医療・介護現場では電子化が進んでいる。病院の電子カルテの導入に始まり、介護施設でも軒並み時間短縮と謳い電子での記録システムを導入していた。わたしの施設でも例外ではなく、しかしそれは時間短縮になっているのかといわれると甚だ疑問である。

 昼食後、がらんどうになったフロアでわたしはパソコンのキーボードを叩く。気持ち音が大きいのは御愛嬌にしてもらいたい。昼食もそこそこに現場に戻り、介助が落ちついたら午前から今現在にかけての、各入居者様のご様子の記録を書き上げねば。

「おつかれさまです、主任。戻りましたよー」

「三波さん、早くないです?」

「そんなことないよ、今日は45分ですから」

「え」

 45分……そんなに時間が経っていたのかと時計を見る。

 ふっ、と小さくため息が出る。

 結局記録は終わらず。先ほどの佐野坂さんの記録だけでもと書きかけの記録を進めつつ、三波さんへ声をかける。

「全部終わってます。定時の巡視と、体位変換お願いします」

「わぉ。全部おわっちゃった?」

 三波さんはたまに、フランクな言葉をかけてくれる。聞けば一時アメリカに住んでいたとか。英語を話してほしいとお願いすると話してくださるので、意欲のある入居者様からは、英語の先生として親しまれて、時折居室に呼ばれては英語をレクチャーしていると聞いたことがある。今の『わぉ』もきっと英語に脳内変換しないといけないのかもしれない。

「さすが主任ですね。ありがとう。じゃ、巡視にまわってきます」

「あ。佐野坂さん、さっきお薬飲んでます。先生に電話しますと話したら今は落ち着いてますが……。なんかあったら呼んでください」

「はーい。でもがんばります。主任もお仕事ありますでしょ」

 優しさが身に染みる。

「ありがとうございます」

 三波さんを送り出し、再びパソコンに向き直る。

 実際のところ、わたしは主任としてはどうなのだろう。

 若さが取柄のわたしからすれば、体力でカバーできるところがあればわたしがやってしまうことが多い。しかし、施設長や伊砂先生からは、もっと任せろと言われる。それでは主任は務まらない、と。けれど、指示だけしてどっかり座っているのはどうも性に合わない。介護士はマグロだと言われたこともあった。泳ぎ続けなければ死んでしまうのだと。さすがにそこまでではないと思うが。

 机に放りだしていたPHSが鳴る。今度はナースコールではなく、看護主任からの着信を知らせるコールだった。ある意味これこそナースコールだわとひとりごちながら電話をとる。

「宮野さん、ちょっと看護室まで来れる?」

 看護主任、津谷さんの苗字呼びは良くない知らせだ。わたしへのお叱り、そうでなくてもよくないお話の前は必ず名字で相手を呼ぶ。声は怒っていないところがさらに気分を憂鬱にさせる。

「お疲れ様です、今行きます」

 ちょうど書き上げようとしていた記録を半ば無理やり終わらせて看護室へ向かう。きっと佐野坂さんのことだろう。ここのところ毎日のように続いている、歯痛による痛み止めの服用。薬を飲んで収まればよいがそれすらも忘れてしまう。飲ませ続けて痛みがなくなるのか、そもそも痛みが本当にあるのかも怪しい。痛みがあれば、痛み止めを服用することで収まるはずだ。もはや介護ではなく医療的な側面からアプローチをしてほしいと思う。幻痛という病名が存在するのかわからないが、幻痛に対する対処方法は医師ならば何かしら知識を持っているはず。看護主任でもある津谷さんは、おそらく施設看護師の立場から医師に頼る前になにかしらの手を打ちたいのだろうが……。

 しかし、今わたしには何も手立ては浮かんでこない。

「宮野です」

 部屋のドアをノックすると返事がある。「どうぞ」という言葉に若干とげを感じる。

 部屋に入ると、津谷さんもパソコンに向かっていた。看護師はここまで記録を書いたから、と事務連絡をされる。わたしも津谷さんへ、介護士の立場からどこまで記録を書いたかを伝える。おそらくわたしが書いた記録を見ているのだろう、何度かマウスをクリックする音が響く。画面を目で追う津谷さん。しばらくして、わたしに向かって微笑みを返してくれる。

「佐野坂さんなんだけど、傾向を分析してほしいのよね」

 ここからが本題だろう。

「……はい、やってみます」

「次の主任会議までにできるかしら」

 1週間後だ。相変わらず……といえば怒られそうだが無茶ぶりがすぎる。

「津谷さん、ひとつ確認ですけど。薬を減らせるように、という方向です?」

「……薬…………。とは限らないわよね。この施設で、佐野坂さんにどう生活してほしいのか」

「…………?」

「それを、ちょっとケアさんで考えてみて」

 

 その後も津谷さんといくつか連絡事項を離した後、わたしは再びフロアに戻る。休憩を開けた飯田さんと仙台さんが、三波さんと何やら話しをしている。

「あ、ゆきか主任どの!」

「みなさまお揃いで」

「ねー、主任はどう思います佐野坂さん」

 比較的年齢若めの飯田さんと仙台さんが、三波さんと並ぶと親子のようである。飯田さんは一番若いのだが、誰よりも鋭い意見をぶつけてくれる。そんな意見を、飯田風奈(カザナ)という名前から、「風の声」と呼ぶ介護士も少なくない。

「どうって」

「いやー、どんな生活してれば痛まなくていいのかなーって」

「痛みが出てから薬でなんとかする対処療法ではなくて、痛みが出ないような生活ってどうすればいいのかなーって、いま話してたんすよ」

「そう、それが言いたかった。さっすが」

「いや先輩に向かって」

 飯田さんと仙台さんは年が近いだけあって、お互いに信頼していることがコミュニケーションから見て取れる。こうして仕事中にもかかわらず、わたしの前でおどけてみせるのはその証拠だ。

「だっておかしいですよ、先生も異常がないって言っているわけだし、あれ痛み止めぜったい効いていない」

「痛みを訴えてはいるけれど、本当は何か別の訴えが隠されているんじゃないか、って話していたんす」

「そうそう、それね」

 ずいと前に出る飯田さん。

 三波さんがその後ろから、控えめに声をかけてくれる。

「主任、いまナースさんとお話しされてきたんでしょ」

 ああ、心強いなぁ、と。

 わたしは三人を前にふっと肩の力が抜けた。ひとりで背負うもなにも、初めから一人では何もできていなかったことに気が付く。三人寄れば文殊の知恵だ。

「一週間、傾向を観察してほしいといわれて……。どうやって記録していくか、相談していいですか」

 ふんっ、と胸を張る飯田さん。

「神の声たのむ」といって仙台さんが茶化したかと思えば、

「神って。風の声なんですけど」

「自分で言うのかそれ」と掛け合いが始まる。

 それを見守る三波さん。

 よし、とわたしも気合を入れ、午後の準備に取り掛かるのであった。