を手に

 再び自室をとびだした。すでに通路は混乱して動き回る

 人間で一杯である。船内アナウンスが流れているが、

 周囲の叫び声でほとんど聞こえない。海に面した通路に出ると、

 悲鳴とは裏腹に波は穏やかで、周囲に障害物も無かった。

 今のところ船体が傾く様子はないが、セレヴィアの鼻に

 僅かな異臭が感じ取れた。現場に赴くことが多かった時期もあり、

 彼女はそれが爆発による粉塵、煙の臭いだとすぐに気づいた。

 

「……爆薬? テロ、とか……

 もう、嫌……こんな偶然、嘘でしょう……」

 

 ようやく電話がつながった。かけた相手は昼間の後輩である。

 

「もしもし、勤務時間外に悪いわね。昼間言ったことは忘れて。

 緊急で仕事の話なの。記録できるものはある?

 休暇中? そうよ、さっきまでね。でもいいの、

 もしかしたら私の最期の記事になるかもしれないから――」

 

 少しでも声の通りやすい場所へと移動していく。

 客室の並んだ場所から離れ、甲板へと駆けていく。

 通路に面した窓の奥には、先程のレストランがあった。

 照明はそのままだが、混乱した者たちが外へと出ていったため

 中は閑散としている。皿も料理も椅子もテーブルも

 転がっていて、その姿はさながら廃墟のようだった。

 中央のテーブルに、先程の男が腰かけていた。

 彼は、料理の盛られた皿の“その上に”座っている。

 

「すぐに戻ってきますって、言ったんだけどなあ……まあ、いいか」

 

 彼はスマートフォンを取り出すと、ゆっくりと放り投げた。

 仕掛けた爆弾を起動させる時間をアラームで設定していた。

 それだけの代物だった。造船会社をクビになってからは、

 仕事先からはもちろん、仕事仲間だった者たちからの

 連絡さえなかった。豪華客船の設計も立場も奪われ、

 裏切られたのだから、もとより仲間であったのかも定かでない。

 せめて黒幕たる社長だけでも道連れに。そう思って、彼はこの船に乗った。

 後は、自分の設計した船に仕掛けを施すことなど容易だった。

 彼の放り投げたスマートフォンは弧を描き、

 別のテーブルに残されていたグラスを散らした。

 仕事熱心だった彼。仕事にすべてをかけていた彼は、

 貼りついたような笑みを浮かべ、傾いていくシャンデリアを仰いだ。

 

「沈めばいい。沈めば名が残る筈だ。悲劇の大客船。呪われた豪華客船。

 設計者は僕だ。だからこれでいいんだ。これが僕の、最期の――」

 

―――――――――――――――――――――――――――――
<完>